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私の巡礼の年(五島列島奈留島江上天主堂編)(長崎キリシタン世界遺産)【クロマダラソテツシジミなど】 [長崎県]
長崎県の海岸にいる「海のクロツバメ●ジミ」(略してクロ)を探しながら巡礼する旅の続きです。数年前に五島列島の真ん中に位置する奈留島にある江上天主堂まで行ってきました。江上天主堂とその周りの集落は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つです。今回も福江島から定期船にレンタサイクルを乗せ、奈留島では江上天主堂のほか島内各地を自転車で巡りました。
奈留島へは、福江港からフェリーに乗って出発です。
奈留島の奈留港に到着しました。奈留島ってどんな島だろう。ワクワクです。
まずは案内版で行き先の確認です。奈留島にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑は、青春をユーミンの歌と共に過ごした世代としては、絶対に行かねばなりませぬ。目的は「遠いところにいる友達に(潮騒の音がもう一度届くように)海の碧さをもう一度伝えるために・・・」(歌詞の丸写し、ご勘弁。)
江上天主堂までは片道7.6キロ。なんてことはないと思いましたが・・あま〜い。
奈留港の近くにソテツ並木がありました。
ソテツ並木にはすっかりおなじみのクロマダラソテツシジミがいました。
クロマダラソテツシジミがメスをめぐって追いかけっこ。クロ○○とつきますが、目的のクロではありません。
奈留港近くに咲いていたニラの花で、普段は南の島にいるカバマダラが飛んでいました。
カバマダラもメスをめぐって追いかけっこ。カバマダラは、ニラの花がよく似合います。
アカタテハもランタナの花で吸蜜していました。ランタナの花はチョウに大人気です。
地べたにはベッコウバチが大きなクモの獲物を引っ張っていました。
レンタサイクルの「アカカメ号」に乗って、奈留高校にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑にとうちゃこ。この歌碑と関係ないことですが、お名前が「瞳」さん、曰く『「瞳を開けて」って死んでるってことじゃないの。』おっしゃるとおりです。閉じててよかった。
現在、江上天主堂の見学をするには「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーション」に事前連絡が必要ですが、訪問した当時は、奈留島の繁華街の外れにある奈留教会に江上天主堂の見学を申し込み、鍵を借りることになってました。さっそく奈留教会に見学の申し込みに行きました。教会の花壇は、信者の方が手入れをされているようで、キレイな花がたくさん咲いていました。写真は花壇の先にあるルルドです。
ルルドにはナツズイセンが綺麗に咲いていました。
花壇に咲いているランタナの花にアオスジアゲハが吸蜜に訪れていました。奈留教会を背景にパチリ。
動きのはやいアオスジアゲハもランタナの花で吸蜜に夢中です。
ナミハゲハも吸蜜に訪れていました。
カラスアゲハまで吸蜜に訪れていました。奈留教会の花壇でたくさんのチョウの写真を撮らせていただき、教会の方に感謝します。
奈留教会で江上天主堂の鍵を借り、レンタサイクルで江上天主堂を目指し奈留島の道を北上ました。途中の夏井漁港に到着です。
夏井漁港の海に目をやると小魚がいっぱい泳いでました。奈留島はこの豊かな海の恵みで成り立っているようです。地元の方に魚の種類の名前を教えていただきましたが、頭の中の消しゴムがすべてを消し去ってしまいました。
奈留島の西海岸にある江上天主堂に行くには、ここから快適な自然遊歩道の山道を越えて、天主堂まで行けるのかと思いましたが、この自然遊歩道は、とんでもない道で人気が全くないらしく、たくさんの蜘蛛の巣に覆われ、歩くのがたいへんでした。
蜘蛛の巣だらけの山道を自転車を押しながら、息をハア ハアして登りました。あとから分かったことですが、立派な車道のトンネルがこの下を通っていました。
山道を下りて、海沿いの道を進むと世界文化遺産の構成資産、江上天主堂にとうちゃこ。江上天主堂は、国の重要文化財でもあります。
江上天主堂は、他にも数々の教会建築を手がけた鉄川与助棟梁が建てた教会の一つです。水色の窓とクリーム色の壁の配色が上品で、大正時代に建てられた建物とは思えないモダンさがあります。
江上天主堂のバラ窓の飾りは、ステンドグラスの代わりに木製の水色のバラの花でした。
江上天主堂の窓ガラスは、高価なステンドグラスの代わりに、信者の方が手描きした黄色いバラの花が描かれていました。この手描きのバラ模様のことをNHKのドキュメント番組が「幸せの黄色いバラ」と紹介していました。
江上集落を海から眺めました。江上天主堂は、その当時の集落の信者の方がキビナゴ漁で稼いだ資金と信者の方の労働奉仕により建てたそうです。
今回は出番が少ないですか、レンタサイクル「アカカメくん」を大串湾をバックに撮影しました。アカカメくんに乗って奈留島の大串湾の海沿いの道を南下しました。
大串湾の海岸でイシガケチョウが産卵していました。
奈留島はふつうは南の島で生えているハマジンチョウの北限になるそうです。ハマジンチョウは熱帯ではマンゴローブを形成する植物の一種のようです。
奈留島のハマジンチョウ群落地は南の島のマングローブ林とは異なった雰囲気です。この群落地は現在は国の天然記念物のようです。
ハマジンチョウ群落地にユッカ蘭が咲いていました。
大串湾をさらに行くとビーチロックという天然のコンクリートの浜がありました。
ビーチロックを見たことも聞いたこともなかったのですが、この浜も天然記念物です。
江上集落から同じ道を戻るのもなんですからと、西海岸の海沿いの道を南下しました。ところが、すぐにつづら折りのものすごい山道になり、またもやアカカメくんを押しながら息をハア ハアして登りました。こんなことなら前に来た道を行った方がよかったと後悔ばかり。「こころ旅」の火野正平さんなら「息をハア ハアしたいのなら夜の私の部屋で。」と冗談の一つも出ますが、とてもそんなこと・・。とうちゃこした小田河原展望台は奈留島と久賀島の海峡である「奈留瀬戸」が、よーく見えました。
展望台からは長い下り坂。「人生下り坂、最高!」今回も叫んでしまいました。
次に奈留港の南にある奈留千畳敷に向かいました。その途中にある漁港の岸辺には、たくさんのランタナが咲いていて、モンキアゲハが吸蜜に訪れていました。
奈留千畳敷に行く山道の峠付近にクロセセリがいました。
同じ山道にダンギクが咲いていました。ダンギクは九州独特の植物ですが、この花を見ると九州に来ていることを実感します。今日で三度目の息をハア ハアしてアカカメくんと峠まで登りました。
峠を越えたところで、奈留千畳敷の全容が見えて来ました。それにしても三度の峠越えを含め、自宅のパソコンで調べたところ、この日も走行距離は25キロを越えていました。
奈留千畳敷にとうちゃこです。岩場にはクロの幼虫の食草もありました。クロは何処に・・。
奈留千畳敷の海浜植物の花にアオスジアゲハが吸蜜していました。クロは見当たらない・・。
奈留千畳敷でクロを探しましたが、影も形も・・。残念ながらタイムリミットです。そして本ブログをご覧の皆さまに奈留島の海の碧さを伝えることができたでしょうか。
福江島に戻るため、奈留港の奈留ターミナルに戻り、福江港行きの定期船に乗りこみました。奈留ターミナルの売店で、奈留島の来島記念に奈留高校の生徒さんがデザインした「瞳を閉じて〜ゲンキにナルナル、ナルシマTシャツ」を買いました。今でも現役で、とても丈夫で長持ちしています。
奈留島。さらばでござる。また来るまで。
奈留島へは、福江港からフェリーに乗って出発です。
奈留島の奈留港に到着しました。奈留島ってどんな島だろう。ワクワクです。
まずは案内版で行き先の確認です。奈留島にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑は、青春をユーミンの歌と共に過ごした世代としては、絶対に行かねばなりませぬ。目的は「遠いところにいる友達に(潮騒の音がもう一度届くように)海の碧さをもう一度伝えるために・・・」(歌詞の丸写し、ご勘弁。)
江上天主堂までは片道7.6キロ。なんてことはないと思いましたが・・あま〜い。
奈留港の近くにソテツ並木がありました。
ソテツ並木にはすっかりおなじみのクロマダラソテツシジミがいました。
クロマダラソテツシジミがメスをめぐって追いかけっこ。クロ○○とつきますが、目的のクロではありません。
奈留港近くに咲いていたニラの花で、普段は南の島にいるカバマダラが飛んでいました。
カバマダラもメスをめぐって追いかけっこ。カバマダラは、ニラの花がよく似合います。
アカタテハもランタナの花で吸蜜していました。ランタナの花はチョウに大人気です。
地べたにはベッコウバチが大きなクモの獲物を引っ張っていました。
レンタサイクルの「アカカメ号」に乗って、奈留高校にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑にとうちゃこ。この歌碑と関係ないことですが、お名前が「瞳」さん、曰く『「瞳を開けて」って死んでるってことじゃないの。』おっしゃるとおりです。閉じててよかった。
現在、江上天主堂の見学をするには「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーション」に事前連絡が必要ですが、訪問した当時は、奈留島の繁華街の外れにある奈留教会に江上天主堂の見学を申し込み、鍵を借りることになってました。さっそく奈留教会に見学の申し込みに行きました。教会の花壇は、信者の方が手入れをされているようで、キレイな花がたくさん咲いていました。写真は花壇の先にあるルルドです。
ルルドにはナツズイセンが綺麗に咲いていました。
花壇に咲いているランタナの花にアオスジアゲハが吸蜜に訪れていました。奈留教会を背景にパチリ。
動きのはやいアオスジアゲハもランタナの花で吸蜜に夢中です。
ナミハゲハも吸蜜に訪れていました。
カラスアゲハまで吸蜜に訪れていました。奈留教会の花壇でたくさんのチョウの写真を撮らせていただき、教会の方に感謝します。
奈留教会で江上天主堂の鍵を借り、レンタサイクルで江上天主堂を目指し奈留島の道を北上ました。途中の夏井漁港に到着です。
夏井漁港の海に目をやると小魚がいっぱい泳いでました。奈留島はこの豊かな海の恵みで成り立っているようです。地元の方に魚の種類の名前を教えていただきましたが、頭の中の消しゴムがすべてを消し去ってしまいました。
奈留島の西海岸にある江上天主堂に行くには、ここから快適な自然遊歩道の山道を越えて、天主堂まで行けるのかと思いましたが、この自然遊歩道は、とんでもない道で人気が全くないらしく、たくさんの蜘蛛の巣に覆われ、歩くのがたいへんでした。
蜘蛛の巣だらけの山道を自転車を押しながら、息をハア ハアして登りました。あとから分かったことですが、立派な車道のトンネルがこの下を通っていました。
山道を下りて、海沿いの道を進むと世界文化遺産の構成資産、江上天主堂にとうちゃこ。江上天主堂は、国の重要文化財でもあります。
江上天主堂は、他にも数々の教会建築を手がけた鉄川与助棟梁が建てた教会の一つです。水色の窓とクリーム色の壁の配色が上品で、大正時代に建てられた建物とは思えないモダンさがあります。
江上天主堂のバラ窓の飾りは、ステンドグラスの代わりに木製の水色のバラの花でした。
江上天主堂の窓ガラスは、高価なステンドグラスの代わりに、信者の方が手描きした黄色いバラの花が描かれていました。この手描きのバラ模様のことをNHKのドキュメント番組が「幸せの黄色いバラ」と紹介していました。
江上集落を海から眺めました。江上天主堂は、その当時の集落の信者の方がキビナゴ漁で稼いだ資金と信者の方の労働奉仕により建てたそうです。
今回は出番が少ないですか、レンタサイクル「アカカメくん」を大串湾をバックに撮影しました。アカカメくんに乗って奈留島の大串湾の海沿いの道を南下しました。
大串湾の海岸でイシガケチョウが産卵していました。
奈留島はふつうは南の島で生えているハマジンチョウの北限になるそうです。ハマジンチョウは熱帯ではマンゴローブを形成する植物の一種のようです。
奈留島のハマジンチョウ群落地は南の島のマングローブ林とは異なった雰囲気です。この群落地は現在は国の天然記念物のようです。
ハマジンチョウ群落地にユッカ蘭が咲いていました。
大串湾をさらに行くとビーチロックという天然のコンクリートの浜がありました。
ビーチロックを見たことも聞いたこともなかったのですが、この浜も天然記念物です。
江上集落から同じ道を戻るのもなんですからと、西海岸の海沿いの道を南下しました。ところが、すぐにつづら折りのものすごい山道になり、またもやアカカメくんを押しながら息をハア ハアして登りました。こんなことなら前に来た道を行った方がよかったと後悔ばかり。「こころ旅」の火野正平さんなら「息をハア ハアしたいのなら夜の私の部屋で。」と冗談の一つも出ますが、とてもそんなこと・・。とうちゃこした小田河原展望台は奈留島と久賀島の海峡である「奈留瀬戸」が、よーく見えました。
展望台からは長い下り坂。「人生下り坂、最高!」今回も叫んでしまいました。
次に奈留港の南にある奈留千畳敷に向かいました。その途中にある漁港の岸辺には、たくさんのランタナが咲いていて、モンキアゲハが吸蜜に訪れていました。
奈留千畳敷に行く山道の峠付近にクロセセリがいました。
同じ山道にダンギクが咲いていました。ダンギクは九州独特の植物ですが、この花を見ると九州に来ていることを実感します。今日で三度目の息をハア ハアしてアカカメくんと峠まで登りました。
峠を越えたところで、奈留千畳敷の全容が見えて来ました。それにしても三度の峠越えを含め、自宅のパソコンで調べたところ、この日も走行距離は25キロを越えていました。
奈留千畳敷にとうちゃこです。岩場にはクロの幼虫の食草もありました。クロは何処に・・。
奈留千畳敷の海浜植物の花にアオスジアゲハが吸蜜していました。クロは見当たらない・・。
奈留千畳敷でクロを探しましたが、影も形も・・。残念ながらタイムリミットです。そして本ブログをご覧の皆さまに奈留島の海の碧さを伝えることができたでしょうか。
福江島に戻るため、奈留港の奈留ターミナルに戻り、福江港行きの定期船に乗りこみました。奈留ターミナルの売店で、奈留島の来島記念に奈留高校の生徒さんがデザインした「瞳を閉じて〜ゲンキにナルナル、ナルシマTシャツ」を買いました。今でも現役で、とても丈夫で長持ちしています。
奈留島。さらばでござる。また来るまで。
私の巡礼の年(島原半島原城跡編)(長崎キリシタン世界遺産)【ヒメアカタテハ、ヤマトシジミ、ナミアゲハなど】 [長崎県]
長崎県の海岸にいる「海のクロツバメ●ジミ」(略してクロ)を探しながら島原半島まで来ました。
島原半島にある「原城跡」は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界文化遺産に登録されました。
島原半島でクロを探す旅は「島原半島ジオパーク編」で報告させていただくことにしますが・・いつのことになるやら。
長崎の空の玄関口、長崎空港へ行く道は、海の中に続く長い橋を渡ることになります。その橋の袂に天正遣欧少年使節の4人の銅像が建っていました。4人の少年はいずれも島原半島にあった有馬セミナリヨ(キリスト教の神学校)の出身で、広い海を渡って、遠くヨーロッパで活躍した初めての日本人かも。
島原半島にある天然の良港、口之津港には、ここに南蛮船で入港した巡察師ヴァリニャーノ神父の胸像が建っていました。巡察師ヴァリニャーノは、有馬氏などキリシタン 大名の庇護のもと、キリスト教の布教を目的とした日本人宣教師を養成するため、島原半島にセミナリヨやコレジョを開校しました。そして有馬セミナリヨの学生から選ばれた4人の少年を遠くローマまで連れていきました。
有馬セミナリヨ跡に着きました。天正遣欧少年使節の少年たちがここで学んでいたと思うと感慨深いものがあります。目を閉じて耳をすませば、少年たちが歌う聖歌が天使の歌声のように聞こえてきました。
昔、近江(滋賀県)にある安土城の城下町には、有馬セミナリヨと同じ神学校の安土セミナリヨが建っていました。現在、安土セミナリヨがあった跡は公園になっていて、解説板が立ってました。その解説板によると左上の施設が有馬セミナリヨ、左下が安土セミナリヨのようです。
安土セミナリヨ跡の公園です。安土セミナリヨは、織田信長が本能寺の変で亡くなると暴徒の略奪等にあって破壊されてしまったようです。
熱海市にあるMOA美術館の至宝の一つに「洋人奏楽図屛風」(国重要文化財)があります。ものすごく美しい絵ですが、描かれている人物がなんか日本人っぽいです。それは桃山時代に日本で日本人が油絵具を使って描いたからだそうです。この絵が有馬や安土のセミナリヨで学んだ宣教師のたまごが描いて、このような綺麗な状態で残っていたとしたら、それだけで感激ものです。
有馬セミナリヨへの道の脇にある畑で、ヒメアカタテハが吸蜜していました。
同じくヤマトシジミも吸蜜していました。
南島原市の加津佐にもセミナリヨやコレジョの史跡があります。作家の司馬遼太郎さんも「街道をゆく」の中で、この史跡を探したように描かれていますが、私も探して、やっとさ、とうちゃこしました。加津佐コレジョには天正遣欧少年使節一行が持ち帰った活版印刷機が置かれ、西洋の印刷技術と絵画文化が日本もたらされたようです。
数年前、キリシタン大名有馬氏の居城「日野江城」跡にも行ってきました。日野江城は、今回の世界文化遺産の選から漏れましたが、キリシタン大名の有馬氏の栄華を物語る城です。有馬氏は4万石の小大名ですが、キリスト教の布教を引き換えに南蛮貿易で莫大な収益を得ていたようです。
訪問した当時、日野江城は世界文化遺産の登録に向けて発掘調査の真っ最中で、調査をしている方から日野江城のことについて、いろいろと教えていただきました。ここからは豊臣秀吉と繋がりがある金箔が施された瓦が掘り出されているそうです。
日野江城を築城するにあたって、石垣にはキリスト教布教のため破壊された仏教寺院の石灯籠などが使われていたようで、例えば真ん中にある六角形の石垣がそれのようです。
本丸に向かう階段にも仏教寺院の五輪塔の石などが使われていたようです。右下第2列目の四角の石は、そのような痕跡(梵字)が石に刻まれていました。その後、この発掘現場は埋め戻され、今はこの階段を見ることができないようです。
日野江城跡や原城跡で発掘されたものは、南島原市の有馬キリシタン遺産記念館で見ることができます。学芸員の方が詳しく解説してくれるのでオススメポイントです。
有馬キリシタン遺産記念舘の前庭のソテツの木にいたのはクロマダラソテツシジミでした。もともとは南の島のチョウでしたが、この旅行中、普通に見ることができました。
有馬キリシタン遺産記念館からの帰り道。田んぼの畔に咲いていた曼珠沙華にナミアゲハが吸蜜に訪れていました。
いよいよ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「原城跡」に到着です。島原・天草一揆の出来事は長くなりますので、その筋の書籍やホームページ、ブログ等を参考にしていただければと思います。
原城の二の丸跡は畑に利用されていました。二の丸跡を横切る道からは有明海と本丸跡の石垣が見えました。原城は三方を海に囲まれ、本丸には高い石垣が築かれていたので、難攻不落の城だったようです。
原城の二の丸跡から見た本丸跡です。江戸幕府は二度とこのような一揆が起きないよう原城を徹底的に破壊したそうですが、意外と石垣が残っているじゃん。
二の丸跡と本丸跡の境に石のお地蔵様が建っていました。島原・天草一揆で籠城した老若男女3万7千人はみな殺され、幕府軍も相当な死傷者が出たそうです。一揆の後、当地の僧侶や住民が戦闘で亡くなった人の遺体を敵味方の区別なく埋め、供養のためのお地蔵様を建てたそうです。お地蔵様は、ほねかみ地蔵というそうです。
ほねかみ地蔵の前にヒガンバナが咲いていました。その花にナミアゲハが訪れていました。
モンキアゲハも飛んでいました。
本丸跡には一揆の指導者の天草四郎の墓がたっていました。島原・天草一揆の終結後、江戸幕府は徹底したキリシタン弾圧を行いました。そのためキリスト教信者は長崎県各地に潜伏して信仰するようになったそうです。
本丸跡に植えられているジュウガツサクラの枝先にチラホラと花が咲いていました。
本丸跡から二の丸跡ごしに今は静かになった雲仙岳が見えました。
本丸跡の外れに天草に向かって人の石像が立っていました。一人目は外国人宣教師、真ん中は天草四郎っぽい若武者、3人目は女性像のようでした。天草を故郷とする天草四郎。その哀愁を誘うような石像です。
本丸跡の一画にキバナコスモスが咲いているお花畑があり、様々なチョウが吸蜜に訪れてました。モンキアゲハもその一つです。
アカタテハも熱心に吸蜜していました。
青空をバックにナミアゲハの飛翔をパチリ。
南の島から飛んできたと思われるリュウキュウムラサキがキバナコスモスで吸蜜していました。
「ようこそ。南の島から広い海をこえて島原まで飛んで来てくれました。」リュウキュウムラサキに語りかけました。
「はるか昔、ここから大きな海を渡って欧州まで行った少年たちがいることを忘れないで・・」リュウキュウムラサキも私に囁きかけてきたようでした。
島原半島にある「原城跡」は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界文化遺産に登録されました。
島原半島でクロを探す旅は「島原半島ジオパーク編」で報告させていただくことにしますが・・いつのことになるやら。
長崎の空の玄関口、長崎空港へ行く道は、海の中に続く長い橋を渡ることになります。その橋の袂に天正遣欧少年使節の4人の銅像が建っていました。4人の少年はいずれも島原半島にあった有馬セミナリヨ(キリスト教の神学校)の出身で、広い海を渡って、遠くヨーロッパで活躍した初めての日本人かも。
島原半島にある天然の良港、口之津港には、ここに南蛮船で入港した巡察師ヴァリニャーノ神父の胸像が建っていました。巡察師ヴァリニャーノは、有馬氏などキリシタン 大名の庇護のもと、キリスト教の布教を目的とした日本人宣教師を養成するため、島原半島にセミナリヨやコレジョを開校しました。そして有馬セミナリヨの学生から選ばれた4人の少年を遠くローマまで連れていきました。
有馬セミナリヨ跡に着きました。天正遣欧少年使節の少年たちがここで学んでいたと思うと感慨深いものがあります。目を閉じて耳をすませば、少年たちが歌う聖歌が天使の歌声のように聞こえてきました。
昔、近江(滋賀県)にある安土城の城下町には、有馬セミナリヨと同じ神学校の安土セミナリヨが建っていました。現在、安土セミナリヨがあった跡は公園になっていて、解説板が立ってました。その解説板によると左上の施設が有馬セミナリヨ、左下が安土セミナリヨのようです。
安土セミナリヨ跡の公園です。安土セミナリヨは、織田信長が本能寺の変で亡くなると暴徒の略奪等にあって破壊されてしまったようです。
熱海市にあるMOA美術館の至宝の一つに「洋人奏楽図屛風」(国重要文化財)があります。ものすごく美しい絵ですが、描かれている人物がなんか日本人っぽいです。それは桃山時代に日本で日本人が油絵具を使って描いたからだそうです。この絵が有馬や安土のセミナリヨで学んだ宣教師のたまごが描いて、このような綺麗な状態で残っていたとしたら、それだけで感激ものです。
有馬セミナリヨへの道の脇にある畑で、ヒメアカタテハが吸蜜していました。
同じくヤマトシジミも吸蜜していました。
南島原市の加津佐にもセミナリヨやコレジョの史跡があります。作家の司馬遼太郎さんも「街道をゆく」の中で、この史跡を探したように描かれていますが、私も探して、やっとさ、とうちゃこしました。加津佐コレジョには天正遣欧少年使節一行が持ち帰った活版印刷機が置かれ、西洋の印刷技術と絵画文化が日本もたらされたようです。
数年前、キリシタン大名有馬氏の居城「日野江城」跡にも行ってきました。日野江城は、今回の世界文化遺産の選から漏れましたが、キリシタン大名の有馬氏の栄華を物語る城です。有馬氏は4万石の小大名ですが、キリスト教の布教を引き換えに南蛮貿易で莫大な収益を得ていたようです。
訪問した当時、日野江城は世界文化遺産の登録に向けて発掘調査の真っ最中で、調査をしている方から日野江城のことについて、いろいろと教えていただきました。ここからは豊臣秀吉と繋がりがある金箔が施された瓦が掘り出されているそうです。
日野江城を築城するにあたって、石垣にはキリスト教布教のため破壊された仏教寺院の石灯籠などが使われていたようで、例えば真ん中にある六角形の石垣がそれのようです。
本丸に向かう階段にも仏教寺院の五輪塔の石などが使われていたようです。右下第2列目の四角の石は、そのような痕跡(梵字)が石に刻まれていました。その後、この発掘現場は埋め戻され、今はこの階段を見ることができないようです。
日野江城跡や原城跡で発掘されたものは、南島原市の有馬キリシタン遺産記念館で見ることができます。学芸員の方が詳しく解説してくれるのでオススメポイントです。
有馬キリシタン遺産記念舘の前庭のソテツの木にいたのはクロマダラソテツシジミでした。もともとは南の島のチョウでしたが、この旅行中、普通に見ることができました。
有馬キリシタン遺産記念館からの帰り道。田んぼの畔に咲いていた曼珠沙華にナミアゲハが吸蜜に訪れていました。
いよいよ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「原城跡」に到着です。島原・天草一揆の出来事は長くなりますので、その筋の書籍やホームページ、ブログ等を参考にしていただければと思います。
原城の二の丸跡は畑に利用されていました。二の丸跡を横切る道からは有明海と本丸跡の石垣が見えました。原城は三方を海に囲まれ、本丸には高い石垣が築かれていたので、難攻不落の城だったようです。
原城の二の丸跡から見た本丸跡です。江戸幕府は二度とこのような一揆が起きないよう原城を徹底的に破壊したそうですが、意外と石垣が残っているじゃん。
二の丸跡と本丸跡の境に石のお地蔵様が建っていました。島原・天草一揆で籠城した老若男女3万7千人はみな殺され、幕府軍も相当な死傷者が出たそうです。一揆の後、当地の僧侶や住民が戦闘で亡くなった人の遺体を敵味方の区別なく埋め、供養のためのお地蔵様を建てたそうです。お地蔵様は、ほねかみ地蔵というそうです。
ほねかみ地蔵の前にヒガンバナが咲いていました。その花にナミアゲハが訪れていました。
モンキアゲハも飛んでいました。
本丸跡には一揆の指導者の天草四郎の墓がたっていました。島原・天草一揆の終結後、江戸幕府は徹底したキリシタン弾圧を行いました。そのためキリスト教信者は長崎県各地に潜伏して信仰するようになったそうです。
本丸跡に植えられているジュウガツサクラの枝先にチラホラと花が咲いていました。
本丸跡から二の丸跡ごしに今は静かになった雲仙岳が見えました。
本丸跡の外れに天草に向かって人の石像が立っていました。一人目は外国人宣教師、真ん中は天草四郎っぽい若武者、3人目は女性像のようでした。天草を故郷とする天草四郎。その哀愁を誘うような石像です。
本丸跡の一画にキバナコスモスが咲いているお花畑があり、様々なチョウが吸蜜に訪れてました。モンキアゲハもその一つです。
アカタテハも熱心に吸蜜していました。
青空をバックにナミアゲハの飛翔をパチリ。
南の島から飛んできたと思われるリュウキュウムラサキがキバナコスモスで吸蜜していました。
「ようこそ。南の島から広い海をこえて島原まで飛んで来てくれました。」リュウキュウムラサキに語りかけました。
「はるか昔、ここから大きな海を渡って欧州まで行った少年たちがいることを忘れないで・・」リュウキュウムラサキも私に囁きかけてきたようでした。
私の巡礼の年(五島列島久賀島旧五輪教会堂編)(長崎キリシタン世界遺産)【カラスアゲハ、モンキアゲハ、アカタテハ、クロマダラソテツシジミなど】 [長崎県]
長崎県の海岸にいる「海のクロツバメ●ジミ」(略してクロ)を探しながら巡礼の旅をしています。
そして、これまでの巡礼でお参りさせていただいた教会とその周りの集落は、2018年7月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界文化遺産に登録されました。おめでとうございます。
それにしても「私の巡礼の年」はいったいいつ終わるのだろうか。
NHKBS放送で放映している「こころ旅」が大好きで、いつも録画して見てます。その初回分の放送は、五島列島での楽しい出来事でした。私も五島列島で自転車旅行がしてみたい。
てなことで、数年前、長崎県の西の端に位置する五島列島に行ってきました。その五島列島の西から2番目に位置するのが久賀島です。久賀島へは、福江島の福江港から久賀島の田ノ浦港まで定期船に乗って行きました。定期船に福江島で借りたレンタルサイクルを載せて出航です。
定期船から見た福江島。鬼岳(色が変わっている山)がよく見えました。
定期船から見た久賀島。浜脇教会が見えました。
久賀島に到着しました。レンタルサイクル「アカスジカメムシ号」略して「アカカメくん」も一緒です。
久賀島は馬蹄形の形をしています。その久賀島の西側にある田の上港から東側のある世界文化遺産の構成資産「旧五輪教会堂」までは、片道14キロ、往復28キロの道。アカカメくんに乗って出発しました。
田の浦港から浜脇教会がよく見えました。その背後にそびえ立つ山並みが、片道14キロの道のりをさらに困難なもののにしていました。がんばるぞ。
浜脇教会に到着。鉄筋コンクリート構造で、ゴシック様式の尖塔が美しい教会です。
教会の脇にあるソテツの木に小さなチョウが止まっていました。
名前も姿形も「クロ」に似ているクロマダラソテツシジミでした。
9月下旬の五島列島は、タカの仲間のハチクマが渡りをするため、ここにいったん集結するそうです。特に福江島の大瀬崎は有名ですが、その迫力ある渡りの様子は、また別の機会に・・。この日は朝から良い天気。浜脇教会の上空でもタカの仲間がたくさん集まっており、タカ柱を観ることが出来ました。ラッキー。
やっぱり、浜脇教会から本格的な登り坂となりました。振り返ると下方に浜脇教会の尖塔が見えました。
登り坂の途中に壁から水が湧いているところがあり、その水をアオスジアゲハが吸っていました。
同じところでナミアゲハも吸水していました。私も登り坂で喉がカラカラでした。ここで吸水タイム。
峠を越え、下り坂になると「人生下り坂、最高!」と叫んでしまいます。下り坂を降りた久賀湾の海岸は、干潟の海が広がっていました。
潜伏キリシタンを襲った悲しみひとつ、牢屋の窄に到着しました。詳しいことは(本ブログは自然観察が中心なので・・)ぜひ、書籍やその筋のホームページ、ブログなどでご確認ください。
ここから目的の旧五輪教会堂までは、8キロ以上残っています。まだ半分も来ていません。
牢屋の窄殉教記念教会にお参りして、さあ、出発。
道の途中、棚田が広がっているところがありましたが、すでに稲刈りが終わっていました。(9月下旬ですが。)海は車海老の養殖場が広がっていました。ここからは再度、山道を登ります。
山道の道沿いに咲いていたクサギの花にカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
久賀島の棚田や集落の景観は、国の「五島市久賀島の文化的景観」に認定されています。蕨集落から道は東海岸を進みます。ここからの海岸線は断崖絶壁となり、道はさらに細くなります。この海岸線は西海国立公園の一部でもあります。
海岸線の道沿いでモンキアゲハが愛し合っていました。
久賀島東部の海岸線と五島列島の島々。鳥小島の先に隣にある奈留島がよく見えました。
ここからは、断崖の海岸線沿いの細い道となります。さっそく自然観察開始です。ルリシジミが産卵していました。
ヒメアカタテハが石の上に止まってました。
海岸近くの道にはアカテガニもいました。アカを探しているわけではありません
秋の七草の一つ。ハギの花。
熱帯植物のブーゲンビリアも咲いていました。
旧五輪教会堂への歩道入口に到着しました。ここからは歩いて行きますので、アカカメくんとはいったんお別れです。
歩道にはアコウの巨樹がありました。
ショウキスイセンとは思いますが、もしかしたら・・。違っていたらごめんなさい
ジンジャーの花も咲いていました。
久賀島五輪の集落にとうちゃこ。
旧五輪教会堂です。和風の家は一見、教会には見えません。でも「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する世界文化遺産の施設です。
入口には教会の印、十字架が掲げられていました。旧五輪教会堂は長崎の大浦天主堂に次いで建てられたそうで、国の重要文化財です。
旧五輪教会堂の内部です。現在、長崎県の世界文化遺産を構成する教会の内部の撮影は原則できません。しかし、ここを訪問した当時は、教会の行事が無ければ・・でしたので・・しました。
旧五輪教会堂の祭壇です。
旧五輪教会堂のステンドグラス。ガラスに色セロファンを貼り付けた手作りだそうです。
「恋人よ」の歌手の五輪真弓さんのお父さんは五輪集落の出身だそうです。
帰り道はお尻の痛みに耐えながら、なんとか船の出航時間前に田の浦港に到着しました。
そして田の浦港に定期船が入港しました。
予想はしていましたが、今回もクロの影は全くなしでした。それでも歴史を感じる素晴らしい巡礼旅行ができました。久賀島。また来るまで。
次回は、お隣の奈留島での、ここ●旅です。
旧五輪教会堂の内部写真を掲載させていただきましたが、ダメな場合はご連絡いただければ削除します。
そして、これまでの巡礼でお参りさせていただいた教会とその周りの集落は、2018年7月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界文化遺産に登録されました。おめでとうございます。
それにしても「私の巡礼の年」はいったいいつ終わるのだろうか。
NHKBS放送で放映している「こころ旅」が大好きで、いつも録画して見てます。その初回分の放送は、五島列島での楽しい出来事でした。私も五島列島で自転車旅行がしてみたい。
てなことで、数年前、長崎県の西の端に位置する五島列島に行ってきました。その五島列島の西から2番目に位置するのが久賀島です。久賀島へは、福江島の福江港から久賀島の田ノ浦港まで定期船に乗って行きました。定期船に福江島で借りたレンタルサイクルを載せて出航です。
定期船から見た福江島。鬼岳(色が変わっている山)がよく見えました。
定期船から見た久賀島。浜脇教会が見えました。
久賀島に到着しました。レンタルサイクル「アカスジカメムシ号」略して「アカカメくん」も一緒です。
久賀島は馬蹄形の形をしています。その久賀島の西側にある田の上港から東側のある世界文化遺産の構成資産「旧五輪教会堂」までは、片道14キロ、往復28キロの道。アカカメくんに乗って出発しました。
田の浦港から浜脇教会がよく見えました。その背後にそびえ立つ山並みが、片道14キロの道のりをさらに困難なもののにしていました。がんばるぞ。
浜脇教会に到着。鉄筋コンクリート構造で、ゴシック様式の尖塔が美しい教会です。
教会の脇にあるソテツの木に小さなチョウが止まっていました。
名前も姿形も「クロ」に似ているクロマダラソテツシジミでした。
9月下旬の五島列島は、タカの仲間のハチクマが渡りをするため、ここにいったん集結するそうです。特に福江島の大瀬崎は有名ですが、その迫力ある渡りの様子は、また別の機会に・・。この日は朝から良い天気。浜脇教会の上空でもタカの仲間がたくさん集まっており、タカ柱を観ることが出来ました。ラッキー。
やっぱり、浜脇教会から本格的な登り坂となりました。振り返ると下方に浜脇教会の尖塔が見えました。
登り坂の途中に壁から水が湧いているところがあり、その水をアオスジアゲハが吸っていました。
同じところでナミアゲハも吸水していました。私も登り坂で喉がカラカラでした。ここで吸水タイム。
峠を越え、下り坂になると「人生下り坂、最高!」と叫んでしまいます。下り坂を降りた久賀湾の海岸は、干潟の海が広がっていました。
潜伏キリシタンを襲った悲しみひとつ、牢屋の窄に到着しました。詳しいことは(本ブログは自然観察が中心なので・・)ぜひ、書籍やその筋のホームページ、ブログなどでご確認ください。
ここから目的の旧五輪教会堂までは、8キロ以上残っています。まだ半分も来ていません。
牢屋の窄殉教記念教会にお参りして、さあ、出発。
道の途中、棚田が広がっているところがありましたが、すでに稲刈りが終わっていました。(9月下旬ですが。)海は車海老の養殖場が広がっていました。ここからは再度、山道を登ります。
山道の道沿いに咲いていたクサギの花にカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
久賀島の棚田や集落の景観は、国の「五島市久賀島の文化的景観」に認定されています。蕨集落から道は東海岸を進みます。ここからの海岸線は断崖絶壁となり、道はさらに細くなります。この海岸線は西海国立公園の一部でもあります。
海岸線の道沿いでモンキアゲハが愛し合っていました。
久賀島東部の海岸線と五島列島の島々。鳥小島の先に隣にある奈留島がよく見えました。
ここからは、断崖の海岸線沿いの細い道となります。さっそく自然観察開始です。ルリシジミが産卵していました。
ヒメアカタテハが石の上に止まってました。
海岸近くの道にはアカテガニもいました。アカを探しているわけではありません
秋の七草の一つ。ハギの花。
熱帯植物のブーゲンビリアも咲いていました。
旧五輪教会堂への歩道入口に到着しました。ここからは歩いて行きますので、アカカメくんとはいったんお別れです。
歩道にはアコウの巨樹がありました。
ショウキスイセンとは思いますが、もしかしたら・・。違っていたらごめんなさい
ジンジャーの花も咲いていました。
久賀島五輪の集落にとうちゃこ。
旧五輪教会堂です。和風の家は一見、教会には見えません。でも「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する世界文化遺産の施設です。
入口には教会の印、十字架が掲げられていました。旧五輪教会堂は長崎の大浦天主堂に次いで建てられたそうで、国の重要文化財です。
旧五輪教会堂の内部です。現在、長崎県の世界文化遺産を構成する教会の内部の撮影は原則できません。しかし、ここを訪問した当時は、教会の行事が無ければ・・でしたので・・しました。
旧五輪教会堂の祭壇です。
旧五輪教会堂のステンドグラス。ガラスに色セロファンを貼り付けた手作りだそうです。
「恋人よ」の歌手の五輪真弓さんのお父さんは五輪集落の出身だそうです。
帰り道はお尻の痛みに耐えながら、なんとか船の出航時間前に田の浦港に到着しました。
そして田の浦港に定期船が入港しました。
予想はしていましたが、今回もクロの影は全くなしでした。それでも歴史を感じる素晴らしい巡礼旅行ができました。久賀島。また来るまで。
次回は、お隣の奈留島での、ここ●旅です。
旧五輪教会堂の内部写真を掲載させていただきましたが、ダメな場合はご連絡いただければ削除します。
おいしい初夏(はつなつ)【モンシロチョウ、ベニシジミ、キタテハ、サトキマダラヒカゲ】 [神奈川県 厚木市]
前回と同じく神奈川県厚木市郊外の里山での出来事です。
里山への道沿いには紫陽花が植えられていました。
ハートの形をした紫陽花の花を発見しました。幸せのハート紫陽花。この写真を会社の仲間にシェアして幸せをおすそ分け。
雨の日は、みずみずしい紫陽花をパチリ。きれいだな。
麦の穂が実りました。畑の花の写真をとっていたら農家の方が採れたてのキュウリを1本くれました。これで私も里山の住民と認定されたのかな。おいしい初夏(はつなつ)のおすそ分けはうれしいなあ。
大きなヤマモモの木にたくさんの実がなっていました。持ち主の許可を得て、ヤマモモ摘み。その実をジャムにして会社の仲間においしい初夏のおすそ分け。いただいたり、あげたり、おいしいものには自然と笑顔の輪。
可愛い初夏のベニシジミ。
立葵の花。
立葵でモンシロチョウが吸蜜していました。
梅雨の頃、雨は花を生き生きさせます。雨上がりのジャーマンアイリスの花もみずみずしい。
ジャーマンアイリスの花の上でモンシロチョウが休憩してました。贅沢なドイツ製の椅子。
ムシトリナデシコにもモンシロチョウが吸蜜に訪れました。
じっとみると足が蜘蛛の巣に引っかかっています。大丈夫かな。
キタテハを発見しました。
サトキマダラヒカゲも発見しました。
モンシロチョウがアガパンサスで吸蜜していました。やったね。
アガパンサスの蜜はおいしいらしく、ずーっと吸蜜していました。これもおいしい初夏の出来事。
ノウゼンカズラが咲いていました。アゲハが飛来することはありませんでした。
初夏の頃は、まだ田んぼの水面に青空が写っていました。今はもう見ることがない景色。
里山に禊萩(ミソハギ)の花が咲き誇ります。この別名「盆花」が咲き終わると本格的な夏。キクの仲間の花が咲く頃まで、花が少なくなりチョウも飛ばなくなります
実りの秋の里山もおいしく楽しみたいな。
里山への道沿いには紫陽花が植えられていました。
ハートの形をした紫陽花の花を発見しました。幸せのハート紫陽花。この写真を会社の仲間にシェアして幸せをおすそ分け。
雨の日は、みずみずしい紫陽花をパチリ。きれいだな。
麦の穂が実りました。畑の花の写真をとっていたら農家の方が採れたてのキュウリを1本くれました。これで私も里山の住民と認定されたのかな。おいしい初夏(はつなつ)のおすそ分けはうれしいなあ。
大きなヤマモモの木にたくさんの実がなっていました。持ち主の許可を得て、ヤマモモ摘み。その実をジャムにして会社の仲間においしい初夏のおすそ分け。いただいたり、あげたり、おいしいものには自然と笑顔の輪。
可愛い初夏のベニシジミ。
立葵の花。
立葵でモンシロチョウが吸蜜していました。
梅雨の頃、雨は花を生き生きさせます。雨上がりのジャーマンアイリスの花もみずみずしい。
ジャーマンアイリスの花の上でモンシロチョウが休憩してました。贅沢なドイツ製の椅子。
ムシトリナデシコにもモンシロチョウが吸蜜に訪れました。
じっとみると足が蜘蛛の巣に引っかかっています。大丈夫かな。
キタテハを発見しました。
サトキマダラヒカゲも発見しました。
モンシロチョウがアガパンサスで吸蜜していました。やったね。
アガパンサスの蜜はおいしいらしく、ずーっと吸蜜していました。これもおいしい初夏の出来事。
ノウゼンカズラが咲いていました。アゲハが飛来することはありませんでした。
初夏の頃は、まだ田んぼの水面に青空が写っていました。今はもう見ることがない景色。
里山に禊萩(ミソハギ)の花が咲き誇ります。この別名「盆花」が咲き終わると本格的な夏。キクの仲間の花が咲く頃まで、花が少なくなりチョウも飛ばなくなります
実りの秋の里山もおいしく楽しみたいな。
彦星の涙【クロアゲハ、キタテハ】 [神奈川県 厚木市]
神奈川県厚木市の郊外にある畑や田んぼの周りは、農家の方がきれいにお花を植えられています。早起きして、毎朝、そのお花たちに舞い踊るチョウと戯れています。楽しいー〜ー嬉しい。
今日は七夕。日本各地で大雨が降って洪水が起きています。天空でも、この雨で天の川が増水し、彦星は織姫に会えることができなかったかもしれない。
厚木市の里山に麦秋の季節が訪れました。
田んぼの畔ではヘメロカリスが満開でした。
おや、おや。ヘメロカリスの花からアマガエルが顔を覗かせていました。
ヘメロカリスの花はアマガエルの隠れ家兼寝床のようです。「おはよう、朝ですよ。今日もいい天気です。」(アマガエルは「雨が好きなのさ。雨、雨、降れ、降れ・・」と鼻歌気分。)
大好きなユリの花が咲き始めました。甘い香りが漂います。「神様、お願い、アゲハチョウをこの花に・・」
そして、ユリは満開となりました。神様は、このシタゴコロを許してくれませんでした。今年も出会いがありませんでした。
クロアゲハが里山の林の入口で休憩中。あとちょこっとなのに・・
(7月14日、クロアゲハに訂正しました。)
7月になって里山にオニユリが咲き始めました。
大雨の朝、オニユリの花びらには大きな水たまり。水を運ぶ籠のよう。(実際は無理だけど。)
オニユリにたくさんの雨の雫が垂れ下がっていました。この雫は天の川の洪水で織姫に会えなかった彦星の涙なのでしょうか。一年に一回しか会えないのに・・(星の世界では何千年、何万年と同じことしていますけど。)
前日に撮影したキタテハです。七夕の願いは一つ。これからもたくさんの出会いがありますように。
追伸
今回の水害で亡くなわれた方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げます。
今日は七夕。日本各地で大雨が降って洪水が起きています。天空でも、この雨で天の川が増水し、彦星は織姫に会えることができなかったかもしれない。
厚木市の里山に麦秋の季節が訪れました。
田んぼの畔ではヘメロカリスが満開でした。
おや、おや。ヘメロカリスの花からアマガエルが顔を覗かせていました。
ヘメロカリスの花はアマガエルの隠れ家兼寝床のようです。「おはよう、朝ですよ。今日もいい天気です。」(アマガエルは「雨が好きなのさ。雨、雨、降れ、降れ・・」と鼻歌気分。)
大好きなユリの花が咲き始めました。甘い香りが漂います。「神様、お願い、アゲハチョウをこの花に・・」
そして、ユリは満開となりました。神様は、このシタゴコロを許してくれませんでした。今年も出会いがありませんでした。
クロアゲハが里山の林の入口で休憩中。あとちょこっとなのに・・
(7月14日、クロアゲハに訂正しました。)
7月になって里山にオニユリが咲き始めました。
大雨の朝、オニユリの花びらには大きな水たまり。水を運ぶ籠のよう。(実際は無理だけど。)
オニユリにたくさんの雨の雫が垂れ下がっていました。この雫は天の川の洪水で織姫に会えなかった彦星の涙なのでしょうか。一年に一回しか会えないのに・・(星の世界では何千年、何万年と同じことしていますけど。)
前日に撮影したキタテハです。七夕の願いは一つ。これからもたくさんの出会いがありますように。
追伸
今回の水害で亡くなわれた方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げます。
ただいま冬眠中【キアゲハ、スジグロシロチョウ】 [神奈川県 鎌倉市]
時は遡りますが、春のお彼岸の前。晴れ時々曇り。風がまだ冷たい日のこと。それでもチョウ探しに出発です。
近くの公園に到着。早咲きの桜が綺麗でした。
菜の花にはビロードツリアブが吸蜜していました。残念ながらチョウの気配全くなし。
サクラにはメジロの群れが吸蜜に訪れていました。
メジロを見ていたらうぐいす餅を食べたくなりました。チョウに出会いそうになかったので、鎌倉に移動しました。
別の機会に撮影したソメイヨシノで吸蜜しているスジグロシロチョウ。鎌倉で撮影しました。
時間が短かかったので、北鎌倉の明月院に行ってきました。人出が多い明月院ですが、早春の頃はまだ静かです。
サンシュユの黄色い花。
シデコブシは大好きな花。大輪の花だけど不思議な形。
明月院のハクモクレンの大きな木にはたくさんの白い花が咲いていました。高い位置に咲いているので、撮影も大変です。
早春の明月院の悟りの窓。
花想いの地蔵さま。これからは日に日に暖かくなってきますので、なんだか嬉しそう。今回もチョウにたくさん出会いますようにお願いしました。
明月院の瓶の井。井戸が春の装いをしていました。粋な計らい。
明月院の方丈の前に真っ赤なボケの花が咲いていました。
ボケの花にはメジロが訪れて吸蜜していました。ボケメジローと呼んでいいですか。
別の場所で撮影したボケの花で吸蜜するキアゲハ。ボケアゲハとは呼ばないで。
明月院の仲良しのウサギとカメは冬眠中でした。
以前に撮影したウサギとカメの不揃いの影。チョウも冬眠から目覚めて、姿を見せてください。
近くの公園に到着。早咲きの桜が綺麗でした。
菜の花にはビロードツリアブが吸蜜していました。残念ながらチョウの気配全くなし。
サクラにはメジロの群れが吸蜜に訪れていました。
メジロを見ていたらうぐいす餅を食べたくなりました。チョウに出会いそうになかったので、鎌倉に移動しました。
別の機会に撮影したソメイヨシノで吸蜜しているスジグロシロチョウ。鎌倉で撮影しました。
時間が短かかったので、北鎌倉の明月院に行ってきました。人出が多い明月院ですが、早春の頃はまだ静かです。
サンシュユの黄色い花。
シデコブシは大好きな花。大輪の花だけど不思議な形。
明月院のハクモクレンの大きな木にはたくさんの白い花が咲いていました。高い位置に咲いているので、撮影も大変です。
早春の明月院の悟りの窓。
花想いの地蔵さま。これからは日に日に暖かくなってきますので、なんだか嬉しそう。今回もチョウにたくさん出会いますようにお願いしました。
明月院の瓶の井。井戸が春の装いをしていました。粋な計らい。
明月院の方丈の前に真っ赤なボケの花が咲いていました。
ボケの花にはメジロが訪れて吸蜜していました。ボケメジローと呼んでいいですか。
別の場所で撮影したボケの花で吸蜜するキアゲハ。ボケアゲハとは呼ばないで。
明月院の仲良しのウサギとカメは冬眠中でした。
以前に撮影したウサギとカメの不揃いの影。チョウも冬眠から目覚めて、姿を見せてください。
京都の水と花とチョウを訪ねる旅その2【モンシロチョウ】 [京都府]
京都の水と花とチョウを訪ねる旅。今回は京都伏見で名水と酒蔵を巡る旅をしてきました。
2018年春のJRの旅行キャンペーンは京都伏見でした。それでって訳ではないのですが、伏見の名水めぐりに出発です。でも・・この案内板は京阪電鉄の中書島駅で掲げられていたものです。
満開の桜が、酒蔵工場の黒壁を彩ります。
宇治川流派の岸辺の満開の桜と十石舟。その先を京阪電車が通り過ぎます。
伏見にある長建寺。山門を満開の桜が彩ります。
伏見の名水その1。長建寺の閼伽水です。桜の花びらが水盤から流れ落ちます。
伏見の名水その2。最も人気のある白菊水です。白菊水は水をペットボトルに詰める人で長い行列をつくっていました。「観光客です。写真を撮らさせてください。」と喚いて、なんとか一枚撮った証拠写真です。ついでに一口、ゴクリ。図々しいもので・・。
白菊水は鳥料理屋の外れにありました。
伏見の名水その3。月桂冠大蔵記念館にある「さかみづ」です。
月桂冠大倉記念館は満開の桜が迎えてくれました。
大きな醸造樽が並ぶ月桂冠大蔵記念館の中庭。
キザクラカッパカントリーにも立ち寄りました。残念なことに桜の花はほとんどが散っていました。
キザクラカッパカントリーに少しだけ咲いていたウコン(遅咲きの八重桜の一品種名)。ウコンは黄色味を帯びた花を咲かせます。まさに黄桜です。
黄桜の酒樽の桜はこのウコンの花です。黄桜によれば創業者がこのサクラを好きだったそうです。
伏見の名水その4。黄桜の工場内にある伏水。ここでは水が出ていませんが、工場内の蛇口から水を汲む事が出来ます。
今回の名水巡りの最期は御香宮への参拝です。境内の桜が満開でした。
美しく彩られた御香宮本殿に枝垂桜が花を添えていました。
伏見の名水その5。御香宮にある御香水。その水はいろいろな伝説に彩られています。
京都、春の伏見を代表する風物詩のひとつ。赤レンガと黒壁が美しい松本酒造と土手に咲く菜の花との共演。以前はもっとたくさんの菜の花が咲いていたそうです。
松本酒造の前を流れる新高瀬川の土手には菜の花がたくさん咲いていて、「ちょうちょ」の歌のようにチョウがたくさん訪れていました。それでは皆様も♪♩〜ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ〜♪♩
♪♩〜なのはにあいたら〜♩♪ たまに浮気して別の花で吸蜜したりしていますが・・
モンシロチョウは黄色い花がお好みのようです。
京都市は条例により乾杯のお酒が日本酒で行なわれるようです。最近、スパークリング清酒が人気のようなので、伏見酒蔵巡りのお土産に購入しましたが・・。
お酒好きなのにお酒に弱いので、酒まんじゅうのお土産の方がちょっと嬉しかったりして・・。
2018年春のJRの旅行キャンペーンは京都伏見でした。それでって訳ではないのですが、伏見の名水めぐりに出発です。でも・・この案内板は京阪電鉄の中書島駅で掲げられていたものです。
満開の桜が、酒蔵工場の黒壁を彩ります。
宇治川流派の岸辺の満開の桜と十石舟。その先を京阪電車が通り過ぎます。
伏見にある長建寺。山門を満開の桜が彩ります。
伏見の名水その1。長建寺の閼伽水です。桜の花びらが水盤から流れ落ちます。
伏見の名水その2。最も人気のある白菊水です。白菊水は水をペットボトルに詰める人で長い行列をつくっていました。「観光客です。写真を撮らさせてください。」と喚いて、なんとか一枚撮った証拠写真です。ついでに一口、ゴクリ。図々しいもので・・。
白菊水は鳥料理屋の外れにありました。
伏見の名水その3。月桂冠大蔵記念館にある「さかみづ」です。
月桂冠大倉記念館は満開の桜が迎えてくれました。
大きな醸造樽が並ぶ月桂冠大蔵記念館の中庭。
キザクラカッパカントリーにも立ち寄りました。残念なことに桜の花はほとんどが散っていました。
キザクラカッパカントリーに少しだけ咲いていたウコン(遅咲きの八重桜の一品種名)。ウコンは黄色味を帯びた花を咲かせます。まさに黄桜です。
黄桜の酒樽の桜はこのウコンの花です。黄桜によれば創業者がこのサクラを好きだったそうです。
伏見の名水その4。黄桜の工場内にある伏水。ここでは水が出ていませんが、工場内の蛇口から水を汲む事が出来ます。
今回の名水巡りの最期は御香宮への参拝です。境内の桜が満開でした。
美しく彩られた御香宮本殿に枝垂桜が花を添えていました。
伏見の名水その5。御香宮にある御香水。その水はいろいろな伝説に彩られています。
京都、春の伏見を代表する風物詩のひとつ。赤レンガと黒壁が美しい松本酒造と土手に咲く菜の花との共演。以前はもっとたくさんの菜の花が咲いていたそうです。
松本酒造の前を流れる新高瀬川の土手には菜の花がたくさん咲いていて、「ちょうちょ」の歌のようにチョウがたくさん訪れていました。それでは皆様も♪♩〜ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ〜♪♩
♪♩〜なのはにあいたら〜♩♪ たまに浮気して別の花で吸蜜したりしていますが・・
モンシロチョウは黄色い花がお好みのようです。
京都市は条例により乾杯のお酒が日本酒で行なわれるようです。最近、スパークリング清酒が人気のようなので、伏見酒蔵巡りのお土産に購入しましたが・・。
お酒好きなのにお酒に弱いので、酒まんじゅうのお土産の方がちょっと嬉しかったりして・・。
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胡蝶の舞【ジャコウアゲハ】 [京都府]
昨年、京都、祇園祭の後祭を見に行って来ました。今日はその出来事と以前に行った酒造りの神様、松尾大社での出来事の2本立てです。
祇園祭の山鉾が目の前を巡行していきます。祇園祭当日、朝早くから並んで山鉾が辻廻しされる交差点の最前列を確保しました。後祭は前祭より人が少ないとのことですが、そんなことあらしまへん。
後祭の前日に行われた屏風祭。屏風を公開してくれる町屋の方々のなんてセンスある飾り方。これを見れば、何回でも京都に来たくなる。見たくなる。
祇園祭に飾られるヒオウギの生花は、悪霊退散の厄除けだそうです。京都の伝統だけでは語れないセンスの良さに惚れ惚れします。私にもこのセンスをすこし分けて欲しい。
南観音山を見学させていただきました。薬王観音を象徴する薬玉(くすだま)が四角を飾ります。
南観音山に祀られている揚柳観音と善財童子。揚柳観音は別名、薬王観音と呼ばれているそうです。
南観音山に宮中の舞楽を描いた古い刺繍織物が飾られていました。そのなかに源氏物語にも登場する「胡蝶」を舞う舞人の姿がありました。
「胡蝶」の舞は、蝶の翅を付けた衣装に身を包んだ四人の舞人が優雅に舞うそうです。(見たこと無いもので・・)舞人は、冠に山吹の花の小枝を刺し、手には山吹の花の枝を持って舞うそうです。(分かりにくい写真ですみません。)山吹の花が「胡蝶」の舞を飾ります。
祇園祭の宵山。明日はいよいよ山鉾巡行です。
南観音山は、山の後ろに揚柳観音(薬王観音)を象徴する柳の木を飾っています。この柳の葉は、巡行後、お守りとして配られるそうです。いま知ったので貰い損ないました。機会があれば・・そのときは・・
祇園祭は、各山鉾ごとに御神酒として酒樽などが飾られていました。京都府は日本酒生産量第2位の銘醸地です。
新年、松尾大社にお参りさせていただきました。松尾大社の鳥居には、脇勧請といって榊の小枝を束ねたものが12束飾られていました。神社の古い形態をいまに留める長い歴史を誇る大社です。
酒造りの神さまと言われている松尾大社。松尾大社にも酒蔵の軒に飾られる杉玉が飾られていました。
松尾大社には日本各地の酒蔵から奉納されたたくさんの酒樽が飾られていました。
春。松尾大社境内にたくさんの山吹の花が咲き誇っていました。酒樽といっしょにパチリ。インスタ映えするところ。
境内を流れる小川の両岸に山吹の花が咲き誇っていました。ここも松尾大社の撮影スポットの一つだそうです。
山吹の花が石垣から溢れるように咲いていました。
園芸種の八重山吹です。
松尾大社の八重山吹の花にジャコウアゲハが訪れていました。そして、それは山吹の花を手に舞う「胡蝶」の舞を披露してくれている舞人のようでした。
ジャコウアゲハと山吹の花が奏でる「胡蝶」の舞を存分に楽しませてもらいました。
松尾大社の山吹の花守り。「胡蝶の舞」の感謝のしるしにありがたく受領させていただきました。
松尾大社の伝説を彩る瀧御前。詳しいことはその筋のホームページ等でご確認下さい。
酒造りに欠かせない御神水「亀の井」は亀の口から出ています。おいしいお酒が飲めるように一口戴きました。
でも酒好きなのにお酒に弱いので、この「酒せんべい」で満足です。
祇園祭の山鉾が目の前を巡行していきます。祇園祭当日、朝早くから並んで山鉾が辻廻しされる交差点の最前列を確保しました。後祭は前祭より人が少ないとのことですが、そんなことあらしまへん。
後祭の前日に行われた屏風祭。屏風を公開してくれる町屋の方々のなんてセンスある飾り方。これを見れば、何回でも京都に来たくなる。見たくなる。
祇園祭に飾られるヒオウギの生花は、悪霊退散の厄除けだそうです。京都の伝統だけでは語れないセンスの良さに惚れ惚れします。私にもこのセンスをすこし分けて欲しい。
南観音山を見学させていただきました。薬王観音を象徴する薬玉(くすだま)が四角を飾ります。
南観音山に祀られている揚柳観音と善財童子。揚柳観音は別名、薬王観音と呼ばれているそうです。
南観音山に宮中の舞楽を描いた古い刺繍織物が飾られていました。そのなかに源氏物語にも登場する「胡蝶」を舞う舞人の姿がありました。
「胡蝶」の舞は、蝶の翅を付けた衣装に身を包んだ四人の舞人が優雅に舞うそうです。(見たこと無いもので・・)舞人は、冠に山吹の花の小枝を刺し、手には山吹の花の枝を持って舞うそうです。(分かりにくい写真ですみません。)山吹の花が「胡蝶」の舞を飾ります。
祇園祭の宵山。明日はいよいよ山鉾巡行です。
南観音山は、山の後ろに揚柳観音(薬王観音)を象徴する柳の木を飾っています。この柳の葉は、巡行後、お守りとして配られるそうです。いま知ったので貰い損ないました。機会があれば・・そのときは・・
祇園祭は、各山鉾ごとに御神酒として酒樽などが飾られていました。京都府は日本酒生産量第2位の銘醸地です。
新年、松尾大社にお参りさせていただきました。松尾大社の鳥居には、脇勧請といって榊の小枝を束ねたものが12束飾られていました。神社の古い形態をいまに留める長い歴史を誇る大社です。
酒造りの神さまと言われている松尾大社。松尾大社にも酒蔵の軒に飾られる杉玉が飾られていました。
松尾大社には日本各地の酒蔵から奉納されたたくさんの酒樽が飾られていました。
春。松尾大社境内にたくさんの山吹の花が咲き誇っていました。酒樽といっしょにパチリ。インスタ映えするところ。
境内を流れる小川の両岸に山吹の花が咲き誇っていました。ここも松尾大社の撮影スポットの一つだそうです。
山吹の花が石垣から溢れるように咲いていました。
園芸種の八重山吹です。
松尾大社の八重山吹の花にジャコウアゲハが訪れていました。そして、それは山吹の花を手に舞う「胡蝶」の舞を披露してくれている舞人のようでした。
ジャコウアゲハと山吹の花が奏でる「胡蝶」の舞を存分に楽しませてもらいました。
松尾大社の山吹の花守り。「胡蝶の舞」の感謝のしるしにありがたく受領させていただきました。
松尾大社の伝説を彩る瀧御前。詳しいことはその筋のホームページ等でご確認下さい。
酒造りに欠かせない御神水「亀の井」は亀の口から出ています。おいしいお酒が飲めるように一口戴きました。
でも酒好きなのにお酒に弱いので、この「酒せんべい」で満足です。
タグ:ジャコウアゲハ
桜の花が咲く頃に【スジグロシロチョウ】 [神奈川県 鎌倉市]
神奈川県の世界遺産候補のひとつ、鎌倉市にある瑞泉寺は花の寺として有名です。以前、瑞泉寺に桜の花が咲く前までの出来事を書きましたが、今回は桜の花が咲く頃のことです。瑞泉寺の桜は、梅ほど知られていないけど、楽しいできごとに巡り会うことが出来ました。
瑞泉寺に到着しました。今年の桜は、開花が早くて、ちょっぴりしあわせでした。
梅園がある瑞泉寺の下段の庭園の桜は、あと少しで満開のようでした。
庭園の山際は、花の小道になっていてショカツサイが咲いていました。
ショカツサイにはたくさんのチョウが吸蜜に訪れていました。そのほとんどがスジグロシロチョウでした。
スジグロシロチョウの中には愛を交わしているものがいました。チョウのしあわせ
下段の庭園にあるオオシマザクラにスジグロシロチョウが訪れていました。
カメラの露出に失敗して、パソコンソフトで修正しましたが、ダメですね。
スジグロシロチョウとオオシマザクラを場所を変えてパチリ。サクラにチョウの写真を撮ることが出来て少ししあわせでした。
それでは瑞泉寺本堂にお参りに行きましょう。途中の坂の階段は、男坂と女坂の2種類あるそうです。
古い方の階段(男坂?)は鎌倉石で出来ており、木漏れ日が差し込んでいました。
山門前のミツバツツジが咲いていました。
山門を入ると上段の庭園の枝垂桜が咲いていました。
お地蔵さまにお参りして、タヌキさまにも手を合わせて、今日のしあわせを願いました。
瑞泉寺本堂の石段には、スミレが「花籠の花」の様に咲いていました。
どこもく地蔵堂の周囲の桜も、もう少しで満開でした。
夢窓疎石が作庭した瑞泉寺庭園に枝垂れ桜が咲いていました。
枝垂れ桜の枝を変えてパチリ。
帰り際、瑞泉寺の桜に月が浮んでいました。桜の花が咲く頃、瑞泉寺にお邪魔して、楽しく撮影できて、とてもしあわせを感じることができました。
瑞泉寺に到着しました。今年の桜は、開花が早くて、ちょっぴりしあわせでした。
梅園がある瑞泉寺の下段の庭園の桜は、あと少しで満開のようでした。
庭園の山際は、花の小道になっていてショカツサイが咲いていました。
ショカツサイにはたくさんのチョウが吸蜜に訪れていました。そのほとんどがスジグロシロチョウでした。
スジグロシロチョウの中には愛を交わしているものがいました。チョウのしあわせ
下段の庭園にあるオオシマザクラにスジグロシロチョウが訪れていました。
カメラの露出に失敗して、パソコンソフトで修正しましたが、ダメですね。
スジグロシロチョウとオオシマザクラを場所を変えてパチリ。サクラにチョウの写真を撮ることが出来て少ししあわせでした。
それでは瑞泉寺本堂にお参りに行きましょう。途中の坂の階段は、男坂と女坂の2種類あるそうです。
古い方の階段(男坂?)は鎌倉石で出来ており、木漏れ日が差し込んでいました。
山門前のミツバツツジが咲いていました。
山門を入ると上段の庭園の枝垂桜が咲いていました。
お地蔵さまにお参りして、タヌキさまにも手を合わせて、今日のしあわせを願いました。
瑞泉寺本堂の石段には、スミレが「花籠の花」の様に咲いていました。
どこもく地蔵堂の周囲の桜も、もう少しで満開でした。
夢窓疎石が作庭した瑞泉寺庭園に枝垂れ桜が咲いていました。
枝垂れ桜の枝を変えてパチリ。
帰り際、瑞泉寺の桜に月が浮んでいました。桜の花が咲く頃、瑞泉寺にお邪魔して、楽しく撮影できて、とてもしあわせを感じることができました。
タグ:スジグロシロチョウ
鳳凰堂に鳳蝶は舞った(京都世界遺産編)【ナミアゲハ、アカタテハ、モンシロチョウ】 [京都府]
長い間、ブログをお休みしていました。休止している間もたくさんの方が訪問してくださり、たいへん申し訳なく思っていました。本日から再開します。今年もテーマは「世界遺産とチョウ」です。
2018年の再開第1回目は京都の世界文化遺産のひとつ「平等院」です。JR宇治駅から平等院に行く途中、宇治橋のたもとに紫式部の像が建っていました。宇治は源氏物語の「宇治十帖」の舞台です。「宇治十帖」の「最後は誰も幸せにならなかった?」どろどろの恋愛物語が大好きです。
青もみじの下、世界文化遺産「平等院」のプレートが建っていました。
その青もみじの葉の中にナミアゲハが隠れていました。「何もしないから出ておいで。」と優しく語りかけましたが、シタゴコロがバレバレですぐに逃げられました。
平等院正門前の藤棚は満開で、白藤が花を垂らしていました。花の周りには蜂がブンブン飛んでいて、今日は沢山のチョウに出会えそうな予感がしました。
それでは正門から入らさせていただきます
平等院鳳凰堂です。キリシマツツジが満開でした。
キリシマツツジにはナミアゲハが吸蜜に訪れていました。ナミアゲハは別名、鳳蝶とよばれています。
華麗な平等院鳳凰堂をバックにナミアゲハが舞い踊っていました。(ピンぼけご容赦)
世界遺産の華麗な寺院に花とチョウ・・・綺麗だな。(自画自賛)
金色に輝く平等院鳳凰堂の鳳凰です。鳳凰は、雄は鳳、雌は凰とされていますが、この像はどちらでしょうか?お札にもなった日本を代表するとりの像です。
この日の平等院の藤棚のフジは3分咲きといったところでしょうか。
以前撮った満開のフジと鳳凰堂です。
フジの花にはたくさんの蜂が訪れていました。
フジの花にアカタテハも吸蜜に訪れていました。世界遺産とチョウの第二号です。
10円玉でお馴染みの華麗なる建物です。
スイレンも咲いていました。
平等院の鐘は華麗なデザインが彫られており、ホンモノは国宝です。鳴らしてみたい。近江の三井寺の鐘、京都の神護寺の鐘と並んで三名鐘のひとつだそうです。
平等院を出て、宇治神社にお参りに行きました。朝霧橋の袂のツツジが綺麗でした。
そのツツジの花の袂にはモンシロチョウが止まっていました。
源氏物語の男と女。今日から華麗なる花と蝶の恋物語を再開します。
2018年の再開第1回目は京都の世界文化遺産のひとつ「平等院」です。JR宇治駅から平等院に行く途中、宇治橋のたもとに紫式部の像が建っていました。宇治は源氏物語の「宇治十帖」の舞台です。「宇治十帖」の「最後は誰も幸せにならなかった?」どろどろの恋愛物語が大好きです。
青もみじの下、世界文化遺産「平等院」のプレートが建っていました。
その青もみじの葉の中にナミアゲハが隠れていました。「何もしないから出ておいで。」と優しく語りかけましたが、シタゴコロがバレバレですぐに逃げられました。
平等院正門前の藤棚は満開で、白藤が花を垂らしていました。花の周りには蜂がブンブン飛んでいて、今日は沢山のチョウに出会えそうな予感がしました。
それでは正門から入らさせていただきます
平等院鳳凰堂です。キリシマツツジが満開でした。
キリシマツツジにはナミアゲハが吸蜜に訪れていました。ナミアゲハは別名、鳳蝶とよばれています。
華麗な平等院鳳凰堂をバックにナミアゲハが舞い踊っていました。(ピンぼけご容赦)
世界遺産の華麗な寺院に花とチョウ・・・綺麗だな。(自画自賛)
金色に輝く平等院鳳凰堂の鳳凰です。鳳凰は、雄は鳳、雌は凰とされていますが、この像はどちらでしょうか?お札にもなった日本を代表するとりの像です。
この日の平等院の藤棚のフジは3分咲きといったところでしょうか。
以前撮った満開のフジと鳳凰堂です。
フジの花にはたくさんの蜂が訪れていました。
フジの花にアカタテハも吸蜜に訪れていました。世界遺産とチョウの第二号です。
10円玉でお馴染みの華麗なる建物です。
スイレンも咲いていました。
平等院の鐘は華麗なデザインが彫られており、ホンモノは国宝です。鳴らしてみたい。近江の三井寺の鐘、京都の神護寺の鐘と並んで三名鐘のひとつだそうです。
平等院を出て、宇治神社にお参りに行きました。朝霧橋の袂のツツジが綺麗でした。
そのツツジの花の袂にはモンシロチョウが止まっていました。
源氏物語の男と女。今日から華麗なる花と蝶の恋物語を再開します。
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