蝶街diary【アオスジアゲハ、コミスジ、ダイミョウセセリ】 [神奈川県 鎌倉市]
鎌倉を舞台にした小説、ドラマ、映画などはたくさんありますが、なかにはマンガで描かれた鎌倉を見たくて、多くの観光客が訪れているようです。
特に江ノ電の極楽寺駅周辺は多くのドラマや映画などの舞台となりました。
極楽寺駅にはテレビドラマの出演者のサインが飾られていました。
極楽寺駅の改札口に飾られていた映画のパンフレットです。この映画も極楽寺駅周辺が舞台となっている人気マンガを映画化したそうです。
極楽寺駅の前に咲いていたアジサイです。極楽寺坂を登って、桜橋を渡るとすずちゃんが雨宿りしていた導地蔵堂がありました。
江ノ電撮影のポイントの一つに、赤レンガ造りの「極楽洞」から出る電車の撮影があります。トンネルから出て来た電車は、江ノ電の「嵐電号」です。江ノ電と京都の嵐電は共に古都を路面電車で走っており、何気に似ているので、嵐電が江ノ電を、江ノ電が嵐電の車両を模してを走らせていました。
極楽寺周辺は、鎌倉のアジサイの撮影ポイントの一つです。赤いアジサイが満開でした。
極楽寺には蝶紋のかわいらしい御朱印帳がありましたので、蝶好きおじさんはたまらず購入してしまいました。
極楽寺は鎌倉時代に北条家が創建したそうです。本堂の屋根は北条家の三つ鱗の紋章が飾られていましたが、幔幕には向蝶の紋章が使用されていました。
極楽寺坂にアオスジアゲハが飛んでいました。向蝶の紋章の原型のような開翅飛翔を撮りました。ピンボケご容赦。
成就院参道に咲いていたウツギの花でアオスジアゲハが吸蜜していました。5月のウツギの花が咲くころはたくさんのアオスジアゲハが飛んでいました。
成就院はアジサイで有名ですが、今年はアジサイの咲く参道を改修工事していました。
成就院から見た由比ケ浜。
成就院の境内に咲いていたアジサイです。
成就院でチョウの撮影のお礼をしました。縁結び不動尊にも素敵な出会いがありますようにお参りしました。
極楽寺坂は西側から鎌倉に入るために切り開かれた道で、鎌倉七切通しの一つだそうです。極楽寺を開山した僧、忍性が切り開いたと言われています。忍性は数々の慈善事業をしたことで有名です。
極楽寺坂の石碑には、新田義貞が鎌倉攻めに当たり、極楽寺坂を含む三方向から攻めたが、鎌倉幕府の反撃にあい敗退したと書かれていました。極楽寺坂は激戦が繰り広げられたようです。
極楽寺坂の下には「星の井」があります。奈良時代の僧、行基がこの地に虚空蔵堂を開山する際、井戸も一緒に開いたそうです。(鎌倉ガイドの案内を盗み聞きしました。)当時、この周辺は深い森で、日中でも暗く、井戸の水面に星月が映ったとの言い伝えがあり、そのため星の井(別名、星月の井)」と呼ばれているそうです。鎌倉十井の一つですが、今は使われていないようです。
さらに下には、力餅家があります。力餅を買って、次の目的地に出発です。
星の井がある通りは「星の井通り」というそうです。星の井は、この地域で昔から親しまれているようです。
力餅屋の角を曲がって御霊神社に行きました。御霊神社の鳥居の前は江ノ電が走っており、この踏切は数々の映画、ドラマなどに登場するようです。
鳥居の前を江ノ電が通ります。江ノ電の鳥居くぐりと呼ばれているそうです。御霊神社は司馬遼太郎の「街道をいく」で書かれており、祭られている鎌倉権五郎の武士としての誇りがとても心に残ります。
ここはアジサイと江ノ電のコラボが有名です。アジサイの花が咲く今の時期、自称写真家の観光客がたくさん訪れていました。
アジサイと江ノ電その1
アジサイと江ノ電その2
アジサイと江ノ電その3
御霊神社に咲いていた赤いアジサイ。
御霊神社に咲いていた白いアジサイ。
アジサイに囲まれた御霊神社の庚申塔。
鎌倉権五郎を忍んで力餅を・・おっと、ここは神社境内、飲食禁止でした。
鎌倉の長谷にいたダイミョウセセリ。
同じくコミスジ。
5月のある日、稲村ケ崎に着きました。
稲村ケ崎の石碑には、鎌倉攻めをしていた新田義貞が幕府の反撃にあい苦戦していましたが、稲村ケ崎の海に黄金の太刀を献上すると、潮が引き、道が開かれ、そこから軍勢を鎌倉に突入させたと書かれていました。突入した翌日、5月22日は幕府が滅亡した日です。
稲村ケ崎は夕日の撮影ポイント。幕府が滅亡した5月のある日、江の島と富士山が赤く染まっていました。ブログ日記に記録しないと‥‥。
鎌倉の街でチョウを探す旅をしていますが、いつもあらぬ方向に行ってしまいます。反省をむねに夕暮れ電車で帰りましょう。
特に江ノ電の極楽寺駅周辺は多くのドラマや映画などの舞台となりました。
極楽寺駅にはテレビドラマの出演者のサインが飾られていました。
極楽寺駅の改札口に飾られていた映画のパンフレットです。この映画も極楽寺駅周辺が舞台となっている人気マンガを映画化したそうです。
極楽寺駅の前に咲いていたアジサイです。極楽寺坂を登って、桜橋を渡るとすずちゃんが雨宿りしていた導地蔵堂がありました。
江ノ電撮影のポイントの一つに、赤レンガ造りの「極楽洞」から出る電車の撮影があります。トンネルから出て来た電車は、江ノ電の「嵐電号」です。江ノ電と京都の嵐電は共に古都を路面電車で走っており、何気に似ているので、嵐電が江ノ電を、江ノ電が嵐電の車両を模してを走らせていました。
極楽寺周辺は、鎌倉のアジサイの撮影ポイントの一つです。赤いアジサイが満開でした。
極楽寺には蝶紋のかわいらしい御朱印帳がありましたので、蝶好きおじさんはたまらず購入してしまいました。
極楽寺は鎌倉時代に北条家が創建したそうです。本堂の屋根は北条家の三つ鱗の紋章が飾られていましたが、幔幕には向蝶の紋章が使用されていました。
極楽寺坂にアオスジアゲハが飛んでいました。向蝶の紋章の原型のような開翅飛翔を撮りました。ピンボケご容赦。
成就院参道に咲いていたウツギの花でアオスジアゲハが吸蜜していました。5月のウツギの花が咲くころはたくさんのアオスジアゲハが飛んでいました。
成就院はアジサイで有名ですが、今年はアジサイの咲く参道を改修工事していました。
成就院から見た由比ケ浜。
成就院の境内に咲いていたアジサイです。
成就院でチョウの撮影のお礼をしました。縁結び不動尊にも素敵な出会いがありますようにお参りしました。
極楽寺坂は西側から鎌倉に入るために切り開かれた道で、鎌倉七切通しの一つだそうです。極楽寺を開山した僧、忍性が切り開いたと言われています。忍性は数々の慈善事業をしたことで有名です。
極楽寺坂の石碑には、新田義貞が鎌倉攻めに当たり、極楽寺坂を含む三方向から攻めたが、鎌倉幕府の反撃にあい敗退したと書かれていました。極楽寺坂は激戦が繰り広げられたようです。
極楽寺坂の下には「星の井」があります。奈良時代の僧、行基がこの地に虚空蔵堂を開山する際、井戸も一緒に開いたそうです。(鎌倉ガイドの案内を盗み聞きしました。)当時、この周辺は深い森で、日中でも暗く、井戸の水面に星月が映ったとの言い伝えがあり、そのため星の井(別名、星月の井)」と呼ばれているそうです。鎌倉十井の一つですが、今は使われていないようです。
さらに下には、力餅家があります。力餅を買って、次の目的地に出発です。
星の井がある通りは「星の井通り」というそうです。星の井は、この地域で昔から親しまれているようです。
力餅屋の角を曲がって御霊神社に行きました。御霊神社の鳥居の前は江ノ電が走っており、この踏切は数々の映画、ドラマなどに登場するようです。
鳥居の前を江ノ電が通ります。江ノ電の鳥居くぐりと呼ばれているそうです。御霊神社は司馬遼太郎の「街道をいく」で書かれており、祭られている鎌倉権五郎の武士としての誇りがとても心に残ります。
ここはアジサイと江ノ電のコラボが有名です。アジサイの花が咲く今の時期、自称写真家の観光客がたくさん訪れていました。
アジサイと江ノ電その1
アジサイと江ノ電その2
アジサイと江ノ電その3
御霊神社に咲いていた赤いアジサイ。
御霊神社に咲いていた白いアジサイ。
アジサイに囲まれた御霊神社の庚申塔。
鎌倉権五郎を忍んで力餅を・・おっと、ここは神社境内、飲食禁止でした。
鎌倉の長谷にいたダイミョウセセリ。
同じくコミスジ。
5月のある日、稲村ケ崎に着きました。
稲村ケ崎の石碑には、鎌倉攻めをしていた新田義貞が幕府の反撃にあい苦戦していましたが、稲村ケ崎の海に黄金の太刀を献上すると、潮が引き、道が開かれ、そこから軍勢を鎌倉に突入させたと書かれていました。突入した翌日、5月22日は幕府が滅亡した日です。
稲村ケ崎は夕日の撮影ポイント。幕府が滅亡した5月のある日、江の島と富士山が赤く染まっていました。ブログ日記に記録しないと‥‥。
鎌倉の街でチョウを探す旅をしていますが、いつもあらぬ方向に行ってしまいます。反省をむねに夕暮れ電車で帰りましょう。
鎌倉は撮影スポットの宝庫ですね。
極楽寺に蝶の縁があるのは知りませんでした。
江ノ島と富士の夕景色はまさに眼福です♪
by ぜふ (2016-06-19 21:16)
ぜふさん。
鎌倉の休日の日中は、江ノ電に乗車するのに30〜40分かかり、尚且つ山手線並のぎゅうぎゅう詰めです。道路は大渋滞で全く動かず、地元の方は大ひんしゅく。世界遺産登録見送りの一つに地元が盛り上がっていないという理由もあったようです。
世界遺産候補の極楽寺にもたくさん観光客が訪れておりますので、写真にヒトが映らないようするには、結構、至難なことです。
でも観光で盛り上がるということは、その方の落とす○○は莫大で・・。
鎌倉世界遺産(候補)シリーズまだまだつづきます。
by アサギいろ (2016-06-21 22:32)