私の巡礼の年(五島列島奈留島江上天主堂編)(長崎キリシタン世界遺産)【クロマダラソテツシジミなど】 [長崎県]
長崎県の海岸にいる「海のクロツバメ●ジミ」(略してクロ)を探しながら巡礼する旅の続きです。数年前に五島列島の真ん中に位置する奈留島にある江上天主堂まで行ってきました。江上天主堂とその周りの集落は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つです。今回も福江島から定期船にレンタサイクルを乗せ、奈留島では江上天主堂のほか島内各地を自転車で巡りました。
奈留島へは、福江港からフェリーに乗って出発です。
奈留島の奈留港に到着しました。奈留島ってどんな島だろう。ワクワクです。
まずは案内版で行き先の確認です。奈留島にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑は、青春をユーミンの歌と共に過ごした世代としては、絶対に行かねばなりませぬ。目的は「遠いところにいる友達に(潮騒の音がもう一度届くように)海の碧さをもう一度伝えるために・・・」(歌詞の丸写し、ご勘弁。)
江上天主堂までは片道7.6キロ。なんてことはないと思いましたが・・あま〜い。
奈留港の近くにソテツ並木がありました。
ソテツ並木にはすっかりおなじみのクロマダラソテツシジミがいました。
クロマダラソテツシジミがメスをめぐって追いかけっこ。クロ○○とつきますが、目的のクロではありません。
奈留港近くに咲いていたニラの花で、普段は南の島にいるカバマダラが飛んでいました。
カバマダラもメスをめぐって追いかけっこ。カバマダラは、ニラの花がよく似合います。
アカタテハもランタナの花で吸蜜していました。ランタナの花はチョウに大人気です。
地べたにはベッコウバチが大きなクモの獲物を引っ張っていました。
レンタサイクルの「アカカメ号」に乗って、奈留高校にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑にとうちゃこ。この歌碑と関係ないことですが、お名前が「瞳」さん、曰く『「瞳を開けて」って死んでるってことじゃないの。』おっしゃるとおりです。閉じててよかった。
現在、江上天主堂の見学をするには「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーション」に事前連絡が必要ですが、訪問した当時は、奈留島の繁華街の外れにある奈留教会に江上天主堂の見学を申し込み、鍵を借りることになってました。さっそく奈留教会に見学の申し込みに行きました。教会の花壇は、信者の方が手入れをされているようで、キレイな花がたくさん咲いていました。写真は花壇の先にあるルルドです。
ルルドにはナツズイセンが綺麗に咲いていました。
花壇に咲いているランタナの花にアオスジアゲハが吸蜜に訪れていました。奈留教会を背景にパチリ。
動きのはやいアオスジアゲハもランタナの花で吸蜜に夢中です。
ナミハゲハも吸蜜に訪れていました。
カラスアゲハまで吸蜜に訪れていました。奈留教会の花壇でたくさんのチョウの写真を撮らせていただき、教会の方に感謝します。
奈留教会で江上天主堂の鍵を借り、レンタサイクルで江上天主堂を目指し奈留島の道を北上ました。途中の夏井漁港に到着です。
夏井漁港の海に目をやると小魚がいっぱい泳いでました。奈留島はこの豊かな海の恵みで成り立っているようです。地元の方に魚の種類の名前を教えていただきましたが、頭の中の消しゴムがすべてを消し去ってしまいました。
奈留島の西海岸にある江上天主堂に行くには、ここから快適な自然遊歩道の山道を越えて、天主堂まで行けるのかと思いましたが、この自然遊歩道は、とんでもない道で人気が全くないらしく、たくさんの蜘蛛の巣に覆われ、歩くのがたいへんでした。
蜘蛛の巣だらけの山道を自転車を押しながら、息をハア ハアして登りました。あとから分かったことですが、立派な車道のトンネルがこの下を通っていました。
山道を下りて、海沿いの道を進むと世界文化遺産の構成資産、江上天主堂にとうちゃこ。江上天主堂は、国の重要文化財でもあります。
江上天主堂は、他にも数々の教会建築を手がけた鉄川与助棟梁が建てた教会の一つです。水色の窓とクリーム色の壁の配色が上品で、大正時代に建てられた建物とは思えないモダンさがあります。
江上天主堂のバラ窓の飾りは、ステンドグラスの代わりに木製の水色のバラの花でした。
江上天主堂の窓ガラスは、高価なステンドグラスの代わりに、信者の方が手描きした黄色いバラの花が描かれていました。この手描きのバラ模様のことをNHKのドキュメント番組が「幸せの黄色いバラ」と紹介していました。
江上集落を海から眺めました。江上天主堂は、その当時の集落の信者の方がキビナゴ漁で稼いだ資金と信者の方の労働奉仕により建てたそうです。
今回は出番が少ないですか、レンタサイクル「アカカメくん」を大串湾をバックに撮影しました。アカカメくんに乗って奈留島の大串湾の海沿いの道を南下しました。
大串湾の海岸でイシガケチョウが産卵していました。
奈留島はふつうは南の島で生えているハマジンチョウの北限になるそうです。ハマジンチョウは熱帯ではマンゴローブを形成する植物の一種のようです。
奈留島のハマジンチョウ群落地は南の島のマングローブ林とは異なった雰囲気です。この群落地は現在は国の天然記念物のようです。
ハマジンチョウ群落地にユッカ蘭が咲いていました。
大串湾をさらに行くとビーチロックという天然のコンクリートの浜がありました。
ビーチロックを見たことも聞いたこともなかったのですが、この浜も天然記念物です。
江上集落から同じ道を戻るのもなんですからと、西海岸の海沿いの道を南下しました。ところが、すぐにつづら折りのものすごい山道になり、またもやアカカメくんを押しながら息をハア ハアして登りました。こんなことなら前に来た道を行った方がよかったと後悔ばかり。「こころ旅」の火野正平さんなら「息をハア ハアしたいのなら夜の私の部屋で。」と冗談の一つも出ますが、とてもそんなこと・・。とうちゃこした小田河原展望台は奈留島と久賀島の海峡である「奈留瀬戸」が、よーく見えました。
展望台からは長い下り坂。「人生下り坂、最高!」今回も叫んでしまいました。
次に奈留港の南にある奈留千畳敷に向かいました。その途中にある漁港の岸辺には、たくさんのランタナが咲いていて、モンキアゲハが吸蜜に訪れていました。
奈留千畳敷に行く山道の峠付近にクロセセリがいました。
同じ山道にダンギクが咲いていました。ダンギクは九州独特の植物ですが、この花を見ると九州に来ていることを実感します。今日で三度目の息をハア ハアしてアカカメくんと峠まで登りました。
峠を越えたところで、奈留千畳敷の全容が見えて来ました。それにしても三度の峠越えを含め、自宅のパソコンで調べたところ、この日も走行距離は25キロを越えていました。
奈留千畳敷にとうちゃこです。岩場にはクロの幼虫の食草もありました。クロは何処に・・。
奈留千畳敷の海浜植物の花にアオスジアゲハが吸蜜していました。クロは見当たらない・・。
奈留千畳敷でクロを探しましたが、影も形も・・。残念ながらタイムリミットです。そして本ブログをご覧の皆さまに奈留島の海の碧さを伝えることができたでしょうか。
福江島に戻るため、奈留港の奈留ターミナルに戻り、福江港行きの定期船に乗りこみました。奈留ターミナルの売店で、奈留島の来島記念に奈留高校の生徒さんがデザインした「瞳を閉じて〜ゲンキにナルナル、ナルシマTシャツ」を買いました。今でも現役で、とても丈夫で長持ちしています。
奈留島。さらばでござる。また来るまで。
奈留島へは、福江港からフェリーに乗って出発です。
奈留島の奈留港に到着しました。奈留島ってどんな島だろう。ワクワクです。
まずは案内版で行き先の確認です。奈留島にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑は、青春をユーミンの歌と共に過ごした世代としては、絶対に行かねばなりませぬ。目的は「遠いところにいる友達に(潮騒の音がもう一度届くように)海の碧さをもう一度伝えるために・・・」(歌詞の丸写し、ご勘弁。)
江上天主堂までは片道7.6キロ。なんてことはないと思いましたが・・あま〜い。
奈留港の近くにソテツ並木がありました。
ソテツ並木にはすっかりおなじみのクロマダラソテツシジミがいました。
クロマダラソテツシジミがメスをめぐって追いかけっこ。クロ○○とつきますが、目的のクロではありません。
奈留港近くに咲いていたニラの花で、普段は南の島にいるカバマダラが飛んでいました。
カバマダラもメスをめぐって追いかけっこ。カバマダラは、ニラの花がよく似合います。
アカタテハもランタナの花で吸蜜していました。ランタナの花はチョウに大人気です。
地べたにはベッコウバチが大きなクモの獲物を引っ張っていました。
レンタサイクルの「アカカメ号」に乗って、奈留高校にあるユーミンの「瞳を閉じて」の歌碑にとうちゃこ。この歌碑と関係ないことですが、お名前が「瞳」さん、曰く『「瞳を開けて」って死んでるってことじゃないの。』おっしゃるとおりです。閉じててよかった。
現在、江上天主堂の見学をするには「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーション」に事前連絡が必要ですが、訪問した当時は、奈留島の繁華街の外れにある奈留教会に江上天主堂の見学を申し込み、鍵を借りることになってました。さっそく奈留教会に見学の申し込みに行きました。教会の花壇は、信者の方が手入れをされているようで、キレイな花がたくさん咲いていました。写真は花壇の先にあるルルドです。
ルルドにはナツズイセンが綺麗に咲いていました。
花壇に咲いているランタナの花にアオスジアゲハが吸蜜に訪れていました。奈留教会を背景にパチリ。
動きのはやいアオスジアゲハもランタナの花で吸蜜に夢中です。
ナミハゲハも吸蜜に訪れていました。
カラスアゲハまで吸蜜に訪れていました。奈留教会の花壇でたくさんのチョウの写真を撮らせていただき、教会の方に感謝します。
奈留教会で江上天主堂の鍵を借り、レンタサイクルで江上天主堂を目指し奈留島の道を北上ました。途中の夏井漁港に到着です。
夏井漁港の海に目をやると小魚がいっぱい泳いでました。奈留島はこの豊かな海の恵みで成り立っているようです。地元の方に魚の種類の名前を教えていただきましたが、頭の中の消しゴムがすべてを消し去ってしまいました。
奈留島の西海岸にある江上天主堂に行くには、ここから快適な自然遊歩道の山道を越えて、天主堂まで行けるのかと思いましたが、この自然遊歩道は、とんでもない道で人気が全くないらしく、たくさんの蜘蛛の巣に覆われ、歩くのがたいへんでした。
蜘蛛の巣だらけの山道を自転車を押しながら、息をハア ハアして登りました。あとから分かったことですが、立派な車道のトンネルがこの下を通っていました。
山道を下りて、海沿いの道を進むと世界文化遺産の構成資産、江上天主堂にとうちゃこ。江上天主堂は、国の重要文化財でもあります。
江上天主堂は、他にも数々の教会建築を手がけた鉄川与助棟梁が建てた教会の一つです。水色の窓とクリーム色の壁の配色が上品で、大正時代に建てられた建物とは思えないモダンさがあります。
江上天主堂のバラ窓の飾りは、ステンドグラスの代わりに木製の水色のバラの花でした。
江上天主堂の窓ガラスは、高価なステンドグラスの代わりに、信者の方が手描きした黄色いバラの花が描かれていました。この手描きのバラ模様のことをNHKのドキュメント番組が「幸せの黄色いバラ」と紹介していました。
江上集落を海から眺めました。江上天主堂は、その当時の集落の信者の方がキビナゴ漁で稼いだ資金と信者の方の労働奉仕により建てたそうです。
今回は出番が少ないですか、レンタサイクル「アカカメくん」を大串湾をバックに撮影しました。アカカメくんに乗って奈留島の大串湾の海沿いの道を南下しました。
大串湾の海岸でイシガケチョウが産卵していました。
奈留島はふつうは南の島で生えているハマジンチョウの北限になるそうです。ハマジンチョウは熱帯ではマンゴローブを形成する植物の一種のようです。
奈留島のハマジンチョウ群落地は南の島のマングローブ林とは異なった雰囲気です。この群落地は現在は国の天然記念物のようです。
ハマジンチョウ群落地にユッカ蘭が咲いていました。
大串湾をさらに行くとビーチロックという天然のコンクリートの浜がありました。
ビーチロックを見たことも聞いたこともなかったのですが、この浜も天然記念物です。
江上集落から同じ道を戻るのもなんですからと、西海岸の海沿いの道を南下しました。ところが、すぐにつづら折りのものすごい山道になり、またもやアカカメくんを押しながら息をハア ハアして登りました。こんなことなら前に来た道を行った方がよかったと後悔ばかり。「こころ旅」の火野正平さんなら「息をハア ハアしたいのなら夜の私の部屋で。」と冗談の一つも出ますが、とてもそんなこと・・。とうちゃこした小田河原展望台は奈留島と久賀島の海峡である「奈留瀬戸」が、よーく見えました。
展望台からは長い下り坂。「人生下り坂、最高!」今回も叫んでしまいました。
次に奈留港の南にある奈留千畳敷に向かいました。その途中にある漁港の岸辺には、たくさんのランタナが咲いていて、モンキアゲハが吸蜜に訪れていました。
奈留千畳敷に行く山道の峠付近にクロセセリがいました。
同じ山道にダンギクが咲いていました。ダンギクは九州独特の植物ですが、この花を見ると九州に来ていることを実感します。今日で三度目の息をハア ハアしてアカカメくんと峠まで登りました。
峠を越えたところで、奈留千畳敷の全容が見えて来ました。それにしても三度の峠越えを含め、自宅のパソコンで調べたところ、この日も走行距離は25キロを越えていました。
奈留千畳敷にとうちゃこです。岩場にはクロの幼虫の食草もありました。クロは何処に・・。
奈留千畳敷の海浜植物の花にアオスジアゲハが吸蜜していました。クロは見当たらない・・。
奈留千畳敷でクロを探しましたが、影も形も・・。残念ながらタイムリミットです。そして本ブログをご覧の皆さまに奈留島の海の碧さを伝えることができたでしょうか。
福江島に戻るため、奈留港の奈留ターミナルに戻り、福江港行きの定期船に乗りこみました。奈留ターミナルの売店で、奈留島の来島記念に奈留高校の生徒さんがデザインした「瞳を閉じて〜ゲンキにナルナル、ナルシマTシャツ」を買いました。今でも現役で、とても丈夫で長持ちしています。
奈留島。さらばでござる。また来るまで。
私の巡礼の年(島原半島原城跡編)(長崎キリシタン世界遺産)【ヒメアカタテハ、ヤマトシジミ、ナミアゲハなど】 [長崎県]
長崎県の海岸にいる「海のクロツバメ●ジミ」(略してクロ)を探しながら島原半島まで来ました。
島原半島にある「原城跡」は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界文化遺産に登録されました。
島原半島でクロを探す旅は「島原半島ジオパーク編」で報告させていただくことにしますが・・いつのことになるやら。
長崎の空の玄関口、長崎空港へ行く道は、海の中に続く長い橋を渡ることになります。その橋の袂に天正遣欧少年使節の4人の銅像が建っていました。4人の少年はいずれも島原半島にあった有馬セミナリヨ(キリスト教の神学校)の出身で、広い海を渡って、遠くヨーロッパで活躍した初めての日本人かも。
島原半島にある天然の良港、口之津港には、ここに南蛮船で入港した巡察師ヴァリニャーノ神父の胸像が建っていました。巡察師ヴァリニャーノは、有馬氏などキリシタン 大名の庇護のもと、キリスト教の布教を目的とした日本人宣教師を養成するため、島原半島にセミナリヨやコレジョを開校しました。そして有馬セミナリヨの学生から選ばれた4人の少年を遠くローマまで連れていきました。
有馬セミナリヨ跡に着きました。天正遣欧少年使節の少年たちがここで学んでいたと思うと感慨深いものがあります。目を閉じて耳をすませば、少年たちが歌う聖歌が天使の歌声のように聞こえてきました。
昔、近江(滋賀県)にある安土城の城下町には、有馬セミナリヨと同じ神学校の安土セミナリヨが建っていました。現在、安土セミナリヨがあった跡は公園になっていて、解説板が立ってました。その解説板によると左上の施設が有馬セミナリヨ、左下が安土セミナリヨのようです。
安土セミナリヨ跡の公園です。安土セミナリヨは、織田信長が本能寺の変で亡くなると暴徒の略奪等にあって破壊されてしまったようです。
熱海市にあるMOA美術館の至宝の一つに「洋人奏楽図屛風」(国重要文化財)があります。ものすごく美しい絵ですが、描かれている人物がなんか日本人っぽいです。それは桃山時代に日本で日本人が油絵具を使って描いたからだそうです。この絵が有馬や安土のセミナリヨで学んだ宣教師のたまごが描いて、このような綺麗な状態で残っていたとしたら、それだけで感激ものです。
有馬セミナリヨへの道の脇にある畑で、ヒメアカタテハが吸蜜していました。
同じくヤマトシジミも吸蜜していました。
南島原市の加津佐にもセミナリヨやコレジョの史跡があります。作家の司馬遼太郎さんも「街道をゆく」の中で、この史跡を探したように描かれていますが、私も探して、やっとさ、とうちゃこしました。加津佐コレジョには天正遣欧少年使節一行が持ち帰った活版印刷機が置かれ、西洋の印刷技術と絵画文化が日本もたらされたようです。
数年前、キリシタン大名有馬氏の居城「日野江城」跡にも行ってきました。日野江城は、今回の世界文化遺産の選から漏れましたが、キリシタン大名の有馬氏の栄華を物語る城です。有馬氏は4万石の小大名ですが、キリスト教の布教を引き換えに南蛮貿易で莫大な収益を得ていたようです。
訪問した当時、日野江城は世界文化遺産の登録に向けて発掘調査の真っ最中で、調査をしている方から日野江城のことについて、いろいろと教えていただきました。ここからは豊臣秀吉と繋がりがある金箔が施された瓦が掘り出されているそうです。
日野江城を築城するにあたって、石垣にはキリスト教布教のため破壊された仏教寺院の石灯籠などが使われていたようで、例えば真ん中にある六角形の石垣がそれのようです。
本丸に向かう階段にも仏教寺院の五輪塔の石などが使われていたようです。右下第2列目の四角の石は、そのような痕跡(梵字)が石に刻まれていました。その後、この発掘現場は埋め戻され、今はこの階段を見ることができないようです。
日野江城跡や原城跡で発掘されたものは、南島原市の有馬キリシタン遺産記念館で見ることができます。学芸員の方が詳しく解説してくれるのでオススメポイントです。
有馬キリシタン遺産記念舘の前庭のソテツの木にいたのはクロマダラソテツシジミでした。もともとは南の島のチョウでしたが、この旅行中、普通に見ることができました。
有馬キリシタン遺産記念館からの帰り道。田んぼの畔に咲いていた曼珠沙華にナミアゲハが吸蜜に訪れていました。
いよいよ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「原城跡」に到着です。島原・天草一揆の出来事は長くなりますので、その筋の書籍やホームページ、ブログ等を参考にしていただければと思います。
原城の二の丸跡は畑に利用されていました。二の丸跡を横切る道からは有明海と本丸跡の石垣が見えました。原城は三方を海に囲まれ、本丸には高い石垣が築かれていたので、難攻不落の城だったようです。
原城の二の丸跡から見た本丸跡です。江戸幕府は二度とこのような一揆が起きないよう原城を徹底的に破壊したそうですが、意外と石垣が残っているじゃん。
二の丸跡と本丸跡の境に石のお地蔵様が建っていました。島原・天草一揆で籠城した老若男女3万7千人はみな殺され、幕府軍も相当な死傷者が出たそうです。一揆の後、当地の僧侶や住民が戦闘で亡くなった人の遺体を敵味方の区別なく埋め、供養のためのお地蔵様を建てたそうです。お地蔵様は、ほねかみ地蔵というそうです。
ほねかみ地蔵の前にヒガンバナが咲いていました。その花にナミアゲハが訪れていました。
モンキアゲハも飛んでいました。
本丸跡には一揆の指導者の天草四郎の墓がたっていました。島原・天草一揆の終結後、江戸幕府は徹底したキリシタン弾圧を行いました。そのためキリスト教信者は長崎県各地に潜伏して信仰するようになったそうです。
本丸跡に植えられているジュウガツサクラの枝先にチラホラと花が咲いていました。
本丸跡から二の丸跡ごしに今は静かになった雲仙岳が見えました。
本丸跡の外れに天草に向かって人の石像が立っていました。一人目は外国人宣教師、真ん中は天草四郎っぽい若武者、3人目は女性像のようでした。天草を故郷とする天草四郎。その哀愁を誘うような石像です。
本丸跡の一画にキバナコスモスが咲いているお花畑があり、様々なチョウが吸蜜に訪れてました。モンキアゲハもその一つです。
アカタテハも熱心に吸蜜していました。
青空をバックにナミアゲハの飛翔をパチリ。
南の島から飛んできたと思われるリュウキュウムラサキがキバナコスモスで吸蜜していました。
「ようこそ。南の島から広い海をこえて島原まで飛んで来てくれました。」リュウキュウムラサキに語りかけました。
「はるか昔、ここから大きな海を渡って欧州まで行った少年たちがいることを忘れないで・・」リュウキュウムラサキも私に囁きかけてきたようでした。
島原半島にある「原城跡」は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界文化遺産に登録されました。
島原半島でクロを探す旅は「島原半島ジオパーク編」で報告させていただくことにしますが・・いつのことになるやら。
長崎の空の玄関口、長崎空港へ行く道は、海の中に続く長い橋を渡ることになります。その橋の袂に天正遣欧少年使節の4人の銅像が建っていました。4人の少年はいずれも島原半島にあった有馬セミナリヨ(キリスト教の神学校)の出身で、広い海を渡って、遠くヨーロッパで活躍した初めての日本人かも。
島原半島にある天然の良港、口之津港には、ここに南蛮船で入港した巡察師ヴァリニャーノ神父の胸像が建っていました。巡察師ヴァリニャーノは、有馬氏などキリシタン 大名の庇護のもと、キリスト教の布教を目的とした日本人宣教師を養成するため、島原半島にセミナリヨやコレジョを開校しました。そして有馬セミナリヨの学生から選ばれた4人の少年を遠くローマまで連れていきました。
有馬セミナリヨ跡に着きました。天正遣欧少年使節の少年たちがここで学んでいたと思うと感慨深いものがあります。目を閉じて耳をすませば、少年たちが歌う聖歌が天使の歌声のように聞こえてきました。
昔、近江(滋賀県)にある安土城の城下町には、有馬セミナリヨと同じ神学校の安土セミナリヨが建っていました。現在、安土セミナリヨがあった跡は公園になっていて、解説板が立ってました。その解説板によると左上の施設が有馬セミナリヨ、左下が安土セミナリヨのようです。
安土セミナリヨ跡の公園です。安土セミナリヨは、織田信長が本能寺の変で亡くなると暴徒の略奪等にあって破壊されてしまったようです。
熱海市にあるMOA美術館の至宝の一つに「洋人奏楽図屛風」(国重要文化財)があります。ものすごく美しい絵ですが、描かれている人物がなんか日本人っぽいです。それは桃山時代に日本で日本人が油絵具を使って描いたからだそうです。この絵が有馬や安土のセミナリヨで学んだ宣教師のたまごが描いて、このような綺麗な状態で残っていたとしたら、それだけで感激ものです。
有馬セミナリヨへの道の脇にある畑で、ヒメアカタテハが吸蜜していました。
同じくヤマトシジミも吸蜜していました。
南島原市の加津佐にもセミナリヨやコレジョの史跡があります。作家の司馬遼太郎さんも「街道をゆく」の中で、この史跡を探したように描かれていますが、私も探して、やっとさ、とうちゃこしました。加津佐コレジョには天正遣欧少年使節一行が持ち帰った活版印刷機が置かれ、西洋の印刷技術と絵画文化が日本もたらされたようです。
数年前、キリシタン大名有馬氏の居城「日野江城」跡にも行ってきました。日野江城は、今回の世界文化遺産の選から漏れましたが、キリシタン大名の有馬氏の栄華を物語る城です。有馬氏は4万石の小大名ですが、キリスト教の布教を引き換えに南蛮貿易で莫大な収益を得ていたようです。
訪問した当時、日野江城は世界文化遺産の登録に向けて発掘調査の真っ最中で、調査をしている方から日野江城のことについて、いろいろと教えていただきました。ここからは豊臣秀吉と繋がりがある金箔が施された瓦が掘り出されているそうです。
日野江城を築城するにあたって、石垣にはキリスト教布教のため破壊された仏教寺院の石灯籠などが使われていたようで、例えば真ん中にある六角形の石垣がそれのようです。
本丸に向かう階段にも仏教寺院の五輪塔の石などが使われていたようです。右下第2列目の四角の石は、そのような痕跡(梵字)が石に刻まれていました。その後、この発掘現場は埋め戻され、今はこの階段を見ることができないようです。
日野江城跡や原城跡で発掘されたものは、南島原市の有馬キリシタン遺産記念館で見ることができます。学芸員の方が詳しく解説してくれるのでオススメポイントです。
有馬キリシタン遺産記念舘の前庭のソテツの木にいたのはクロマダラソテツシジミでした。もともとは南の島のチョウでしたが、この旅行中、普通に見ることができました。
有馬キリシタン遺産記念館からの帰り道。田んぼの畔に咲いていた曼珠沙華にナミアゲハが吸蜜に訪れていました。
いよいよ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「原城跡」に到着です。島原・天草一揆の出来事は長くなりますので、その筋の書籍やホームページ、ブログ等を参考にしていただければと思います。
原城の二の丸跡は畑に利用されていました。二の丸跡を横切る道からは有明海と本丸跡の石垣が見えました。原城は三方を海に囲まれ、本丸には高い石垣が築かれていたので、難攻不落の城だったようです。
原城の二の丸跡から見た本丸跡です。江戸幕府は二度とこのような一揆が起きないよう原城を徹底的に破壊したそうですが、意外と石垣が残っているじゃん。
二の丸跡と本丸跡の境に石のお地蔵様が建っていました。島原・天草一揆で籠城した老若男女3万7千人はみな殺され、幕府軍も相当な死傷者が出たそうです。一揆の後、当地の僧侶や住民が戦闘で亡くなった人の遺体を敵味方の区別なく埋め、供養のためのお地蔵様を建てたそうです。お地蔵様は、ほねかみ地蔵というそうです。
ほねかみ地蔵の前にヒガンバナが咲いていました。その花にナミアゲハが訪れていました。
モンキアゲハも飛んでいました。
本丸跡には一揆の指導者の天草四郎の墓がたっていました。島原・天草一揆の終結後、江戸幕府は徹底したキリシタン弾圧を行いました。そのためキリスト教信者は長崎県各地に潜伏して信仰するようになったそうです。
本丸跡に植えられているジュウガツサクラの枝先にチラホラと花が咲いていました。
本丸跡から二の丸跡ごしに今は静かになった雲仙岳が見えました。
本丸跡の外れに天草に向かって人の石像が立っていました。一人目は外国人宣教師、真ん中は天草四郎っぽい若武者、3人目は女性像のようでした。天草を故郷とする天草四郎。その哀愁を誘うような石像です。
本丸跡の一画にキバナコスモスが咲いているお花畑があり、様々なチョウが吸蜜に訪れてました。モンキアゲハもその一つです。
アカタテハも熱心に吸蜜していました。
青空をバックにナミアゲハの飛翔をパチリ。
南の島から飛んできたと思われるリュウキュウムラサキがキバナコスモスで吸蜜していました。
「ようこそ。南の島から広い海をこえて島原まで飛んで来てくれました。」リュウキュウムラサキに語りかけました。
「はるか昔、ここから大きな海を渡って欧州まで行った少年たちがいることを忘れないで・・」リュウキュウムラサキも私に囁きかけてきたようでした。
私の巡礼の年(五島列島久賀島旧五輪教会堂編)(長崎キリシタン世界遺産)【カラスアゲハ、モンキアゲハ、アカタテハ、クロマダラソテツシジミなど】 [長崎県]
長崎県の海岸にいる「海のクロツバメ●ジミ」(略してクロ)を探しながら巡礼の旅をしています。
そして、これまでの巡礼でお参りさせていただいた教会とその周りの集落は、2018年7月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界文化遺産に登録されました。おめでとうございます。
それにしても「私の巡礼の年」はいったいいつ終わるのだろうか。
NHKBS放送で放映している「こころ旅」が大好きで、いつも録画して見てます。その初回分の放送は、五島列島での楽しい出来事でした。私も五島列島で自転車旅行がしてみたい。
てなことで、数年前、長崎県の西の端に位置する五島列島に行ってきました。その五島列島の西から2番目に位置するのが久賀島です。久賀島へは、福江島の福江港から久賀島の田ノ浦港まで定期船に乗って行きました。定期船に福江島で借りたレンタルサイクルを載せて出航です。
定期船から見た福江島。鬼岳(色が変わっている山)がよく見えました。
定期船から見た久賀島。浜脇教会が見えました。
久賀島に到着しました。レンタルサイクル「アカスジカメムシ号」略して「アカカメくん」も一緒です。
久賀島は馬蹄形の形をしています。その久賀島の西側にある田の上港から東側のある世界文化遺産の構成資産「旧五輪教会堂」までは、片道14キロ、往復28キロの道。アカカメくんに乗って出発しました。
田の浦港から浜脇教会がよく見えました。その背後にそびえ立つ山並みが、片道14キロの道のりをさらに困難なもののにしていました。がんばるぞ。
浜脇教会に到着。鉄筋コンクリート構造で、ゴシック様式の尖塔が美しい教会です。
教会の脇にあるソテツの木に小さなチョウが止まっていました。
名前も姿形も「クロ」に似ているクロマダラソテツシジミでした。
9月下旬の五島列島は、タカの仲間のハチクマが渡りをするため、ここにいったん集結するそうです。特に福江島の大瀬崎は有名ですが、その迫力ある渡りの様子は、また別の機会に・・。この日は朝から良い天気。浜脇教会の上空でもタカの仲間がたくさん集まっており、タカ柱を観ることが出来ました。ラッキー。
やっぱり、浜脇教会から本格的な登り坂となりました。振り返ると下方に浜脇教会の尖塔が見えました。
登り坂の途中に壁から水が湧いているところがあり、その水をアオスジアゲハが吸っていました。
同じところでナミアゲハも吸水していました。私も登り坂で喉がカラカラでした。ここで吸水タイム。
峠を越え、下り坂になると「人生下り坂、最高!」と叫んでしまいます。下り坂を降りた久賀湾の海岸は、干潟の海が広がっていました。
潜伏キリシタンを襲った悲しみひとつ、牢屋の窄に到着しました。詳しいことは(本ブログは自然観察が中心なので・・)ぜひ、書籍やその筋のホームページ、ブログなどでご確認ください。
ここから目的の旧五輪教会堂までは、8キロ以上残っています。まだ半分も来ていません。
牢屋の窄殉教記念教会にお参りして、さあ、出発。
道の途中、棚田が広がっているところがありましたが、すでに稲刈りが終わっていました。(9月下旬ですが。)海は車海老の養殖場が広がっていました。ここからは再度、山道を登ります。
山道の道沿いに咲いていたクサギの花にカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
久賀島の棚田や集落の景観は、国の「五島市久賀島の文化的景観」に認定されています。蕨集落から道は東海岸を進みます。ここからの海岸線は断崖絶壁となり、道はさらに細くなります。この海岸線は西海国立公園の一部でもあります。
海岸線の道沿いでモンキアゲハが愛し合っていました。
久賀島東部の海岸線と五島列島の島々。鳥小島の先に隣にある奈留島がよく見えました。
ここからは、断崖の海岸線沿いの細い道となります。さっそく自然観察開始です。ルリシジミが産卵していました。
ヒメアカタテハが石の上に止まってました。
海岸近くの道にはアカテガニもいました。アカを探しているわけではありません
秋の七草の一つ。ハギの花。
熱帯植物のブーゲンビリアも咲いていました。
旧五輪教会堂への歩道入口に到着しました。ここからは歩いて行きますので、アカカメくんとはいったんお別れです。
歩道にはアコウの巨樹がありました。
ショウキスイセンとは思いますが、もしかしたら・・。違っていたらごめんなさい
ジンジャーの花も咲いていました。
久賀島五輪の集落にとうちゃこ。
旧五輪教会堂です。和風の家は一見、教会には見えません。でも「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する世界文化遺産の施設です。
入口には教会の印、十字架が掲げられていました。旧五輪教会堂は長崎の大浦天主堂に次いで建てられたそうで、国の重要文化財です。
旧五輪教会堂の内部です。現在、長崎県の世界文化遺産を構成する教会の内部の撮影は原則できません。しかし、ここを訪問した当時は、教会の行事が無ければ・・でしたので・・しました。
旧五輪教会堂の祭壇です。
旧五輪教会堂のステンドグラス。ガラスに色セロファンを貼り付けた手作りだそうです。
「恋人よ」の歌手の五輪真弓さんのお父さんは五輪集落の出身だそうです。
帰り道はお尻の痛みに耐えながら、なんとか船の出航時間前に田の浦港に到着しました。
そして田の浦港に定期船が入港しました。
予想はしていましたが、今回もクロの影は全くなしでした。それでも歴史を感じる素晴らしい巡礼旅行ができました。久賀島。また来るまで。
次回は、お隣の奈留島での、ここ●旅です。
旧五輪教会堂の内部写真を掲載させていただきましたが、ダメな場合はご連絡いただければ削除します。
そして、これまでの巡礼でお参りさせていただいた教会とその周りの集落は、2018年7月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界文化遺産に登録されました。おめでとうございます。
それにしても「私の巡礼の年」はいったいいつ終わるのだろうか。
NHKBS放送で放映している「こころ旅」が大好きで、いつも録画して見てます。その初回分の放送は、五島列島での楽しい出来事でした。私も五島列島で自転車旅行がしてみたい。
てなことで、数年前、長崎県の西の端に位置する五島列島に行ってきました。その五島列島の西から2番目に位置するのが久賀島です。久賀島へは、福江島の福江港から久賀島の田ノ浦港まで定期船に乗って行きました。定期船に福江島で借りたレンタルサイクルを載せて出航です。
定期船から見た福江島。鬼岳(色が変わっている山)がよく見えました。
定期船から見た久賀島。浜脇教会が見えました。
久賀島に到着しました。レンタルサイクル「アカスジカメムシ号」略して「アカカメくん」も一緒です。
久賀島は馬蹄形の形をしています。その久賀島の西側にある田の上港から東側のある世界文化遺産の構成資産「旧五輪教会堂」までは、片道14キロ、往復28キロの道。アカカメくんに乗って出発しました。
田の浦港から浜脇教会がよく見えました。その背後にそびえ立つ山並みが、片道14キロの道のりをさらに困難なもののにしていました。がんばるぞ。
浜脇教会に到着。鉄筋コンクリート構造で、ゴシック様式の尖塔が美しい教会です。
教会の脇にあるソテツの木に小さなチョウが止まっていました。
名前も姿形も「クロ」に似ているクロマダラソテツシジミでした。
9月下旬の五島列島は、タカの仲間のハチクマが渡りをするため、ここにいったん集結するそうです。特に福江島の大瀬崎は有名ですが、その迫力ある渡りの様子は、また別の機会に・・。この日は朝から良い天気。浜脇教会の上空でもタカの仲間がたくさん集まっており、タカ柱を観ることが出来ました。ラッキー。
やっぱり、浜脇教会から本格的な登り坂となりました。振り返ると下方に浜脇教会の尖塔が見えました。
登り坂の途中に壁から水が湧いているところがあり、その水をアオスジアゲハが吸っていました。
同じところでナミアゲハも吸水していました。私も登り坂で喉がカラカラでした。ここで吸水タイム。
峠を越え、下り坂になると「人生下り坂、最高!」と叫んでしまいます。下り坂を降りた久賀湾の海岸は、干潟の海が広がっていました。
潜伏キリシタンを襲った悲しみひとつ、牢屋の窄に到着しました。詳しいことは(本ブログは自然観察が中心なので・・)ぜひ、書籍やその筋のホームページ、ブログなどでご確認ください。
ここから目的の旧五輪教会堂までは、8キロ以上残っています。まだ半分も来ていません。
牢屋の窄殉教記念教会にお参りして、さあ、出発。
道の途中、棚田が広がっているところがありましたが、すでに稲刈りが終わっていました。(9月下旬ですが。)海は車海老の養殖場が広がっていました。ここからは再度、山道を登ります。
山道の道沿いに咲いていたクサギの花にカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
久賀島の棚田や集落の景観は、国の「五島市久賀島の文化的景観」に認定されています。蕨集落から道は東海岸を進みます。ここからの海岸線は断崖絶壁となり、道はさらに細くなります。この海岸線は西海国立公園の一部でもあります。
海岸線の道沿いでモンキアゲハが愛し合っていました。
久賀島東部の海岸線と五島列島の島々。鳥小島の先に隣にある奈留島がよく見えました。
ここからは、断崖の海岸線沿いの細い道となります。さっそく自然観察開始です。ルリシジミが産卵していました。
ヒメアカタテハが石の上に止まってました。
海岸近くの道にはアカテガニもいました。アカを探しているわけではありません
秋の七草の一つ。ハギの花。
熱帯植物のブーゲンビリアも咲いていました。
旧五輪教会堂への歩道入口に到着しました。ここからは歩いて行きますので、アカカメくんとはいったんお別れです。
歩道にはアコウの巨樹がありました。
ショウキスイセンとは思いますが、もしかしたら・・。違っていたらごめんなさい
ジンジャーの花も咲いていました。
久賀島五輪の集落にとうちゃこ。
旧五輪教会堂です。和風の家は一見、教会には見えません。でも「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する世界文化遺産の施設です。
入口には教会の印、十字架が掲げられていました。旧五輪教会堂は長崎の大浦天主堂に次いで建てられたそうで、国の重要文化財です。
旧五輪教会堂の内部です。現在、長崎県の世界文化遺産を構成する教会の内部の撮影は原則できません。しかし、ここを訪問した当時は、教会の行事が無ければ・・でしたので・・しました。
旧五輪教会堂の祭壇です。
旧五輪教会堂のステンドグラス。ガラスに色セロファンを貼り付けた手作りだそうです。
「恋人よ」の歌手の五輪真弓さんのお父さんは五輪集落の出身だそうです。
帰り道はお尻の痛みに耐えながら、なんとか船の出航時間前に田の浦港に到着しました。
そして田の浦港に定期船が入港しました。
予想はしていましたが、今回もクロの影は全くなしでした。それでも歴史を感じる素晴らしい巡礼旅行ができました。久賀島。また来るまで。
次回は、お隣の奈留島での、ここ●旅です。
旧五輪教会堂の内部写真を掲載させていただきましたが、ダメな場合はご連絡いただければ削除します。
私の巡礼の年(外海編)(長崎キリシタン世界遺産)【カラスアゲハ、アオスジアゲハ、ルリシジミ、クロマダラソテツシジミ】 [長崎県]
長崎の海岸に生息するチョウの一種クロ●バメ●ジミ(クロと呼びます。)を探す旅の話しです。
長崎市にある大浦天主堂。西洋建築物では数少ない日本の国宝で、来年はたぶん世界遺産です。今回は長崎市でクロを探す旅をしました。
大浦天主堂は長崎の地で殉教した日本二十六聖人のために建てられたそうです。殉教した丘には二十六聖人の殉教の碑が建っていました。
平和を願って「平和祈念像」にも行ってきました。
長崎駅からバスに乗って外海(そとめ)の海岸に行き、クロを探す旅をしました。旧の外海町は長崎市と合併しましたので、今は貴重なマンホールの蓋です。
外海にある「長崎市外海子ども博物館」に外海地域にいるチョウが紹介されていました。その中にクロがいました。
一部の海岸にはクロの食草がまばらに生えていました。クロに逢いたい。
外海の海岸の向こうに角力灘が広がり、九州最後の炭坑跡が見学できる「池島」が浮かんでいました。(レンズの汚れが写ってしまいました。ご容赦願います。以下同様)
大野教会堂に到着しました。小さな教会ですが、個性的な姿は国の重要文化財で、世界遺産候補です。
角力灘の海を背景に聖母像が建っていました。
大野教会堂の庭に咲いていたヒガンバナにカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
カラスアゲハはヒガンバナがお好きなようです。
次に大野教会堂の南にある出津(しつ)に行きました。出津にある歴史の道を出津教会堂に向かって進みました。
出津の歴史の道の石垣でヤマトシジミが産卵していました。
クロと名前も姿も紛らわしいクロマダラソテツシジミがいました。もともとは南洋のチョウですが、ここまで生息域を広げているようです。
名残りのタカサゴユリが咲いていました。
出津教会堂の若々しい聖母様。出津教会堂とその関連施設も世界遺産の候補です。
外海の海岸でクロ探しをしました。
磯に降りましたが、急に日が陰ってしまいチョウはいませんでした。
違う場所の磯でもクロはいません。今回もクロに巡り逢うことはかないませんでした。
磯ではアオスジアゲハが吸蜜していました。
ルリシジミもいました。シジミチョウの仲間はなんでもクロに見えてしまいます。
外海にある黒崎永田湿地自然公園でチョウ探し。止まらないキチョウの仲間がいましたが、写真はバスの乗車時間が迫っており、時間切れのためパスしました。
海岸沿いの所々には海を渡るチョウが飛んでいました。
遠藤周作の文学碑「沈黙の碑」が建てられていました。
遠藤周作文学館が見晴らしのいい丘に立っていました。「狐狸庵先生。お懐かしい。」
黒崎教会は赤れんがで建てられていました。聖母様が出迎えてくれます。
長崎の街に戻りました。夕暮れの出島に繰り出しました。
夜。長崎の中華街は中秋節を迎えていました。空は満月ではないけど、大きな月が浮かんでいました。
満月に模した黄色いランタンが通りに灯り、とてもきれいでした。
盛りだくさんの中秋の名月のお供え物。
月の女神アルテミスの化身オオミズアオ。月はいったん死でまた満ちる。
いつまでクロを探す巡礼の旅が続くのだろう。
※「大浦天主堂」長崎市、「外海の大野集落」長崎市及び「外海の出津集落」長崎市は2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
長崎市にある大浦天主堂。西洋建築物では数少ない日本の国宝で、来年はたぶん世界遺産です。今回は長崎市でクロを探す旅をしました。
大浦天主堂は長崎の地で殉教した日本二十六聖人のために建てられたそうです。殉教した丘には二十六聖人の殉教の碑が建っていました。
平和を願って「平和祈念像」にも行ってきました。
長崎駅からバスに乗って外海(そとめ)の海岸に行き、クロを探す旅をしました。旧の外海町は長崎市と合併しましたので、今は貴重なマンホールの蓋です。
外海にある「長崎市外海子ども博物館」に外海地域にいるチョウが紹介されていました。その中にクロがいました。
一部の海岸にはクロの食草がまばらに生えていました。クロに逢いたい。
外海の海岸の向こうに角力灘が広がり、九州最後の炭坑跡が見学できる「池島」が浮かんでいました。(レンズの汚れが写ってしまいました。ご容赦願います。以下同様)
大野教会堂に到着しました。小さな教会ですが、個性的な姿は国の重要文化財で、世界遺産候補です。
角力灘の海を背景に聖母像が建っていました。
大野教会堂の庭に咲いていたヒガンバナにカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
カラスアゲハはヒガンバナがお好きなようです。
次に大野教会堂の南にある出津(しつ)に行きました。出津にある歴史の道を出津教会堂に向かって進みました。
出津の歴史の道の石垣でヤマトシジミが産卵していました。
クロと名前も姿も紛らわしいクロマダラソテツシジミがいました。もともとは南洋のチョウですが、ここまで生息域を広げているようです。
名残りのタカサゴユリが咲いていました。
出津教会堂の若々しい聖母様。出津教会堂とその関連施設も世界遺産の候補です。
外海の海岸でクロ探しをしました。
磯に降りましたが、急に日が陰ってしまいチョウはいませんでした。
違う場所の磯でもクロはいません。今回もクロに巡り逢うことはかないませんでした。
磯ではアオスジアゲハが吸蜜していました。
ルリシジミもいました。シジミチョウの仲間はなんでもクロに見えてしまいます。
外海にある黒崎永田湿地自然公園でチョウ探し。止まらないキチョウの仲間がいましたが、写真はバスの乗車時間が迫っており、時間切れのためパスしました。
海岸沿いの所々には海を渡るチョウが飛んでいました。
遠藤周作の文学碑「沈黙の碑」が建てられていました。
遠藤周作文学館が見晴らしのいい丘に立っていました。「狐狸庵先生。お懐かしい。」
黒崎教会は赤れんがで建てられていました。聖母様が出迎えてくれます。
長崎の街に戻りました。夕暮れの出島に繰り出しました。
夜。長崎の中華街は中秋節を迎えていました。空は満月ではないけど、大きな月が浮かんでいました。
満月に模した黄色いランタンが通りに灯り、とてもきれいでした。
盛りだくさんの中秋の名月のお供え物。
月の女神アルテミスの化身オオミズアオ。月はいったん死でまた満ちる。
いつまでクロを探す巡礼の旅が続くのだろう。
※「大浦天主堂」長崎市、「外海の大野集落」長崎市及び「外海の出津集落」長崎市は2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
私の巡礼の年(佐世保・黒島編)(長崎キリシタン世界遺産)【カラスアゲハ、コミスジ、アカタテハ、ナミアゲハほか】 [長崎県]
9月の連休は昨年に引き続き、長崎でクロを探す巡礼の旅をしてきました。
このクロツバメシジミ(以下、クロ)は長野県産ですが、クロには山に生息するもの以外に海に生息するものもいるとのこと。海に生きるクロを探して前回は長崎県の北部を巡礼しましたが、今回は佐世保辺りをぶらぶら節(長崎ですから)してきました。
弓張岳に到着。ここは迷蝶が出没するらしいのですが、残念ながらいませんでした。
九十九島がよく見える展望台もチョウの影はありませんでした。
お腹がすいたので、佐世保バーガーでランチしました。
せっかくきたので、九十九島を巡る遊覧船に乗りました。
環境省の九十九島ビジターセンターに展示されているマップです。九十九島は西海国立公園に指定されています。
九十九島の一つ、横島は別名ライオン島と呼ばれているそうです。
狭い島と島の間をスリル満点に巡りますので、とても楽しい船旅です。
九十九島の多様な景観。
豊かな里海の景色です。豊漁を願い恵比寿様がまつられていました。
昆虫おじさんは九十九島で虫探し。
絶滅が心配されている海に生息するウミアメンボの一種、シオアメンボです。
水族館、海きららに入りました。水族館好きおじさんでもあります。
九十九島の海にはカブトガニが棲息しているそうです。
海きららの売りの一つ、クラゲがきれいに展示されていました。
クラゲの発光物質でノーベル化学賞を受賞した下村教授は佐世保出身だそうです。
九十九島の海岸には、海外ではセーラーといわれているコミスジがスイスイと飛んでいました。
クサギの花にはカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
夕暮れ近く、アオスジアゲハが上空を舞っていました。
夕日がきれいな九十九島ですが、明日からのチョウ探しの巡礼に備えるため、今日の日はさようなら。
佐世保の夜。駅近くの教会がライトアップされていました。
別の日、佐世保港の北にある相浦港から「フェリーくろしま」に乗って、九十九島最大の島、黒島に行ってきました。
九十九島の多様な島の一つ。
黒島天主堂に到着。管理人さんに断って素晴らしい天主堂を見学させていただきました。
黒島天主堂は国の重要文化財で「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」で、たぶん来年は世界遺産です。
天主堂近くにキバナコスモスや百日草のお花畑がありました。キバナコスモスでチャバネセセリが吸蜜していました。
別角度からパチリ。
アサガオの花でもイチモンジセセリが吸蜜していました。
アカタテハは百日草で吸蜜。
ナミアゲハも吸蜜。
クロアゲハも吸蜜。お目当てのクロは、クロアゲハのことではありません。
黒島からのフェリー最終便に乗り込みました。残念ながら黒島を含め佐世保周辺でクロを発見できませんでした。まだまだ巡礼の旅は続きそうです。
さて次はどこに行こう。
※「黒島の集落」は、2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
このクロツバメシジミ(以下、クロ)は長野県産ですが、クロには山に生息するもの以外に海に生息するものもいるとのこと。海に生きるクロを探して前回は長崎県の北部を巡礼しましたが、今回は佐世保辺りをぶらぶら節(長崎ですから)してきました。
弓張岳に到着。ここは迷蝶が出没するらしいのですが、残念ながらいませんでした。
九十九島がよく見える展望台もチョウの影はありませんでした。
お腹がすいたので、佐世保バーガーでランチしました。
せっかくきたので、九十九島を巡る遊覧船に乗りました。
環境省の九十九島ビジターセンターに展示されているマップです。九十九島は西海国立公園に指定されています。
九十九島の一つ、横島は別名ライオン島と呼ばれているそうです。
狭い島と島の間をスリル満点に巡りますので、とても楽しい船旅です。
九十九島の多様な景観。
豊かな里海の景色です。豊漁を願い恵比寿様がまつられていました。
昆虫おじさんは九十九島で虫探し。
絶滅が心配されている海に生息するウミアメンボの一種、シオアメンボです。
水族館、海きららに入りました。水族館好きおじさんでもあります。
九十九島の海にはカブトガニが棲息しているそうです。
海きららの売りの一つ、クラゲがきれいに展示されていました。
クラゲの発光物質でノーベル化学賞を受賞した下村教授は佐世保出身だそうです。
九十九島の海岸には、海外ではセーラーといわれているコミスジがスイスイと飛んでいました。
クサギの花にはカラスアゲハが吸蜜に訪れていました。
夕暮れ近く、アオスジアゲハが上空を舞っていました。
夕日がきれいな九十九島ですが、明日からのチョウ探しの巡礼に備えるため、今日の日はさようなら。
佐世保の夜。駅近くの教会がライトアップされていました。
別の日、佐世保港の北にある相浦港から「フェリーくろしま」に乗って、九十九島最大の島、黒島に行ってきました。
九十九島の多様な島の一つ。
黒島天主堂に到着。管理人さんに断って素晴らしい天主堂を見学させていただきました。
黒島天主堂は国の重要文化財で「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」で、たぶん来年は世界遺産です。
天主堂近くにキバナコスモスや百日草のお花畑がありました。キバナコスモスでチャバネセセリが吸蜜していました。
別角度からパチリ。
アサガオの花でもイチモンジセセリが吸蜜していました。
アカタテハは百日草で吸蜜。
ナミアゲハも吸蜜。
クロアゲハも吸蜜。お目当てのクロは、クロアゲハのことではありません。
黒島からのフェリー最終便に乗り込みました。残念ながら黒島を含め佐世保周辺でクロを発見できませんでした。まだまだ巡礼の旅は続きそうです。
さて次はどこに行こう。
※「黒島の集落」は、2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
私の巡礼の年(輝く朝日に願う。)(小値賀島・野崎島編)(長崎キリシタン世界遺産)【アカタテハ、ヒメアカタテハ、ヤマトシジミ、シルビアシジミ】 [長崎県]
前回に引き続き、長崎県小値賀町での出来事です。
豊かな海から朝日が昇りました。今日はクロに会えるようにひろーい心でお願いしました。
朝飯前に小値賀町の歴史民族資料館で聞いた古い時代のお墓の跡を見に行きました。宝飾品も併せて出土したとのことなのですが、小さな島でも豊かな海洋国家ニッポンを感じました。
前日は小値賀島歴史民俗資料館に行ってきました。学芸員の方から島に関するいろいろなことを聞きました。
この資料館も捕鯨で財を成した家を利用しているそうです。そのためお庭も立派です。
小値賀島は「人のかたち」をしているそうです。島の周囲は遠浅の海で魚がたくさん獲れるそうですが、今は昔ほど…残念ですが、よくある話し。
クロを探しに島を巡りました。比較的平坦な島なので自転車でも回れます。代表的な海岸の砂はまっかか。赤浜海岸に着きました。
海岸近くに咲いていたアワブキの花にアカタテハとヒメアカタテハがお尻を向け合って仲良く?吸蜜していました。
赤浜海岸近くのアカタテハと
ヒメアカタテハ。ヒメの方がちょこっと可愛い。
海岸沿いを北上し、かつて溶岩だった長崎鼻の海岸に着きました。
牧場にはダルマギクが咲いていて、小さなチョウが吸蜜していました。待望のクロに出会えるか。
そこにはヤマトシジミが仲良くしていました。
シルビアシジミにも出会いました。
天気が良かったので、シルビアシジミは翅を広げて日光浴。
しかしここでもクロに出会うことができませんでした。
巡礼の旅は時間切れとなり、佐世保行きのフェリーに乗り込み島を出港しました。
その途中、遠くに野崎島の舟森集落跡が見えてきました。十字架に再来を誓いました。
さようなら。今度来るときはクロに出会えるように…お願いします。(そのしたごころがよくない。)
※「野崎島の集落跡」小値賀島町は、2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
豊かな海から朝日が昇りました。今日はクロに会えるようにひろーい心でお願いしました。
朝飯前に小値賀町の歴史民族資料館で聞いた古い時代のお墓の跡を見に行きました。宝飾品も併せて出土したとのことなのですが、小さな島でも豊かな海洋国家ニッポンを感じました。
前日は小値賀島歴史民俗資料館に行ってきました。学芸員の方から島に関するいろいろなことを聞きました。
この資料館も捕鯨で財を成した家を利用しているそうです。そのためお庭も立派です。
小値賀島は「人のかたち」をしているそうです。島の周囲は遠浅の海で魚がたくさん獲れるそうですが、今は昔ほど…残念ですが、よくある話し。
クロを探しに島を巡りました。比較的平坦な島なので自転車でも回れます。代表的な海岸の砂はまっかか。赤浜海岸に着きました。
海岸近くに咲いていたアワブキの花にアカタテハとヒメアカタテハがお尻を向け合って仲良く?吸蜜していました。
赤浜海岸近くのアカタテハと
ヒメアカタテハ。ヒメの方がちょこっと可愛い。
海岸沿いを北上し、かつて溶岩だった長崎鼻の海岸に着きました。
牧場にはダルマギクが咲いていて、小さなチョウが吸蜜していました。待望のクロに出会えるか。
そこにはヤマトシジミが仲良くしていました。
シルビアシジミにも出会いました。
天気が良かったので、シルビアシジミは翅を広げて日光浴。
しかしここでもクロに出会うことができませんでした。
巡礼の旅は時間切れとなり、佐世保行きのフェリーに乗り込み島を出港しました。
その途中、遠くに野崎島の舟森集落跡が見えてきました。十字架に再来を誓いました。
さようなら。今度来るときはクロに出会えるように…お願いします。(そのしたごころがよくない。)
※「野崎島の集落跡」小値賀島町は、2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
私の巡礼の年(夕映えに赤く染まる。)(小値賀島・野崎島編)(長崎キリシタン世界遺産)【アカタテハ、ヒメアカタテハ】 [長崎県]
冬眠で中断してしまったクロ(クロツバ●シジ●、このチョウの記事ではないので、●にはメとミが入ります。)を巡る巡礼の旅の続きです。(平成26年秋のことで最新の記事ではありませんが、ときどき登場しますので、おつきあいください。)
佐世保港からクロを探しに五島列島の東に位置する小値賀島に行ってきました。乗り込んだ高速船は、東シナ海が大荒れだったため、たいへんなメに会いました。
その日は小値賀島に泊まって、翌朝、小値賀島の東に位置する現在はほぼ無人の野崎島に行きました。定期船が故障したため、そのかわりに小値賀町がチャーターしたつり船で野崎島に到着しました。
ここは西海国立公園のまっただ中です。
そして世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つ「旧野首教会堂と関連遺跡」の施設があります。野崎島の野崎港から無人の野崎集落跡を抜け、野首集落跡まで歩きました。野首集落跡に近づくとそこには堂々たる赤れんがの野首教会が建っていました。
野首集落に住んでいた17世帯の信徒の寄付で建てられたとは思えない立派なものです。
野首教会は、当時の教会建築の第一人者、鉄川与助棟梁によって建てられたそうです。
現在、野首教会は教会としての役目を終え、文化財として小値賀町が大切に保存管理しているそうです。そんなことなので撮影はOKのようです。祭壇にコウモリ天井、そしてステンドグラス。はるばる来たぜ〇〇という心境です。
4色のステンドグラスからはそれぞれの色の光の帯が内部に向かって伸びていました。
教会の入口にはステンドグラスの丸窓が飾られていました。
柱にローマ風の彫刻がされ、コウモリ天井の中心にも彫刻が飾られていました。
赤いステンドグラスを通して、外の荒涼とした野首集落跡が見えました。
有毒なためシカが食べない外来種のトウワタの花でヒメアカタテハが吸蜜していました。
火口の噴出の痕跡である赤土の上にヒメアカタテハが止まっていました。
赤土にアカタテハも止まっていました。
この赤土は野崎島の海岸に向かって開いている爆裂火口が原因だそうです。
野島集落跡にあった案内板に二半岳の登山道が掲示されていました。山やとしては登ってみたくなります。時間もあることですし、二半岳に登ることにしました。
中腹から野首集落跡の野首教会と綺麗な砂浜が見えました。
二半岳山頂の見晴らしは思ったよりよく見えました。平坦な小値賀島の特徴がよくわかりました。
二半岳では野生のシカとよく遭遇しました。オスジカがこちらを見ていました。
野崎島は野生ジカがたくさん生息しているそうです。そのため登山道の林には下草が無い印象でした。
野首集落跡の東には綺麗な砂浜があり、かつては海水浴場だったようです。浜辺からも野首教会が見えました。
帰りの船の中から野崎島の南にある舟森集落の跡地が見えました。ここも世界遺産候補地です。本当の僻地、断崖に築かれた集落の跡に機会があれば行ってみたいと思いました。
小値賀島に戻り、東シナ海に沈む夕陽に赤く染まりながらお祈りしました。「明日もお陽様が微笑んでくれますように。」
※「野崎島の集落跡」小値賀島町は、2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
佐世保港からクロを探しに五島列島の東に位置する小値賀島に行ってきました。乗り込んだ高速船は、東シナ海が大荒れだったため、たいへんなメに会いました。
その日は小値賀島に泊まって、翌朝、小値賀島の東に位置する現在はほぼ無人の野崎島に行きました。定期船が故障したため、そのかわりに小値賀町がチャーターしたつり船で野崎島に到着しました。
ここは西海国立公園のまっただ中です。
そして世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つ「旧野首教会堂と関連遺跡」の施設があります。野崎島の野崎港から無人の野崎集落跡を抜け、野首集落跡まで歩きました。野首集落跡に近づくとそこには堂々たる赤れんがの野首教会が建っていました。
野首集落に住んでいた17世帯の信徒の寄付で建てられたとは思えない立派なものです。
野首教会は、当時の教会建築の第一人者、鉄川与助棟梁によって建てられたそうです。
現在、野首教会は教会としての役目を終え、文化財として小値賀町が大切に保存管理しているそうです。そんなことなので撮影はOKのようです。祭壇にコウモリ天井、そしてステンドグラス。はるばる来たぜ〇〇という心境です。
4色のステンドグラスからはそれぞれの色の光の帯が内部に向かって伸びていました。
教会の入口にはステンドグラスの丸窓が飾られていました。
柱にローマ風の彫刻がされ、コウモリ天井の中心にも彫刻が飾られていました。
赤いステンドグラスを通して、外の荒涼とした野首集落跡が見えました。
有毒なためシカが食べない外来種のトウワタの花でヒメアカタテハが吸蜜していました。
火口の噴出の痕跡である赤土の上にヒメアカタテハが止まっていました。
赤土にアカタテハも止まっていました。
この赤土は野崎島の海岸に向かって開いている爆裂火口が原因だそうです。
野島集落跡にあった案内板に二半岳の登山道が掲示されていました。山やとしては登ってみたくなります。時間もあることですし、二半岳に登ることにしました。
中腹から野首集落跡の野首教会と綺麗な砂浜が見えました。
二半岳山頂の見晴らしは思ったよりよく見えました。平坦な小値賀島の特徴がよくわかりました。
二半岳では野生のシカとよく遭遇しました。オスジカがこちらを見ていました。
野崎島は野生ジカがたくさん生息しているそうです。そのため登山道の林には下草が無い印象でした。
野首集落跡の東には綺麗な砂浜があり、かつては海水浴場だったようです。浜辺からも野首教会が見えました。
帰りの船の中から野崎島の南にある舟森集落の跡地が見えました。ここも世界遺産候補地です。本当の僻地、断崖に築かれた集落の跡に機会があれば行ってみたいと思いました。
小値賀島に戻り、東シナ海に沈む夕陽に赤く染まりながらお祈りしました。「明日もお陽様が微笑んでくれますように。」
※「野崎島の集落跡」小値賀島町は、2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として世界文化遺産に登録されました。※
私の巡礼の年(生月島編)【モンシロチョウ、コミスジ、ナミアゲハ、モンキアゲハ】 [長崎県]
平戸島の隣にある南北に長くひょろっとした島が生月島です。生月島にはク●ツバメ●ジミ(クロとします。)が生息しているらしいので、待望の出会えるチャンスです。
今回は平戸桟橋近くにある南蛮船のモニュメントから出発です。
平戸島と生月島をつなぐ生月大橋は工事中でしたが、しかとして歩いて渡りました。(ご迷惑をおかけしました。)
海峡はまさにアゴ(トビウオ)漁の最盛期で、2艘の船がタイミングを図って網を引き、アゴを獲っていました。地元の方の話しでは、アゴ漁はよい風向きと強い風が漁を左右するそうです。この日の風は絶好の日でした。
生月島の名物の一つ「アゴだしラーメン」を食べました。ここではだしとえばアゴだしだそうです。
生月島にある平戸市生月町博物館島の館を見学しました。
ここの1階はかつて盛んだったクジラ漁や江戸時代の史上最大(身長2m27cm)の相撲取り「生月 鯨太左衛門」に関する展示が行われていました。2階は、生月島の生活と祭りや隠れキリシタンの展示でとても充実していました。
一応、ナチュラリストなんで…。生月島の西側は断崖が続きますが、なかでも塩俵の断崖は生月島を代表する絶景だそうです。
大バエ灯台も名所の一つです。ちなみにハエ(蝿)とは関係ございません。
灯台の下は断崖絶壁です。
断崖を行きましょう。でもアゴ漁の絶好の日は、強風が吹き荒れる日です。チョウはヤマトシジミが少々と……残念な結果に。
またの機会に訪れましょう。
生月島にはエゾスジグロシロチョウが特異的に生息しているそうですが、いたのはモンシロチョウでした。
平戸島ですが、コミスジがスイスイと飛んでいました。
生月島の草原にはアジアイトトンボがいました。
生月大橋を渡ってすぐの場所にいたナツアカネ。
マユタテアカネも平戸島にいました。
ウスバキトンボも平戸島で撮影しました。
ヤブツルアズキは生月島で咲いていました。日本在来のアズキの原種だそうです。
強風のためチョウ探しを断念して、生月島で巡礼の旅をしました。先ずは生月島のキリシタン殉教の碑、ガスパル様にお参り。
そして「蝶の教会」山田教会に行きました。この教会は大正元年に教会建築の棟梁鉄川与助氏が建てたものだそうです。平成2年の改修の際、教会の壁は、キリストの受難を蝶の羽根を使ったオブジェの壁画で飾られました。現役の教会なのでブログの掲載は自主規制。そういえば、たびら昆虫自然園でも田平教会の元神父様から寄贈を受けた貴重なチョウの標本が展示されていました。この方はチョウの研究者でもあるそうです。
生月大橋の近くの漁港からもうすぐ出航する巻き網漁の漁船が待機していました。巻き網漁は船団を組んで外洋で長期にわたって漁をするそうです。
平戸島のお土産屋で売っていた「平戸の鬼洋蝶」です。凧揚げのたこの一種ですが、同じようなものを五島列島で見ました。とてもチョウとは思えませんが、上げるものは縁起ものです。
ナミアゲハが吸蜜。
夕陽に包まれたモンキアゲハ。
平戸城の空模様は風雲急を告げているようでした。楽しかった平戸島を離れて、次こそはクロに巡り会えるか。それは次回以降のおたのしみ。つづく。
今回は平戸桟橋近くにある南蛮船のモニュメントから出発です。
平戸島と生月島をつなぐ生月大橋は工事中でしたが、しかとして歩いて渡りました。(ご迷惑をおかけしました。)
海峡はまさにアゴ(トビウオ)漁の最盛期で、2艘の船がタイミングを図って網を引き、アゴを獲っていました。地元の方の話しでは、アゴ漁はよい風向きと強い風が漁を左右するそうです。この日の風は絶好の日でした。
生月島の名物の一つ「アゴだしラーメン」を食べました。ここではだしとえばアゴだしだそうです。
生月島にある平戸市生月町博物館島の館を見学しました。
ここの1階はかつて盛んだったクジラ漁や江戸時代の史上最大(身長2m27cm)の相撲取り「生月 鯨太左衛門」に関する展示が行われていました。2階は、生月島の生活と祭りや隠れキリシタンの展示でとても充実していました。
一応、ナチュラリストなんで…。生月島の西側は断崖が続きますが、なかでも塩俵の断崖は生月島を代表する絶景だそうです。
大バエ灯台も名所の一つです。ちなみにハエ(蝿)とは関係ございません。
灯台の下は断崖絶壁です。
断崖を行きましょう。でもアゴ漁の絶好の日は、強風が吹き荒れる日です。チョウはヤマトシジミが少々と……残念な結果に。
またの機会に訪れましょう。
生月島にはエゾスジグロシロチョウが特異的に生息しているそうですが、いたのはモンシロチョウでした。
平戸島ですが、コミスジがスイスイと飛んでいました。
生月島の草原にはアジアイトトンボがいました。
生月大橋を渡ってすぐの場所にいたナツアカネ。
マユタテアカネも平戸島にいました。
ウスバキトンボも平戸島で撮影しました。
ヤブツルアズキは生月島で咲いていました。日本在来のアズキの原種だそうです。
強風のためチョウ探しを断念して、生月島で巡礼の旅をしました。先ずは生月島のキリシタン殉教の碑、ガスパル様にお参り。
そして「蝶の教会」山田教会に行きました。この教会は大正元年に教会建築の棟梁鉄川与助氏が建てたものだそうです。平成2年の改修の際、教会の壁は、キリストの受難を蝶の羽根を使ったオブジェの壁画で飾られました。現役の教会なのでブログの掲載は自主規制。そういえば、たびら昆虫自然園でも田平教会の元神父様から寄贈を受けた貴重なチョウの標本が展示されていました。この方はチョウの研究者でもあるそうです。
生月大橋の近くの漁港からもうすぐ出航する巻き網漁の漁船が待機していました。巻き網漁は船団を組んで外洋で長期にわたって漁をするそうです。
平戸島のお土産屋で売っていた「平戸の鬼洋蝶」です。凧揚げのたこの一種ですが、同じようなものを五島列島で見ました。とてもチョウとは思えませんが、上げるものは縁起ものです。
ナミアゲハが吸蜜。
夕陽に包まれたモンキアゲハ。
平戸城の空模様は風雲急を告げているようでした。楽しかった平戸島を離れて、次こそはクロに巡り会えるか。それは次回以降のおたのしみ。つづく。
私の巡礼の年(平戸島編その3)【ツマグロヒョウモン、メスグロヒョウモン、ジャノメチョウ、ムラサキシジミ、タイワンツバメシジミ】 [長崎県]
今回は、写真がもりだくさんですが、クロとは全く関係ないところです。でもクロの仲間がいるようなので、巡礼の番外編としました。9月に行った長崎県平戸市での出来事です。
朝飯前に平戸の町並みを散歩しました。まずは平戸の街中にそびえるザビエル記念教会を見学しました。左右非対称の尖塔が個性的な華麗な教会です。日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルは平戸に3回来たそうです。
教会からの帰り道は「寺院と教会の見える道」を通りました。この道は平戸の代表的な景観の一つです。
さらに代表的な景観の一つに川内峠があります。川内峠には「海抜0mから登ろう。」とバス停、川内峠登山口から出発しました。ヤマヤの心意気。
草原の山、川内峠は、家畜の飼料用のために木を切り開いて作ったそうです。周りには戦時非常食用にマテバシイの林が植えられているそうです。
登山道は田んぼや畑、植林地を抜けて、西海国立公園に指定されている川内峠にトウチャコ。
川内峠の三角点です。見晴らしも最高です。
この時期、草原も秋の花盛りとなりました。先ずは秋の七草の一つ「オミナエシ」の花が風に揺らいでいました。
各地で絶滅が心配されている在来種「ヒメシオン」も草原の花。
ヒヨドリバナの仲間も草原の花です。
背の高いキセワタの花にはアゲハをはじめ、たくさんの昆虫が吸蜜に訪れていました。
平戸の草原のヤマラッキョウの仲間はまだ堅いツボミでした。もしこのツボミが平戸の固有種だったら絶滅が心配されています。
ツボミがタヌキの尾っぽのようなことからタヌキマメというそうです。
草原を彩るアザミの花がたくさん咲いていました。
艶やかなフウロソウの仲間も咲いていました。
シバハギは見つけるのがたいへんでした。
南蛮船の寄港地平戸の丘の上に咲いていたナンバンギセル。
チョウの一番手はツマグロヒョウモンのオスでした。
草原のチョウ「ジャノメチョウ」もいました。
森と草原の境にはムラサキシジミや。
メスグロヒョウモンのメスも飛んでいました。
平戸市にはクロの仲間がいるらしいのですが、このチョウかな。ここにいたのではないので、名前はパス。
もしクロの仲間だったら捕獲禁止です。罰金は一千万円に改正しましょう。
風が強めだったので、トンボの写真はぶれて残念な結果に。ナツアカネが止まっていましたが…。
シオカラトンボは縦に止まってました。うまくいった。
道にマイマイカブリが出てきました、と思った瞬間。
死んでしまいました。それとも死んだふり?あれれ、わしなにもやっとらんで。(おろおろ)
川内峠から歩いて平戸市街に戻りました。朝、見学したザビエル記念教会の塔が見えました。ヤマヤとしては満足です。
今回はおまけ付き。
登山のあと、少しだけ教会に巡礼をしてきました。
平戸島の中程に宝亀教会があります。宝亀教会の外観は個性的で雰囲気はラテン系。でも中に足を踏み入れるとコウモリ天井の荘厳な雰囲気でした。
宝亀教会とは雰囲気ががらっと変わって、白い尖塔がいかにも長崎らしい紐差教会も行ってきました。この教会も教会建築の第一人者鉄川与助氏が建てたもので、鉄筋コンクリート製だそうです。
紐差教会の内部は白を基調とした花の浮彫が見事な折上天井で、すごーく荘厳で美しいのですが、ここも現役の教会なので自主規制。この玄関のステンドグラスは、内部のものと同じ模様でした。
クロを探す旅はまだまだ続きます。
朝飯前に平戸の町並みを散歩しました。まずは平戸の街中にそびえるザビエル記念教会を見学しました。左右非対称の尖塔が個性的な華麗な教会です。日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルは平戸に3回来たそうです。
教会からの帰り道は「寺院と教会の見える道」を通りました。この道は平戸の代表的な景観の一つです。
さらに代表的な景観の一つに川内峠があります。川内峠には「海抜0mから登ろう。」とバス停、川内峠登山口から出発しました。ヤマヤの心意気。
草原の山、川内峠は、家畜の飼料用のために木を切り開いて作ったそうです。周りには戦時非常食用にマテバシイの林が植えられているそうです。
登山道は田んぼや畑、植林地を抜けて、西海国立公園に指定されている川内峠にトウチャコ。
川内峠の三角点です。見晴らしも最高です。
この時期、草原も秋の花盛りとなりました。先ずは秋の七草の一つ「オミナエシ」の花が風に揺らいでいました。
各地で絶滅が心配されている在来種「ヒメシオン」も草原の花。
ヒヨドリバナの仲間も草原の花です。
背の高いキセワタの花にはアゲハをはじめ、たくさんの昆虫が吸蜜に訪れていました。
平戸の草原のヤマラッキョウの仲間はまだ堅いツボミでした。もしこのツボミが平戸の固有種だったら絶滅が心配されています。
ツボミがタヌキの尾っぽのようなことからタヌキマメというそうです。
草原を彩るアザミの花がたくさん咲いていました。
艶やかなフウロソウの仲間も咲いていました。
シバハギは見つけるのがたいへんでした。
南蛮船の寄港地平戸の丘の上に咲いていたナンバンギセル。
チョウの一番手はツマグロヒョウモンのオスでした。
草原のチョウ「ジャノメチョウ」もいました。
森と草原の境にはムラサキシジミや。
メスグロヒョウモンのメスも飛んでいました。
平戸市にはクロの仲間がいるらしいのですが、このチョウかな。ここにいたのではないので、名前はパス。
もしクロの仲間だったら捕獲禁止です。罰金は一千万円に改正しましょう。
風が強めだったので、トンボの写真はぶれて残念な結果に。ナツアカネが止まっていましたが…。
シオカラトンボは縦に止まってました。うまくいった。
道にマイマイカブリが出てきました、と思った瞬間。
死んでしまいました。それとも死んだふり?あれれ、わしなにもやっとらんで。(おろおろ)
川内峠から歩いて平戸市街に戻りました。朝、見学したザビエル記念教会の塔が見えました。ヤマヤとしては満足です。
今回はおまけ付き。
登山のあと、少しだけ教会に巡礼をしてきました。
平戸島の中程に宝亀教会があります。宝亀教会の外観は個性的で雰囲気はラテン系。でも中に足を踏み入れるとコウモリ天井の荘厳な雰囲気でした。
宝亀教会とは雰囲気ががらっと変わって、白い尖塔がいかにも長崎らしい紐差教会も行ってきました。この教会も教会建築の第一人者鉄川与助氏が建てたもので、鉄筋コンクリート製だそうです。
紐差教会の内部は白を基調とした花の浮彫が見事な折上天井で、すごーく荘厳で美しいのですが、ここも現役の教会なので自主規制。この玄関のステンドグラスは、内部のものと同じ模様でした。
クロを探す旅はまだまだ続きます。
私の巡礼の年(昆虫の里たびら編)【カラスアゲハ、ナガサキアゲハ】 [長崎県]
9月と11月に、クロがついている名前のチョウを求めて、長崎県を巡礼しました。そのときの話しです。
今回は昆虫の里たびらを巡礼しました。たびらの「道の駅」にある大カブトムシのモニュメントから出発です。朝の内にたびらの海岸に行って来ましたが、相変わらすクロに出会えませんでした。
せっかくなので、世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つ「田平天主堂」に行くことにしました。この天主堂は国指定の重要文化財でもあります。日本における教会建築の第一人者の鉄川与助の最高傑作の一つだそうです。隣には信者さんの墓地がありますが、威厳の中に明るい雰囲気がある天主堂でした。
正面に聖母様がいて、それが明るい雰囲気を放っているかも…。天主堂の中もたいへん綺麗でとても大正時代に建てられたと思えません。イタリア製のステンドグラスが見事なのですが、現役の教会なので自主規制。
長崎の教会は後から見ても綺麗なシルエットです。
教会のお花畑に咲いていたヒガンバナにはカラスアゲハが吸蜜していました。
カメラ目線に気づかれ、逃げられましたが、そろそろ次の所に行かないと…。
昆虫の里たびらには、たびら昆虫自然園があります。もとは長崎県の果樹試験場だったそうですが、田平町(現在は平戸市田平町)が昆虫自然園に変えました。田平町には昆虫写真家栗林さんがいて、昆虫自然園主催の写真コンテストの審査員をしているそうです。
ホールには昆虫に関するグッツの売店もあります。
最初に職員(館長さんはたのしい)の方が昆虫のことを説明してくれます。目からウロコの話し多数でした。
子供に人気あるカブトムシがたくさん発生するよう、幼虫のすみかをたくさん作っているそうです。
植物は、たびらの里に生えている樹木や草本が原則だそうですが、ナガサキアゲハが園芸種の花で吸蜜していました。
カラタチで産卵を始めました。長崎県でナガサキアゲハが撮れてよかった。
近くにはアゲハモドキがジッとしていました。
この日は風があったので、枝先に止まっていたリスアカネはほとんどピンボケでした。
マユタテアカネは子孫を残そうと一生懸命でした。
池の薄暗い所にはモノサシトンボがいて、相変わらずのんびり飛んだり、止まったりを繰り返していました。モノサシトンボは撮りやすいので、大好きです。
ベニイトトンボもいました。
カトリックの里にカトリヤンマがいたというのは出来過ぎの話しでした。今回もバチが当たることをしたので、クロに会えず。巡礼の旅は続きます。
※2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は世界文化遺産に登録されましたが、田平天主堂は「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産に含まれていません。※
今回は昆虫の里たびらを巡礼しました。たびらの「道の駅」にある大カブトムシのモニュメントから出発です。朝の内にたびらの海岸に行って来ましたが、相変わらすクロに出会えませんでした。
せっかくなので、世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つ「田平天主堂」に行くことにしました。この天主堂は国指定の重要文化財でもあります。日本における教会建築の第一人者の鉄川与助の最高傑作の一つだそうです。隣には信者さんの墓地がありますが、威厳の中に明るい雰囲気がある天主堂でした。
正面に聖母様がいて、それが明るい雰囲気を放っているかも…。天主堂の中もたいへん綺麗でとても大正時代に建てられたと思えません。イタリア製のステンドグラスが見事なのですが、現役の教会なので自主規制。
長崎の教会は後から見ても綺麗なシルエットです。
教会のお花畑に咲いていたヒガンバナにはカラスアゲハが吸蜜していました。
カメラ目線に気づかれ、逃げられましたが、そろそろ次の所に行かないと…。
昆虫の里たびらには、たびら昆虫自然園があります。もとは長崎県の果樹試験場だったそうですが、田平町(現在は平戸市田平町)が昆虫自然園に変えました。田平町には昆虫写真家栗林さんがいて、昆虫自然園主催の写真コンテストの審査員をしているそうです。
ホールには昆虫に関するグッツの売店もあります。
最初に職員(館長さんはたのしい)の方が昆虫のことを説明してくれます。目からウロコの話し多数でした。
子供に人気あるカブトムシがたくさん発生するよう、幼虫のすみかをたくさん作っているそうです。
植物は、たびらの里に生えている樹木や草本が原則だそうですが、ナガサキアゲハが園芸種の花で吸蜜していました。
カラタチで産卵を始めました。長崎県でナガサキアゲハが撮れてよかった。
近くにはアゲハモドキがジッとしていました。
この日は風があったので、枝先に止まっていたリスアカネはほとんどピンボケでした。
マユタテアカネは子孫を残そうと一生懸命でした。
池の薄暗い所にはモノサシトンボがいて、相変わらずのんびり飛んだり、止まったりを繰り返していました。モノサシトンボは撮りやすいので、大好きです。
ベニイトトンボもいました。
カトリックの里にカトリヤンマがいたというのは出来過ぎの話しでした。今回もバチが当たることをしたので、クロに会えず。巡礼の旅は続きます。
※2018年7月1日「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は世界文化遺産に登録されましたが、田平天主堂は「長崎、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産に含まれていません。※