冬桜はそっと咲く。第二章【キタテハ】 [神奈川県 鎌倉市]
しばらくブログをお休みをしていましたので、「ブログの更新してないけど、やめたの?」と、友人から指摘を受けました。いいえ、やめてません。ただメタボ対策で「休日は1日3万歩を歩こう!」と心に決めましたので、そのせいか夜も浅いうちに疲れた体と心が眠気を誘い・・・ムニャムニャムニャ・・・。
今年のブログは「神奈川県の世界遺産候補:鎌倉にある朝比奈切通」から始めましたので、そっと、そっとその続きを始めます。しかし、季節は年の暮れ。チョウなんて滅多に飛んでいません。
そこはご容赦くださいませ。
晩秋の朝比奈切通です。この時期、鎌倉の街中は大にぎわいですが、ここはとても静かでした。
朝比奈切通の入口にある太刀洗川の滝。
鎌倉五名水のひとつ、太刀洗水は勢いよく流れ落ちていました。太刀洗川の清流は下流の泉橋で滑川と合流します。今回、ここから滑川沿いに歩いてみました。
滑川の上流は別名「胡桃川」というそうですが、ここの川底はいかにもぬるぬるしているようで、滑川の呼び名の方が合っているような気がします。
滑川の告示板は汚らしいのですが、現在位置がよくわかりました。今は泉水橋にいます。
泉水橋から滑川の上流を遡ると光触寺があります。滑川に架かる赤橋の光触寺橋を渡って行きました。
光触寺の塩嘗め地蔵です。朝比奈峠がある金沢街道は鎌倉時代の商工業の重要道路。かつては金沢八景の港から鎌倉に塩が運ばれて来たそうです。商人は旅の無事を祈ってお地蔵さんに塩を納めていたようです。
ご当地の起こりは、この十二所神社です。十二所はジュウニソと読みます。
十二所神社から下って青砥橋に着きました。青砥橋から見た滑川です。
青砥橋を渡り、ちょこっと住宅街に向かったところに、鎌倉時代の優秀な行政及び司法の長官、青砥藤綱が住んでいた邸宅があったという石碑が立っていました。鎌倉幕府の質実剛健の風土はこの青砥藤綱の影響があったそうです。その話しは、別の機会に・・いずれ・・いつか・・
滑川をさらに下ると鎌倉五山の第五位、稲荷山浄妙寺の山門が見えてきました。
浄妙寺は花の寺で有名ですが、紅葉もきれいです。紅葉と黄葉の木々が本堂を彩り、鮮やかに染めていました。
浄妙寺には枯山水の庭園を眺めながら抹茶をいただける喜泉庵があります。今日はここで休憩しました。
上生菓子は鎌倉の高級和菓子店「美鈴」の柿の練りきりでした。
浄妙寺の紅葉は真っ盛りでした。
浄妙寺の散歩道には紅葉と並んで冬桜がそっとそっと咲いていました。同じ桜でも春のソメイヨシノのような豪華さは全くありませんが、
そんな冬桜の生き様が大好きです。
小さな花びらは、うす桃色に染まっていました。
艶やかな名残りの紅葉。
銀杏は風に吹かれて豪快に葉を落としていました。地上には黄葉が幾重にも重なっていました。
銀杏が黄葉を落とすと、すぐに蝋梅が黄色い花を咲かせていました。途切れることのない黄色の彩り。
キタテハが鎌倉五山の第三位、寿福寺で飛んでいました。残念ながら浄妙寺ではチョウを撮ることが出来ませんでした。チョウは飛んでいたのですか・・止まらない。
浄妙寺は足利家に縁があるそうです。足利尊氏の父、貞氏の墓や、言い伝えですが弟の足利直義は、このやぐらの中で眠っているそうです。
鎌倉の名の発祥伝説がある鎌足稲荷神社。藤原鎌足がここに鎌を埋めたことから鎌倉の名前が・・伝説ですが・・
浄妙寺を後に滑川に戻りました。滑川にかかる「華の橋」の下でカルガモが群れていました。ここからは鎌倉の有名寺院のオンパレードですが、それも次回以降に・・
滑川の河口は、西側に由比ケ浜海岸、東側に材木座海岸が広がります。由比ケ浜海岸の駐車場の一角に「さくら貝の歌」の歌碑がありました。
さくら貝の貝殻を探しましたが、見つけることができませんでした。そこで桜色の貝殻で桜の花を作りました。今日から冬の桜のようにそっと復活しました。
今年のブログは「神奈川県の世界遺産候補:鎌倉にある朝比奈切通」から始めましたので、そっと、そっとその続きを始めます。しかし、季節は年の暮れ。チョウなんて滅多に飛んでいません。
そこはご容赦くださいませ。
晩秋の朝比奈切通です。この時期、鎌倉の街中は大にぎわいですが、ここはとても静かでした。
朝比奈切通の入口にある太刀洗川の滝。
鎌倉五名水のひとつ、太刀洗水は勢いよく流れ落ちていました。太刀洗川の清流は下流の泉橋で滑川と合流します。今回、ここから滑川沿いに歩いてみました。
滑川の上流は別名「胡桃川」というそうですが、ここの川底はいかにもぬるぬるしているようで、滑川の呼び名の方が合っているような気がします。
滑川の告示板は汚らしいのですが、現在位置がよくわかりました。今は泉水橋にいます。
泉水橋から滑川の上流を遡ると光触寺があります。滑川に架かる赤橋の光触寺橋を渡って行きました。
光触寺の塩嘗め地蔵です。朝比奈峠がある金沢街道は鎌倉時代の商工業の重要道路。かつては金沢八景の港から鎌倉に塩が運ばれて来たそうです。商人は旅の無事を祈ってお地蔵さんに塩を納めていたようです。
ご当地の起こりは、この十二所神社です。十二所はジュウニソと読みます。
十二所神社から下って青砥橋に着きました。青砥橋から見た滑川です。
青砥橋を渡り、ちょこっと住宅街に向かったところに、鎌倉時代の優秀な行政及び司法の長官、青砥藤綱が住んでいた邸宅があったという石碑が立っていました。鎌倉幕府の質実剛健の風土はこの青砥藤綱の影響があったそうです。その話しは、別の機会に・・いずれ・・いつか・・
滑川をさらに下ると鎌倉五山の第五位、稲荷山浄妙寺の山門が見えてきました。
浄妙寺は花の寺で有名ですが、紅葉もきれいです。紅葉と黄葉の木々が本堂を彩り、鮮やかに染めていました。
浄妙寺には枯山水の庭園を眺めながら抹茶をいただける喜泉庵があります。今日はここで休憩しました。
上生菓子は鎌倉の高級和菓子店「美鈴」の柿の練りきりでした。
浄妙寺の紅葉は真っ盛りでした。
浄妙寺の散歩道には紅葉と並んで冬桜がそっとそっと咲いていました。同じ桜でも春のソメイヨシノのような豪華さは全くありませんが、
そんな冬桜の生き様が大好きです。
小さな花びらは、うす桃色に染まっていました。
艶やかな名残りの紅葉。
銀杏は風に吹かれて豪快に葉を落としていました。地上には黄葉が幾重にも重なっていました。
銀杏が黄葉を落とすと、すぐに蝋梅が黄色い花を咲かせていました。途切れることのない黄色の彩り。
キタテハが鎌倉五山の第三位、寿福寺で飛んでいました。残念ながら浄妙寺ではチョウを撮ることが出来ませんでした。チョウは飛んでいたのですか・・止まらない。
浄妙寺は足利家に縁があるそうです。足利尊氏の父、貞氏の墓や、言い伝えですが弟の足利直義は、このやぐらの中で眠っているそうです。
鎌倉の名の発祥伝説がある鎌足稲荷神社。藤原鎌足がここに鎌を埋めたことから鎌倉の名前が・・伝説ですが・・
浄妙寺を後に滑川に戻りました。滑川にかかる「華の橋」の下でカルガモが群れていました。ここからは鎌倉の有名寺院のオンパレードですが、それも次回以降に・・
滑川の河口は、西側に由比ケ浜海岸、東側に材木座海岸が広がります。由比ケ浜海岸の駐車場の一角に「さくら貝の歌」の歌碑がありました。
さくら貝の貝殻を探しましたが、見つけることができませんでした。そこで桜色の貝殻で桜の花を作りました。今日から冬の桜のようにそっと復活しました。
タグ:キタテハ
2016-12-24 12:00
nice!(1)
コメント(2)
祝!復活^^
この時期はキタテハもうれしいですね♪
by ぜふ (2016-12-24 17:10)
ぜふさん。
ありがとうございます。ネタ切れにならないようお天気を祈っております。
by アサギいろ (2016-12-25 08:22)