夕焼けのたいやきくん【イチモンジセセリ、アカボシゴマダラ、ジャコウアゲハ、アカタテハ】 [神奈川県 鎌倉市]
神奈川県鎌倉市にある世界遺産候補「武家の古都・鎌倉」でチョウ探しをしていますが、真冬に入り全くチョウは飛んでいません。過去の出来事にあっちゃこっちゃ遡ることをお許しください。
今回は、前回の続きで滑川の支流、二階堂川を遡る話しです。
金沢街道沿いに荏柄天神社の鳥居がありました。荏柄天神社は源頼朝が鎌倉に幕府を建てる前からこの地にあり、世界遺産候補を構成する資産のひとつです。
鎌倉幕府は何回か移転をしているらしいのですが、最初の幕府は大蔵幕府といって鶴岡八幡宮の東にありました。鎌倉幕府の跡地に建っている小学校の角に大蔵幕府跡の石碑が建っていました。
大蔵幕府の西側には西御門川が流れており、前回の筋替橋の下を流れ、その先で滑川に注ぎます。東側には東御門川が流れており、同じく滑川に繋がっています。東御門川に架かる東御門橋の欄干は、桜の花で飾られていました。幕府跡に建っている小学校の手作り新聞によると東御門川は幕府を防御するための掘割りに使われていたそうです。
東御門橋の先を進み、荏柄天神社に到着しました。荏柄天神社は大蔵幕府の鬼門である丑寅(北東)の方角に位置しており、鬼門の守護神として源頼朝からも崇拝されていたそうです。
荏柄天神社の銀杏です。鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れてしまったので、もしかしたら鎌倉で一番古い銀杏の木らしい・・・
大銀杏は古木でありますが、まだ樹に勢いがあり、しかも一段高い所に生えているので、とても目立ちます。
天神様といえば梅の花がつきものです。新春の頃、鎌倉で一番早く咲く梅の花が咲いていました。
荏柄天神社は他の天神社と同様、梅の木はたくさん見られますが、神様の使いの牛の像は一頭もいませんでした。
白梅もチラホラ咲いていました。
荏柄天神社で本年もいろいろなところに行って、楽しくチョウの写真が撮れるようにお参りしました。開運を祈って梅の花のお守りも授与していただきました。
荏柄天神社から、次に鎌倉宮にお参りに行きました。鳥居の下には早くも河津桜が咲いていました。
鎌倉宮の拝殿です。拝殿に祭られている獅子頭の由来は、鎌倉幕府を倒幕した立役者にもかかわらず、この地で足利尊氏の弟、直義に殺害されてしまった護良親王の兜に魔除けとして飾られていたからだそうです。鎌倉宮の授与所に獅子頭のお守りがありましたので、悪いムシにたかられないようにお守りを授与していただきました。
ここに来ると厄割り石で厄払いをしたくなります。今回も素焼きの杯が粉々に砕け散ってくれましたので、よい厄払いができました。
12月の中旬、鎌倉宮の神苑で鎌倉でもっとも遅い紅葉を鑑賞させていただきました。
さらに北東に進むと世界遺産候補、永福寺(ようふくじ)跡に到着しました。ここは発掘調査によりとてつもない大寺院が建っていたのが分かってきました。武士は戦で死んていった者の祟りをとても恐れていたので、源頼朝は平泉の藤原氏との戦で死んで行った者を弔うために、当時としては珍しい二階建ての大寺院を建てたそうです。
永福寺は平泉の寺院を参考に建立したそうです。いま、永福寺跡は歴史公園となっています。松尾芭蕉は平泉に行って俳句をよみました。「夏草や・・
兵どもが夢の跡」永福寺跡の公園の夏草にチョウが飛んでいました。
アカツメグサにイチモンジセセリが吸蜜に止まったところをパチリ。
アカタテハも飛んでいました。
裏山には春型のアカボシゴマダラが飛んでいました。鎌倉は中国産のアカボシゴマダラが最初に見られたところのようです。
ジャコウアゲハもフワフワと裏山を飛んでいました。
永福寺跡の散策路を登り、展望台からみた寺院跡です。永福寺跡のある地名は鎌倉市二階堂といい、永福寺からつけられているそうです。二階堂川もしかりです。
永福寺跡を進むと二階堂川に架かっている通玄橋がありました。通玄橋の欄干は紅葉が飾られていました。ここで二階堂川沿いの道は二又に分かれます。今回は橋は渡らず、左側の山に向かって登る道を遡って行くことにしました。
「ちはやぶる・・」在原業平の歌のように二階堂川を紅葉が流れ下ります。鎌倉の竜田川です。
通玄橋の左側の道は、鎌倉でもっとも紅葉がきれいといわれている獅子舞へ行く道で、二階堂川は獅子舞の谷を流れ下って行きます。
さすがの獅子舞も行った時期が遅かったため、銀杏の黄葉は全て葉を落としていました。しかし紅葉はすこしだけ残っていました。
獅子舞の紅葉です。
獅子舞の高いところはすでに紅葉も葉を落としていました。今年はもっと早い時期に再訪したいものです。
獅子舞の頂上にある天園から見た初冬の獅子舞の谷です。
獅子舞の最上部からは富士山がよく見えました。しかし写真に映っているように高圧電線の鉄塔がちょっと興ざめでした。
永福寺跡にもどって、分かれ道を右側に曲がり、二階堂川に架かる理智光寺橋を渡りました。
しばらく行くと理智光寺跡の石碑が建っていました。理智光寺は護良親王の打ち捨てられていた首級を埋葬した僧が建てた寺院だそうですが、今はあとかたもありませんでした。
理智光寺跡の山上には護良親王のお墓があり、宮内庁が管理しているそうです。
きつい階段を登ると親王のお墓がありました。
下りの階段は谷底が見えるほど急なので、慎重に降りないと危ないのですが、参道の紅葉がきれいなので、ついついよそ見をしてしまいます。
由比ケ浜にあるたいやき屋で買ったたいやきを由比ケ浜海岸で食べました。毎日同じことの繰り返しで生きていますから、昔流行った歌のように、自由を求めて広い海を泳いだら(私の場合は狭い大地でも可。)面白いだろうなと思いました。しかし最後はおじさんに食べられてしまうので、良い子はまねしないで、焼きたてのうちに食べましょう。
由比ケ浜に太陽が落ちようとしていました。夕日が落ちても、鎌倉の世界遺産候補とチョウの話しはまだまだ続きます。(話しは夕日とは関係ございませんが・・・オチがない。)
今回は、前回の続きで滑川の支流、二階堂川を遡る話しです。
金沢街道沿いに荏柄天神社の鳥居がありました。荏柄天神社は源頼朝が鎌倉に幕府を建てる前からこの地にあり、世界遺産候補を構成する資産のひとつです。
鎌倉幕府は何回か移転をしているらしいのですが、最初の幕府は大蔵幕府といって鶴岡八幡宮の東にありました。鎌倉幕府の跡地に建っている小学校の角に大蔵幕府跡の石碑が建っていました。
大蔵幕府の西側には西御門川が流れており、前回の筋替橋の下を流れ、その先で滑川に注ぎます。東側には東御門川が流れており、同じく滑川に繋がっています。東御門川に架かる東御門橋の欄干は、桜の花で飾られていました。幕府跡に建っている小学校の手作り新聞によると東御門川は幕府を防御するための掘割りに使われていたそうです。
東御門橋の先を進み、荏柄天神社に到着しました。荏柄天神社は大蔵幕府の鬼門である丑寅(北東)の方角に位置しており、鬼門の守護神として源頼朝からも崇拝されていたそうです。
荏柄天神社の銀杏です。鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れてしまったので、もしかしたら鎌倉で一番古い銀杏の木らしい・・・
大銀杏は古木でありますが、まだ樹に勢いがあり、しかも一段高い所に生えているので、とても目立ちます。
天神様といえば梅の花がつきものです。新春の頃、鎌倉で一番早く咲く梅の花が咲いていました。
荏柄天神社は他の天神社と同様、梅の木はたくさん見られますが、神様の使いの牛の像は一頭もいませんでした。
白梅もチラホラ咲いていました。
荏柄天神社で本年もいろいろなところに行って、楽しくチョウの写真が撮れるようにお参りしました。開運を祈って梅の花のお守りも授与していただきました。
荏柄天神社から、次に鎌倉宮にお参りに行きました。鳥居の下には早くも河津桜が咲いていました。
鎌倉宮の拝殿です。拝殿に祭られている獅子頭の由来は、鎌倉幕府を倒幕した立役者にもかかわらず、この地で足利尊氏の弟、直義に殺害されてしまった護良親王の兜に魔除けとして飾られていたからだそうです。鎌倉宮の授与所に獅子頭のお守りがありましたので、悪いムシにたかられないようにお守りを授与していただきました。
ここに来ると厄割り石で厄払いをしたくなります。今回も素焼きの杯が粉々に砕け散ってくれましたので、よい厄払いができました。
12月の中旬、鎌倉宮の神苑で鎌倉でもっとも遅い紅葉を鑑賞させていただきました。
さらに北東に進むと世界遺産候補、永福寺(ようふくじ)跡に到着しました。ここは発掘調査によりとてつもない大寺院が建っていたのが分かってきました。武士は戦で死んていった者の祟りをとても恐れていたので、源頼朝は平泉の藤原氏との戦で死んで行った者を弔うために、当時としては珍しい二階建ての大寺院を建てたそうです。
永福寺は平泉の寺院を参考に建立したそうです。いま、永福寺跡は歴史公園となっています。松尾芭蕉は平泉に行って俳句をよみました。「夏草や・・
兵どもが夢の跡」永福寺跡の公園の夏草にチョウが飛んでいました。
アカツメグサにイチモンジセセリが吸蜜に止まったところをパチリ。
アカタテハも飛んでいました。
裏山には春型のアカボシゴマダラが飛んでいました。鎌倉は中国産のアカボシゴマダラが最初に見られたところのようです。
ジャコウアゲハもフワフワと裏山を飛んでいました。
永福寺跡の散策路を登り、展望台からみた寺院跡です。永福寺跡のある地名は鎌倉市二階堂といい、永福寺からつけられているそうです。二階堂川もしかりです。
永福寺跡を進むと二階堂川に架かっている通玄橋がありました。通玄橋の欄干は紅葉が飾られていました。ここで二階堂川沿いの道は二又に分かれます。今回は橋は渡らず、左側の山に向かって登る道を遡って行くことにしました。
「ちはやぶる・・」在原業平の歌のように二階堂川を紅葉が流れ下ります。鎌倉の竜田川です。
通玄橋の左側の道は、鎌倉でもっとも紅葉がきれいといわれている獅子舞へ行く道で、二階堂川は獅子舞の谷を流れ下って行きます。
さすがの獅子舞も行った時期が遅かったため、銀杏の黄葉は全て葉を落としていました。しかし紅葉はすこしだけ残っていました。
獅子舞の紅葉です。
獅子舞の高いところはすでに紅葉も葉を落としていました。今年はもっと早い時期に再訪したいものです。
獅子舞の頂上にある天園から見た初冬の獅子舞の谷です。
獅子舞の最上部からは富士山がよく見えました。しかし写真に映っているように高圧電線の鉄塔がちょっと興ざめでした。
永福寺跡にもどって、分かれ道を右側に曲がり、二階堂川に架かる理智光寺橋を渡りました。
しばらく行くと理智光寺跡の石碑が建っていました。理智光寺は護良親王の打ち捨てられていた首級を埋葬した僧が建てた寺院だそうですが、今はあとかたもありませんでした。
理智光寺跡の山上には護良親王のお墓があり、宮内庁が管理しているそうです。
きつい階段を登ると親王のお墓がありました。
下りの階段は谷底が見えるほど急なので、慎重に降りないと危ないのですが、参道の紅葉がきれいなので、ついついよそ見をしてしまいます。
由比ケ浜にあるたいやき屋で買ったたいやきを由比ケ浜海岸で食べました。毎日同じことの繰り返しで生きていますから、昔流行った歌のように、自由を求めて広い海を泳いだら(私の場合は狭い大地でも可。)面白いだろうなと思いました。しかし最後はおじさんに食べられてしまうので、良い子はまねしないで、焼きたてのうちに食べましょう。
由比ケ浜に太陽が落ちようとしていました。夕日が落ちても、鎌倉の世界遺産候補とチョウの話しはまだまだ続きます。(話しは夕日とは関係ございませんが・・・オチがない。)
2017-01-09 23:00
nice!(1)
コメント(2)
チョウ散歩、いいですね♪
アカボシゴマダラ発祥の地?というのは複雑ですが・・^^;
by ぜふ (2017-01-10 22:43)
ぜふさんの影響で地元愛で昆虫探しをしていますが、時代物も好きなので、いつも脱線転覆して困っています。
by アサギいろ (2017-01-20 22:06)