「琵琶湖周航の歌」二番「赤い椿の森陰に」【ナガサキアゲハ、アカタテハ、モンキチョウ】 [滋賀県]
「琵琶湖周航の歌」を歌手の加藤登紀子が歌ってヒットさせたのは、昭和46年のことだそうです。関東に住む若い人の中には、この歌を全く知らない方がいるようです。私は若くないので、このいわゆる「いい日旅立ちソング」が大好きで、旅行中に口ずさむことがあります。
JR近江舞子駅で下車し、雄松崎に向かって歩いて行くと後方に比良の山並みが広がります。地質的にはこの花崗岩でできた山並みが白い砂を琵琶湖の浜に供給しているそうです。(な〜んて、まるでぶら○モリのようだ。)
お馴染みのパターンで「琵琶湖周航の歌」の二番の歌詞を紹介します。二番は、一番から六番の歌詞の中で、もっとロマンチックな歌詞だと思います。
近江舞子の浜です。浜といえば、湘南海岸の黒い砂浜しか頭にない「生まれも育ちも神奈川県民」の一人として、こんなにきれいな白い砂の浜は沖縄の八重山以来です。しかも沖縄と違って珊瑚でできてないことにたいへん感動した次第です。この歌がなかったら、多分ここには来なかったと思うとなんか得した気分です。
歌詞にある緑の松の中には、この歌ができた当時から生きている木があるようです。よくぞ「松食い虫」の被害にあわずに無事生き延びてくださいました。
琵琶湖の浜でも白い砂の浜は、近江舞子(雄松崎)の浜だけのようです。夏は水浴場になるそうです。
一方、雄松が里の赤い椿の森は「琵琶湖周航の歌」がヒットしてからできたようです。「椿を植えよう募金」の看板にそんなことが書いてありました。
えーっ!赤い椿の森陰で儚い恋に泣いた乙女は、いったいどこの娘なのだろう。
ところでツバキの花でチョウが吸蜜するシーンはあまり考えられません。何故ならば、ツバキの花が咲いている頃は、まだ気温が低くてチョウが飛ばないからです。しかし、今年、地元で、遠くからですが、ナガサキアゲハがツバキの花で吸蜜している場面を目撃しました。これがその証拠写真です。
でも、もしかしたらこのナガサキアゲハは「赤い椿の森陰」で、恋に破れて泣いていたのかもしれない・・オスですが、何か。(開き直り)
旧志賀町(現在は大津市)のマンホールの蓋がありました。近江舞子のバックにそびえる比良山脈はシャクナゲの花が有名のようです。シャクナゲの花がマンホールの蓋に描かれていました。
駅近くのホテルの前にある二番の歌碑です。このロマンチックな歌詞は、現代の若者が受け継いでください。
琵琶湖西海岸でもっとも自然豊かなところは安曇(あど)川の河口のようなので、行ってみました。安曇川河口は近江舞子の北に位置します。
安曇川河口付近の浜は黒い砂利浜でした。
安曇川河口は「びわ湖こどもの国」があって、訪れた日が休日だったので、園内はとても賑やかでした。「びわ湖こどもの国」と河口を挟んで対岸に「安曇川園地」があって、そちらの方が昆虫がたくさんいそうだったのですが、残念ながら時間切れ。再訪したいものです。
それでもツツジの花でナガサキアゲハが吸蜜したり、
アカタテハが浜で咲いていたムシトリナデシコに吸蜜に訪れていました。
ムシトリナデシコにはモンキチョウも訪れていました。
次は「琵琶湖周航の歌」三番の高島市の今津町のことですが、いつのことになることやらと開き直り。
JR近江舞子駅で下車し、雄松崎に向かって歩いて行くと後方に比良の山並みが広がります。地質的にはこの花崗岩でできた山並みが白い砂を琵琶湖の浜に供給しているそうです。(な〜んて、まるでぶら○モリのようだ。)
お馴染みのパターンで「琵琶湖周航の歌」の二番の歌詞を紹介します。二番は、一番から六番の歌詞の中で、もっとロマンチックな歌詞だと思います。
近江舞子の浜です。浜といえば、湘南海岸の黒い砂浜しか頭にない「生まれも育ちも神奈川県民」の一人として、こんなにきれいな白い砂の浜は沖縄の八重山以来です。しかも沖縄と違って珊瑚でできてないことにたいへん感動した次第です。この歌がなかったら、多分ここには来なかったと思うとなんか得した気分です。
歌詞にある緑の松の中には、この歌ができた当時から生きている木があるようです。よくぞ「松食い虫」の被害にあわずに無事生き延びてくださいました。
琵琶湖の浜でも白い砂の浜は、近江舞子(雄松崎)の浜だけのようです。夏は水浴場になるそうです。
一方、雄松が里の赤い椿の森は「琵琶湖周航の歌」がヒットしてからできたようです。「椿を植えよう募金」の看板にそんなことが書いてありました。
えーっ!赤い椿の森陰で儚い恋に泣いた乙女は、いったいどこの娘なのだろう。
ところでツバキの花でチョウが吸蜜するシーンはあまり考えられません。何故ならば、ツバキの花が咲いている頃は、まだ気温が低くてチョウが飛ばないからです。しかし、今年、地元で、遠くからですが、ナガサキアゲハがツバキの花で吸蜜している場面を目撃しました。これがその証拠写真です。
でも、もしかしたらこのナガサキアゲハは「赤い椿の森陰」で、恋に破れて泣いていたのかもしれない・・オスですが、何か。(開き直り)
旧志賀町(現在は大津市)のマンホールの蓋がありました。近江舞子のバックにそびえる比良山脈はシャクナゲの花が有名のようです。シャクナゲの花がマンホールの蓋に描かれていました。
駅近くのホテルの前にある二番の歌碑です。このロマンチックな歌詞は、現代の若者が受け継いでください。
琵琶湖西海岸でもっとも自然豊かなところは安曇(あど)川の河口のようなので、行ってみました。安曇川河口は近江舞子の北に位置します。
安曇川河口付近の浜は黒い砂利浜でした。
安曇川河口は「びわ湖こどもの国」があって、訪れた日が休日だったので、園内はとても賑やかでした。「びわ湖こどもの国」と河口を挟んで対岸に「安曇川園地」があって、そちらの方が昆虫がたくさんいそうだったのですが、残念ながら時間切れ。再訪したいものです。
それでもツツジの花でナガサキアゲハが吸蜜したり、
アカタテハが浜で咲いていたムシトリナデシコに吸蜜に訪れていました。
ムシトリナデシコにはモンキチョウも訪れていました。
次は「琵琶湖周航の歌」三番の高島市の今津町のことですが、いつのことになることやらと開き直り。
「琵琶湖周航の歌」一番「われは湖の子」【ナガサキアゲハ、ナミアゲハ】 [滋賀県]
今年は「琵琶湖周航の歌」が誕生して100周年だそうです。琵琶湖のある滋賀県には「日本全国蝶探しの旅」でまだ行ったことがないので、行ってみようと思い立ちました。
「琵琶湖周航の歌」で町おこしをしているのは、高島市にある今津町です。JR近江今津駅には100周年ののぼり旗が立っていました。
今津町にある「琵琶湖周航の歌資料館」に行きました。そこでの話は別の機会に・・・
「琵琶湖周航の歌資料館」の周りには歌詞が書かれたプレートが立っていました。それでは、みなさん、サン、ハイ♪「われーはうーみのーこ」♫
「琵琶湖周航の歌」には一番から六番まで、歌詞に出てくる場所ごとに歌碑が建っています。大津港の外れにある三保ヶ崎には「琵琶湖周航の歌」の一番の歌碑が立っていました。この歌の作詞者小口太郎はここからボート仲間と6月27日、琵琶湖周航の旅に出航したそうです。
一番の歌碑「われは湖の子」の周囲は公園になっていて、
公園のツツジの花にナガサキアゲハのオスが吸蜜に訪れていました。
ナガサキアゲハが飛び立ったところをパチリ。チョウも旅立ちの時のようです。♪「志賀の都よ いざさらば」♪
三保ヶ崎は「琵琶湖の水を京都市に送る。」琵琶湖疏水の入口にあたります。琵琶湖疏水の流れに沿って行くと「琵琶湖第1疏水揚水機場」が建っていました。浮き彫りの模様は大津絵の藤娘のようです。
琵琶湖疏水の流れは、ここからトンネルを通って京都まで行きます。トンネルの入口にある扁額は明治の元勲、伊藤博文公が揮毫しました。「気象萬千」は「様々に変化する風光はすばらしい。」という意味だそうです。
琵琶湖疏水は京都市の岡崎から川となって流れ出します。京都市の新しい文教ゾーン岡崎の街は琵琶湖疏水と共にあるようです。
岡崎を流れる琵琶湖疏水の岸辺は、桜並木になっていてとてもきれいでした。桜は散り際だったので、花びらが花筏となって、疏水の水面を流れていました。
この時期、期間限定で琵琶湖疏水を「桜回廊十石船めぐり」の遊覧船が運航しているそうです。機会があったら乗ってみたいものです。
琵琶湖疏水の桜並木を見ながらの遊覧は気分最高かもね。
今回の旅は平安神宮にお参りしてきました。立派な平安神宮応天門です。
平安神宮に入ると右側に東の守護神、蒼龍の手水鉢がありました。
反対側の手水鉢は西の守護神、白虎でした。
平安神宮は御所と同様に左側に「右近の橘」がありました。
右側にある「左近の桜」は、すでに葉桜となっていました。
平安神宮の神苑に入場させていただきました。ここは、明治の名庭師七代目小川治兵衛が手がけた名庭園だそうです。神苑は、南神苑、西神苑、中神苑、東神苑の順に4つの趣きの異なる回遊式庭園で構成されていました。4月中旬の南神苑は、華やかな桜の園になっていました。
南神苑のシダレザクラは花が満開でとてもきれいでした。
平安神宮神苑にある回遊式庭園の池の水は、琵琶湖疏水の水が使われています。西神苑の池でアオサギが羽繕いをしていました。西神苑の売りはハナショウブで、ハナショウブの花が咲く頃が一番きれいなようです。池の名前は西の守護神にちなんだ白虎池です。
その先にある中神苑の池は、なぜか東の守護神蒼龍の名前がついた蒼龍池です。池には飛び石でできた臥龍橋がかかっていました。
中神苑の休憩所で一休み。今日は何を食べようかな。
東神苑の栖鳳池には京都御所から移築した泰平閣がかかっており、とても絵になる光景です。
平安神宮の神苑でチョウが飛んでいないか探しましたが、とても人が多くて、全く飛んでいませんでした。チョウの代わりに桜の花の蜜を吸いに来たメジロを撮りました。
地べたにはアオジが餌を探していました。
琵琶湖疏水から栖鳳池に流れる川の浅瀬でつがいのカワラヒワが水浴びをしていました。琵琶湖疏水の水は野鳥も潤していました。
琵琶湖疏水の桜並木にいたスズメは強引な方法で花の蜜を吸っていました。
岡崎公園のシダレザクラにナミアゲハが蜜を吸いにきたところを撮りました。桜が咲く頃はまだチョウが飛ぶ時期ではないようです。以上
京都から琵琶湖に戻りました。大津港にあった大津市のきれいなマンホールの蓋です。「琵琶湖周航の歌」と思われる場面が描かれていました。
観光客は大型客船で琵琶湖周航を楽しめるようです。時間があれば乗ってみたいのですが・・・残念ながら、この日の運航は終わっていました。
歌川広重の浮世絵「近江八景」の「堅田落雁」に描かれた堅田にある浮御堂は、琵琶湖の代表的な風景の一つです。次は時計回りに北上した歌の二番に出てくる雄松崎の話しです。
「琵琶湖周航の歌」で町おこしをしているのは、高島市にある今津町です。JR近江今津駅には100周年ののぼり旗が立っていました。
今津町にある「琵琶湖周航の歌資料館」に行きました。そこでの話は別の機会に・・・
「琵琶湖周航の歌資料館」の周りには歌詞が書かれたプレートが立っていました。それでは、みなさん、サン、ハイ♪「われーはうーみのーこ」♫
「琵琶湖周航の歌」には一番から六番まで、歌詞に出てくる場所ごとに歌碑が建っています。大津港の外れにある三保ヶ崎には「琵琶湖周航の歌」の一番の歌碑が立っていました。この歌の作詞者小口太郎はここからボート仲間と6月27日、琵琶湖周航の旅に出航したそうです。
一番の歌碑「われは湖の子」の周囲は公園になっていて、
公園のツツジの花にナガサキアゲハのオスが吸蜜に訪れていました。
ナガサキアゲハが飛び立ったところをパチリ。チョウも旅立ちの時のようです。♪「志賀の都よ いざさらば」♪
三保ヶ崎は「琵琶湖の水を京都市に送る。」琵琶湖疏水の入口にあたります。琵琶湖疏水の流れに沿って行くと「琵琶湖第1疏水揚水機場」が建っていました。浮き彫りの模様は大津絵の藤娘のようです。
琵琶湖疏水の流れは、ここからトンネルを通って京都まで行きます。トンネルの入口にある扁額は明治の元勲、伊藤博文公が揮毫しました。「気象萬千」は「様々に変化する風光はすばらしい。」という意味だそうです。
琵琶湖疏水は京都市の岡崎から川となって流れ出します。京都市の新しい文教ゾーン岡崎の街は琵琶湖疏水と共にあるようです。
岡崎を流れる琵琶湖疏水の岸辺は、桜並木になっていてとてもきれいでした。桜は散り際だったので、花びらが花筏となって、疏水の水面を流れていました。
この時期、期間限定で琵琶湖疏水を「桜回廊十石船めぐり」の遊覧船が運航しているそうです。機会があったら乗ってみたいものです。
琵琶湖疏水の桜並木を見ながらの遊覧は気分最高かもね。
今回の旅は平安神宮にお参りしてきました。立派な平安神宮応天門です。
平安神宮に入ると右側に東の守護神、蒼龍の手水鉢がありました。
反対側の手水鉢は西の守護神、白虎でした。
平安神宮は御所と同様に左側に「右近の橘」がありました。
右側にある「左近の桜」は、すでに葉桜となっていました。
平安神宮の神苑に入場させていただきました。ここは、明治の名庭師七代目小川治兵衛が手がけた名庭園だそうです。神苑は、南神苑、西神苑、中神苑、東神苑の順に4つの趣きの異なる回遊式庭園で構成されていました。4月中旬の南神苑は、華やかな桜の園になっていました。
南神苑のシダレザクラは花が満開でとてもきれいでした。
平安神宮神苑にある回遊式庭園の池の水は、琵琶湖疏水の水が使われています。西神苑の池でアオサギが羽繕いをしていました。西神苑の売りはハナショウブで、ハナショウブの花が咲く頃が一番きれいなようです。池の名前は西の守護神にちなんだ白虎池です。
その先にある中神苑の池は、なぜか東の守護神蒼龍の名前がついた蒼龍池です。池には飛び石でできた臥龍橋がかかっていました。
中神苑の休憩所で一休み。今日は何を食べようかな。
東神苑の栖鳳池には京都御所から移築した泰平閣がかかっており、とても絵になる光景です。
平安神宮の神苑でチョウが飛んでいないか探しましたが、とても人が多くて、全く飛んでいませんでした。チョウの代わりに桜の花の蜜を吸いに来たメジロを撮りました。
地べたにはアオジが餌を探していました。
琵琶湖疏水から栖鳳池に流れる川の浅瀬でつがいのカワラヒワが水浴びをしていました。琵琶湖疏水の水は野鳥も潤していました。
琵琶湖疏水の桜並木にいたスズメは強引な方法で花の蜜を吸っていました。
岡崎公園のシダレザクラにナミアゲハが蜜を吸いにきたところを撮りました。桜が咲く頃はまだチョウが飛ぶ時期ではないようです。以上
京都から琵琶湖に戻りました。大津港にあった大津市のきれいなマンホールの蓋です。「琵琶湖周航の歌」と思われる場面が描かれていました。
観光客は大型客船で琵琶湖周航を楽しめるようです。時間があれば乗ってみたいのですが・・・残念ながら、この日の運航は終わっていました。
歌川広重の浮世絵「近江八景」の「堅田落雁」に描かれた堅田にある浮御堂は、琵琶湖の代表的な風景の一つです。次は時計回りに北上した歌の二番に出てくる雄松崎の話しです。