大仏への道【クロヒカゲ、コジャノメ、ダイミョウセセリ、ジャコウアゲハ、モンシロチョウ】 [神奈川県 鎌倉市]
キリの花が咲いていた初夏の頃のことです。キリの花は昔から高貴な花とされています。でもチョウが吸蜜に訪れることはないみたいで、待っていてもチョウは来ませんでした。
鎌倉駅からいくつかのトンネルを抜けると世界遺産候補北条氏常盤亭跡の広場?に到着しました。貴重な鎌倉時代の北条氏の邸宅跡が埋まっているそうですが、いまはただの広場でした。
しかし、脇からの道を登ったところにタチンダイという一段高い広場があり、奥にはやぐらがありました。ここまで館があったとしたら、相当にでかい家に住んでいたようです。(城跡としたらたいしたことないですが‥。)
世界遺産候補北条氏常盤亭跡にいたベニシジミですが、チョウの写真は代り映えしません。あしからず。(以下、同文)
常盤亭跡にフジの花が咲いていました。チョウが来ないかと待ってましたが、残念な結果でした。
北条氏邸宅跡の広場に咲いていたウツギの花でヒメウラナミジャノメが吸蜜していました。昆虫はウツギの花が大好きです。
北条氏常盤亭跡を後に、もう少し先に進んで、右に折れると大仏切通の入口がありました。世界遺産候補の大仏切通は、鎌倉の入口、いわゆる鎌倉七口の一つで、古の街道がそのままの形で残っていました。
大仏切通の入口近くには、やぐらに続く道もありました。
切り立った崖にやぐらがありました。しかしやぐらには落石の恐れがあるので近寄れませんでした。
大仏切通は、国の史跡に指定されていました。鎌倉にある七つの切通しのうち5カ所が世界遺産候補です。
大仏切通は森の中を道が通っています。そのため林縁に生息するチョウを見ることができました。クロヒカゲが切通しの入口にいました。証拠写真その3
コジャノメもいました。証拠写真その4
ダイミョウセセリが、翅を閉じているお姿はめずらしい。証拠写真その5
ジャコウアゲハも証拠写真その6です。
大仏切通を抜けるとそこは鎌倉の長谷で、鎌倉大仏の他に花の寺「長谷寺」がありました。
アジサイの頃、長谷寺は多くの見物客で賑わいます。アジサイの花が咲き始めの頃、長谷寺に行ってきました。
初夏の長谷寺。アジサイ園の入口にある石仏様から出発です。それでは石仏、仏塔を中心にアジサイ園を進んで行きましょう。
長谷寺のアジサイ園から鎌倉の由比ガ浜が見えました。
良縁地蔵とアジサイ。よーく、お参りしましょ。
石のお地蔵様の周りにもアジサイの花。
石仏以外にも石塔の周りにアジサイの花。
この石塔でアジサイ園は折り返して進むことになります。色とりどりで、形もいろいろなアジサイの花が並んで咲いていました。
下り坂にも多くのアジサイが咲いていました。
最後の階段近くにある石仏の前にはクレナイアジサイが咲いていました。
アジサイの花と竹やぶの組み合わせは、なぜか安らぎを感じます。
長谷寺の阿弥陀堂の前に鉢植えのアジサイもたくさん咲いていました。
灯籠の向こうにアジサイ園の登り口がありました。
長谷寺のアジサイ園は大勢の見物客が訪れているので、チョウはいませんでした。大仏切通の入口近くにある公園の脇にアジサイの花が咲いていました。そこにはチョウが飛んでいました。
アジサイの花にモンシロチョウがいましたが、なかなか止まりません。飛行写真でご勘弁を。
同じくウズアジサイとモンシロチョウ。
閉園近くに鎌倉大仏に行ってきました。鎌倉大仏は鎌倉時代に建立された国宝で世界遺産候補です。
蝶街diary【アオスジアゲハ、コミスジ、ダイミョウセセリ】 [神奈川県 鎌倉市]
特に江ノ電の極楽寺駅周辺は多くのドラマや映画などの舞台となりました。
極楽寺駅にはテレビドラマの出演者のサインが飾られていました。
極楽寺駅の改札口に飾られていた映画のパンフレットです。この映画も極楽寺駅周辺が舞台となっている人気マンガを映画化したそうです。
極楽寺駅の前に咲いていたアジサイです。極楽寺坂を登って、桜橋を渡るとすずちゃんが雨宿りしていた導地蔵堂がありました。
江ノ電撮影のポイントの一つに、赤レンガ造りの「極楽洞」から出る電車の撮影があります。トンネルから出て来た電車は、江ノ電の「嵐電号」です。江ノ電と京都の嵐電は共に古都を路面電車で走っており、何気に似ているので、嵐電が江ノ電を、江ノ電が嵐電の車両を模してを走らせていました。
極楽寺周辺は、鎌倉のアジサイの撮影ポイントの一つです。赤いアジサイが満開でした。
極楽寺には蝶紋のかわいらしい御朱印帳がありましたので、蝶好きおじさんはたまらず購入してしまいました。
極楽寺は鎌倉時代に北条家が創建したそうです。本堂の屋根は北条家の三つ鱗の紋章が飾られていましたが、幔幕には向蝶の紋章が使用されていました。
極楽寺坂にアオスジアゲハが飛んでいました。向蝶の紋章の原型のような開翅飛翔を撮りました。ピンボケご容赦。
成就院参道に咲いていたウツギの花でアオスジアゲハが吸蜜していました。5月のウツギの花が咲くころはたくさんのアオスジアゲハが飛んでいました。
成就院はアジサイで有名ですが、今年はアジサイの咲く参道を改修工事していました。
成就院から見た由比ケ浜。
成就院の境内に咲いていたアジサイです。
成就院でチョウの撮影のお礼をしました。縁結び不動尊にも素敵な出会いがありますようにお参りしました。
極楽寺坂は西側から鎌倉に入るために切り開かれた道で、鎌倉七切通しの一つだそうです。極楽寺を開山した僧、忍性が切り開いたと言われています。忍性は数々の慈善事業をしたことで有名です。
極楽寺坂の石碑には、新田義貞が鎌倉攻めに当たり、極楽寺坂を含む三方向から攻めたが、鎌倉幕府の反撃にあい敗退したと書かれていました。極楽寺坂は激戦が繰り広げられたようです。
極楽寺坂の下には「星の井」があります。奈良時代の僧、行基がこの地に虚空蔵堂を開山する際、井戸も一緒に開いたそうです。(鎌倉ガイドの案内を盗み聞きしました。)当時、この周辺は深い森で、日中でも暗く、井戸の水面に星月が映ったとの言い伝えがあり、そのため星の井(別名、星月の井)」と呼ばれているそうです。鎌倉十井の一つですが、今は使われていないようです。
さらに下には、力餅家があります。力餅を買って、次の目的地に出発です。
星の井がある通りは「星の井通り」というそうです。星の井は、この地域で昔から親しまれているようです。
力餅屋の角を曲がって御霊神社に行きました。御霊神社の鳥居の前は江ノ電が走っており、この踏切は数々の映画、ドラマなどに登場するようです。
鳥居の前を江ノ電が通ります。江ノ電の鳥居くぐりと呼ばれているそうです。御霊神社は司馬遼太郎の「街道をいく」で書かれており、祭られている鎌倉権五郎の武士としての誇りがとても心に残ります。
ここはアジサイと江ノ電のコラボが有名です。アジサイの花が咲く今の時期、自称写真家の観光客がたくさん訪れていました。
アジサイと江ノ電その1
アジサイと江ノ電その2
アジサイと江ノ電その3
御霊神社に咲いていた赤いアジサイ。
御霊神社に咲いていた白いアジサイ。
アジサイに囲まれた御霊神社の庚申塔。
鎌倉権五郎を忍んで力餅を・・おっと、ここは神社境内、飲食禁止でした。
鎌倉の長谷にいたダイミョウセセリ。
同じくコミスジ。
5月のある日、稲村ケ崎に着きました。
稲村ケ崎の石碑には、鎌倉攻めをしていた新田義貞が幕府の反撃にあい苦戦していましたが、稲村ケ崎の海に黄金の太刀を献上すると、潮が引き、道が開かれ、そこから軍勢を鎌倉に突入させたと書かれていました。突入した翌日、5月22日は幕府が滅亡した日です。
稲村ケ崎は夕日の撮影ポイント。幕府が滅亡した5月のある日、江の島と富士山が赤く染まっていました。ブログ日記に記録しないと‥‥。
鎌倉の街でチョウを探す旅をしていますが、いつもあらぬ方向に行ってしまいます。反省をむねに夕暮れ電車で帰りましょう。
月への階段【スジグロシロチョウ、モンシロチョウ、アカシジミ】 [神奈川県 鎌倉市]
チョウ好きおじさんもアジサイ見たさに行ってまいりました。
明月院は、アジサイの咲く頃以外にもサクラの咲く春、艶やかに染まる紅葉の秋もきれいです。先ずはサクラ咲く春に訪れたときのことです。
明月院の山門はサクラに囲まれとてもいい雰囲気。
本堂の前の枯山水の庭園も春の淡い色に囲まれ、心が落ち着きます。
明月院に咲いていたハナカイドウです。ハナカイドウはサクラと並んで春の鎌倉の名花です。
明月院の開山堂前に鎮座されている「花想いのお地蔵様」が早春の花を抱いていました。
本堂に飾られていた花御堂。この日はお釈迦様の誕生日でした。
本堂にある円窓から絵になる庭園が望めます。「悟りの窓」というそうです。庭園はハナショウブが咲く頃と紅葉の頃の年2回、中に入ることができます。
そして、ハナショウブが咲く頃となりました。
明月院の参道に咲くアジサイです。参道の鎌倉石でできたすりへった階段は、花園へと続く「天国への階段」とテレビ番組で紹介されていました。
明月院のアジサイは、多くがヒメアジサイという品種です。まだ時期が早かったのでほとんどが薄い青色でした。満開のころはもっと深い青になるそうです。
開山堂への道に咲いていたアジサイです。晴天だったので花が光ってしまいました。
アジサイは日陰にひっそりと咲いている花の方が青い色が映えるみたいです。
昆虫のブログなので、明月院のアジサイと昆虫のコラボです。先ずはサナエトンボの仲間から。
アジサイの花で2頭のスジグロシロチョウが戯れていましたが、光が邪魔して残念な結果でした。
鎌倉は深い森に囲まれていますので、意外とアカシジミを見ることができました。明月院のアカシジミですが、残念ながら…遠い…
サツキ咲く初夏の枯山水庭園です。
鎌倉は江戸時代から古都として参拝客などが訪れていたそうです。鎌倉は京都ほど水に恵まれていないようですが、江戸時代に清らかな水が豊富に湧き出る10箇所の井戸を「鎌倉十井」として訪れる参拝客等に紹介したそうです。今ではもう使えない井戸がほとんどですが、この「瓶の井(つるべのい)」は現役で使えるそうです。
明月院やぐらです。やぐらとは鎌倉独特の鎌倉時代の武士などのお墓だそうです。
この日、開放されていた明月院の本堂後庭園に入れさせていただきました。
庭園に咲くハナショウブの花の上をいろいろなチョウが飛び交っていました。アゲハ、シロチョウ、シジミ、セセリ・・でも止まらない!早い!
シオカラトンボは竿の先(ツボミの先)に止まってくれますので、楽といえば楽ですが、そればかりでは…
花に止まったモンシロチョウの瞬間撮影。露出が…ピントが…
上に同じく
やけくその飛行写真
上に同じ
さらに続く‥
もっと続く‥
帰りぎわ。総門脇にある茶々橋の上にウサギとカメが並んでいました。名月の夜、明月院にあらわれる月への階段を登るのかなあー(uso)
恋する朝夷奈切通【アオスジアゲハ】 [神奈川県 鎌倉市]
そんなことでチョウ探しをしてきました。
今シーズンは、「世界遺産の地でチョウ探し」をテーマにしようと思っています。
犬も一緒にすってん転ばないようにしないと・・・
出かけた先は、神奈川県の世界遺産候補地、鎌倉市と横浜市を繋ぐ、朝夷奈切通です。
朝夷奈(アサイナ又はアサヒナ)切通の入口です。地元では、この道(街道)を金沢街道と呼び、地名は朝比奈(アサヒナ)と呼んでいます。
鎌倉からの道は小さな川沿いを登って行きます。最上流部を過ぎると峠はすぐです。
峠は仏様の浮彫りが施されていました。
鎌倉は源氏の地ですから、血で血を洗う出来事ばかりです。頼朝の眼の上たんこぶ、千葉の豪族を暗殺し、この清水で、太刀を洗ったことから太刀洗水といわれています。物騒な言い伝えですが、とても街中の湧水とは思えない綺麗な水です。
太刀洗川の渓流にはアサヒナカワトンボがたくさん飛んでいました。朝比奈のアサヒナカワトンボです。
恋するアサヒナカワトンボはハートの形で愛し合います。
こんなの見せられると、やっぱ、自重なんてしてられねーよー。
アサヒナカワトンボ以外に春に見られるサナエトンボの仲間も飛んでいました。
サナエトンボの仲間は見分けが難しいので・・・種類まではご勘弁を。
チョウもたくさん飛んでいました。アオスジアゲハが切通で吸水していました。
太刀洗川の川沿いに咲くハルジオンにはたくさんのアオスジアゲハが吸蜜に訪れていました。
でもジットなんかしていません。常に追いかけ合いです。
さー、追いかけ合いの始まりです。
そんなことで、ひっそりとこのブログも飛び立ちました。
源氏の街での平氏の面影【アカタテハ】 [神奈川県 鎌倉市]
そんな鎌倉で昼下がりのお散歩をしてきました。
到着した鎌倉駅は、待ち合わせの人々でひどく混雑していました。
鶴岡八幡宮に行く途中、鳩の形のサブレー(ビスケット)で有名な鎌倉のお菓子屋さんがあります。
鶴岡八幡宮の八の文字は向かい合わせの鳩です。八幡宮は源氏の街、鎌倉の中心地です。七五三でたいへんに混雑していました。
人混みは苦手なので、隣にある祖霊社の森に逃げ込みました。
祖霊社ではキジバトの夫婦が向かい合ってお食事の真っ最中でしたが、カメラを向けるとポッポッポと逃げて行きました。
鶴岡八幡宮を抜けて白旗神社に行ってきました。源氏のシンボルは白幡です。ちなみに平氏のシンボルは赤幡です。運動会の紅白は、この源平の戦いがルーツです。
白幡神社の上には頼朝の墓がありました。頼朝の墓は、頼朝と縁がある島津氏が江戸時代に建てたそうです。
頼朝の墓の花入れにはリンドウ(竜胆)が彫り込まれていました。竜胆は源氏の家紋です。
鎌倉の街ではいたるところに、このリンドウのマークを見かけます。鎌倉市のマークは「笹竜胆」だそうです。
箱根で見かけた晩秋を彩る清楚なリンドウの花。リンドウの花びらは普通5弁ですが、このリンドウは6弁です。なにかいいことがあるのかな。
頼朝の墓の小さな尾根を挟んで隣に鎌倉第2代執権、北条義時の法華堂跡があり、文献によれば義時はここに葬られたそうです。
義時の法華堂跡の上には毛利家の祖先と島津家の祖先の墓があるそうですが、そのことに興味ある方は別のwebで…。そのお墓へ行く途中で赤いサザンカが花びらを散らしていました。
法華堂跡には「アカタテハ」が飛んでいました。(平氏の落ち武者のように翅がボロですが。)
鶴岡八幡宮にある源平池には平家池があり、赤い蓮の花が咲くそうです。
今日は源氏の街で、平氏の面影を見つけました。
鎌倉でナガサキに出会った【ナガサキアゲハ】 [神奈川県 鎌倉市]
昔、戦争や飢饉が当たり前だった頃、ユリは食用となりました。そのため、農家の庭先や田んぼのあぜ道、そして寺院の庭には非常食としてオニユリが植えられていました。その名残りで鎌倉の寺院の庭には、暑い盛りの時期になるとオニユリが風に揺れています。
小さな神奈川県でも南の三浦半島と北の丹沢山地とでは気温の違いが体感できます。
三浦半島の付け根に位置する鎌倉は暖かいのでしょうか、寺院の庭にオニユリが咲く頃になるとモンキアゲハと並んで本来、南国のチョウ、ナガサキアゲハが吸蜜に訪れます。
遠く九州から飛ばされてきてのでしょうか。翅がちょっと痛々しいのですが、前翅の付け根の赤い斑点はナガサキアゲハの特徴です。
いえいえ、長崎からがんばって飛んできたのかもしれません。ナガサキアゲハのおすは、アゲハの仲間の特徴である後翅の尾が無く、翅表は黒灰で赤い模様がありません。メスは白が多くて、きれいですが、残念ながらいませんでした。
地球温暖化の影響でしょうか。標高の高い丹沢でもナガサキアゲハを見ました。
おしべが切られて痛々しいオニユリですが、ナガサキアゲハのお食事には影響がありません。
それは、3年前の北鎌倉のお寺での出会いですが、今年もたぶん元気に飛んでいることでしょう。
他のナガサキアゲハの記事
http://blog.so-net.ne.jp/asagi-iro/2006-10-12
ナガサキアゲハのone point
チョウの図鑑によると三浦半島では一番見かけるアゲハの仲間になったと書いてありました。鎌倉では天下を取った模様です。三崎はどうなんだろう。まだあまり見かけませんが・・・。時間の問題か。
赤いユリのほそーい訪問者【オナガアゲハ】 [神奈川県 鎌倉市]
先週から各地でヤマユリが満開ですとの報道が聞こえてきます。
神奈川県の県の花は「やまゆり」。県内各地で咲きますが、県立フラワーセンターには、
ベニスジヤマユリという全体がちょっとどぎつい赤色のヤマユリが咲きます。
すべて去年の今頃の写真のなのですが、今年は長雨でどうも生育がよくないようです。
すごいどぎつい赤色でしょ。でもこの赤の遺伝子が多くの園芸ユリに受け継がれています。
ヒカゲに咲いていたちょっとヒネたベニスジヤマユリはミタメが若若しい。
伊豆のユリ園にもそれに近いユリが咲いていました。
同じ花にオナガアゲハ(ジャコウアゲハかも?)が吸蜜しに飛んできましたが、翅を閉じた状態で写ってしまっているので、目立たないチョウの訪問になってしまいました。
他のオナガアゲハの記事
http://blog.so-net.ne.jp/asagi-iro/2006-09-02
オナガアゲハのone point
クロアゲハとオナガアゲハは似ていますが、オナガアゲハはクロアゲハより自然の豊かな地域にいるようです。オナガアゲハは神奈川県で初めて発見され命名されたので、神奈川県の県チョウになっているようですが、私も「県チョウマップ下敷き」で見るまで知りませんでした。