冬桜はそっと咲く。第三章【キタキチョウ】 [神奈川県 鎌倉市]
新たな年を迎えることになりましたが、本年もよろしくお願いします。
昨年に引き続き世界遺産とチョウの話しをテーマとしたいのですが、今回も鎌倉市を流れる滑川のことで、前の話しの続きです。
滑川にかかる華の橋を渡ったところにたくさんの庚申塔がありました。石塔の中にはキモくて可愛い猿面の塔がありました。(猿面を訂正します。お釈迦様の石仏だそうです。)
華の橋を渡ると竹の寺で人気のある報国寺に到着します。この日もたくさんの人が参拝されていました。
報国寺の山門をくぐると枯山水の庭園があり、大きな銀杏が黄葉を白砂に落としていました。
その向かいには大きな石を彫った水盤があり、水面に紅葉が映っていました。
紅葉、銀杏、山茶花に囲まれて五輪塔が建っていました。新田義貞の鎌倉攻めの際に戦死した新田軍と北条軍の石塔を由比ケ浜から集め、報国寺で供養するために建てた五輪塔だそうです。
報国寺の参道で冬桜(十月桜)がそっと咲いていました。冬桜はそっと咲く第三章です。
報国寺のやぐらは足利氏一族の墓(やぐら)で、足利尊氏の祖父、足利家時もここで眠っているのだそうです。
竹の庭は約2,000本の孟宗竹があるそうで、ところどころに石仏や石塔がまつられていました。
竹の庭の中にいると竹の香りで清々しい気持ちになるのですが、報国寺のリーフレットによると竹の庭の中を歩くだけで健康になるそうです。
竹の庭には石灯籠がよく似合います。
竹の庭には休耕庵という休憩所があり、抹茶をいただくことができます。桜や紫陽花、紅葉のシーズンは混み合って大変なのですが、これからのオフシーズンは竹の音を聞きながらゆっくりと抹茶を楽しみたいものです。
報国寺の竹の庭の入口の壁に竹の影絵が映っていました。風に吹かれて揺れる竹の影は風流そのものです。
報国寺を出て、金沢街道に戻りました。華の橋とその下流にある犬懸橋の間の滑川にたくさんのコイが元気に泳いでいました。ここいらの滑川は川底がつるつるしているので、昔から滑川と呼ばれていたそうです。
さらに行くと鎌倉最古の寺、杉本寺がありました。
杉本寺の苔の階段です。
茅葺き屋根の杉本寺の本堂です。
杉本寺の石塔は南北朝時代に南朝の北畠顕家に滅ぼされた北朝方の武士の供養塔だそうです。
杉本寺の入口にはキタキチョウが寒さにめげず、飛んでいました。
滑川の犬懸橋を渡りました。橋のたもとには穴子丼で有名なお店があります。まだ入ったことはないけれど、並ばないと食事できないお店です。
犬懸橋を渡ったところは、紅葉が真っ盛りでとてもきれいでした。
紅葉の下を流れる滑川にカルガモの夫婦が泳いでいました。
犬懸橋の先には田楽辻子のみちという裏道がありました。
田楽辻子のみちの途中の脇道を山に向かって入ると、鎌倉時代に建っていた勝長寿院という寺院跡の石碑が建っていました。勝長寿院は別名大御堂と呼ばれ、鶴岡八幡宮、二階堂の永福寺(廃寺)と並ぶ鎌倉三大寺社のひとつだったそうです。大御堂はいまは跡形も無いのですが、石碑の隣に源頼朝の父、義朝の供養塔が建っていました。
田楽辻子のみちをさらに進むと、鎌倉時代初期の名僧、文覚上人の屋敷跡の碑が建っていました。屋敷跡は大御堂への入口にある大御堂橋のたもとにあったそうです。
大御堂橋に着きました。「釈迦堂切通しは通行禁止」の看板は他の橋にもたくさん出ていました。釈迦堂切通しは映画や小説に出てくる風情溢れるところなので早く復活してほしいものです。
大御堂橋からみた滑川です。ここらへんを流れる滑川は、文覚上人にちなんで、かつては座禅川と呼ばれていたそうです。
田楽辻子のみちは筋替橋が起点だそうです。現在、筋替橋は橋の下を流れる川が暗渠となってしまったので、橋のかけらもありませんが、交通の要所に石碑が建っていました。ちなみに筋替橋は、鎌倉でいわくのある10カ所の橋を選出した「鎌倉十橋」のひとつに選定されています。もう橋はないけれど・・
滑川の支流に二階堂川があります。二階堂川のもっとも下流の橋は「歌の橋」といって「鎌倉十橋」のひとつです。橋のいわくに興味のある方はその筋の観光案内書等で確認してください。次は二階堂川を遡っていった話しをしたいと思います。(お約束は出来ませんが・・。チョウがたくさん飛んで・・・むふむふ。)
昨年に引き続き世界遺産とチョウの話しをテーマとしたいのですが、今回も鎌倉市を流れる滑川のことで、前の話しの続きです。
滑川にかかる華の橋を渡ったところにたくさんの庚申塔がありました。石塔の中にはキモくて可愛い猿面の塔がありました。(猿面を訂正します。お釈迦様の石仏だそうです。)
華の橋を渡ると竹の寺で人気のある報国寺に到着します。この日もたくさんの人が参拝されていました。
報国寺の山門をくぐると枯山水の庭園があり、大きな銀杏が黄葉を白砂に落としていました。
その向かいには大きな石を彫った水盤があり、水面に紅葉が映っていました。
紅葉、銀杏、山茶花に囲まれて五輪塔が建っていました。新田義貞の鎌倉攻めの際に戦死した新田軍と北条軍の石塔を由比ケ浜から集め、報国寺で供養するために建てた五輪塔だそうです。
報国寺の参道で冬桜(十月桜)がそっと咲いていました。冬桜はそっと咲く第三章です。
報国寺のやぐらは足利氏一族の墓(やぐら)で、足利尊氏の祖父、足利家時もここで眠っているのだそうです。
竹の庭は約2,000本の孟宗竹があるそうで、ところどころに石仏や石塔がまつられていました。
竹の庭の中にいると竹の香りで清々しい気持ちになるのですが、報国寺のリーフレットによると竹の庭の中を歩くだけで健康になるそうです。
竹の庭には石灯籠がよく似合います。
竹の庭には休耕庵という休憩所があり、抹茶をいただくことができます。桜や紫陽花、紅葉のシーズンは混み合って大変なのですが、これからのオフシーズンは竹の音を聞きながらゆっくりと抹茶を楽しみたいものです。
報国寺の竹の庭の入口の壁に竹の影絵が映っていました。風に吹かれて揺れる竹の影は風流そのものです。
報国寺を出て、金沢街道に戻りました。華の橋とその下流にある犬懸橋の間の滑川にたくさんのコイが元気に泳いでいました。ここいらの滑川は川底がつるつるしているので、昔から滑川と呼ばれていたそうです。
さらに行くと鎌倉最古の寺、杉本寺がありました。
杉本寺の苔の階段です。
茅葺き屋根の杉本寺の本堂です。
杉本寺の石塔は南北朝時代に南朝の北畠顕家に滅ぼされた北朝方の武士の供養塔だそうです。
杉本寺の入口にはキタキチョウが寒さにめげず、飛んでいました。
滑川の犬懸橋を渡りました。橋のたもとには穴子丼で有名なお店があります。まだ入ったことはないけれど、並ばないと食事できないお店です。
犬懸橋を渡ったところは、紅葉が真っ盛りでとてもきれいでした。
紅葉の下を流れる滑川にカルガモの夫婦が泳いでいました。
犬懸橋の先には田楽辻子のみちという裏道がありました。
田楽辻子のみちの途中の脇道を山に向かって入ると、鎌倉時代に建っていた勝長寿院という寺院跡の石碑が建っていました。勝長寿院は別名大御堂と呼ばれ、鶴岡八幡宮、二階堂の永福寺(廃寺)と並ぶ鎌倉三大寺社のひとつだったそうです。大御堂はいまは跡形も無いのですが、石碑の隣に源頼朝の父、義朝の供養塔が建っていました。
田楽辻子のみちをさらに進むと、鎌倉時代初期の名僧、文覚上人の屋敷跡の碑が建っていました。屋敷跡は大御堂への入口にある大御堂橋のたもとにあったそうです。
大御堂橋に着きました。「釈迦堂切通しは通行禁止」の看板は他の橋にもたくさん出ていました。釈迦堂切通しは映画や小説に出てくる風情溢れるところなので早く復活してほしいものです。
大御堂橋からみた滑川です。ここらへんを流れる滑川は、文覚上人にちなんで、かつては座禅川と呼ばれていたそうです。
田楽辻子のみちは筋替橋が起点だそうです。現在、筋替橋は橋の下を流れる川が暗渠となってしまったので、橋のかけらもありませんが、交通の要所に石碑が建っていました。ちなみに筋替橋は、鎌倉でいわくのある10カ所の橋を選出した「鎌倉十橋」のひとつに選定されています。もう橋はないけれど・・
滑川の支流に二階堂川があります。二階堂川のもっとも下流の橋は「歌の橋」といって「鎌倉十橋」のひとつです。橋のいわくに興味のある方はその筋の観光案内書等で確認してください。次は二階堂川を遡っていった話しをしたいと思います。(お約束は出来ませんが・・。チョウがたくさん飛んで・・・むふむふ。)
タグ:キタキチョウ
北海道ガーデン街道を行く(優しい風編)【エゾシロチョウ、ヒメウラナミジャノメ、フタスジチョウ、オオウラギンスジヒョウモン、ウラギンスジヒョウモン、ヒョウモンチョウ】 [北海道]
いつものことですみません。私のブログはチョウの観察記録ではないので、過去に行った旅で出会ったチョウの話しをさせていただくこともお許し願います。今回は初夏の北海道の話しです。
十勝川にかかる美しい橋の袂に「優しい風」という塑像があります。チョウのような女の子が大空に旅立つような…。今日はたくさんのチョウに出会えるでしょうか。
優しい風に吹かれてヤマボウシが咲いていました。
北海道ガーデン街道の一つ、紫竹ガーデンに行ってきました。ここでも「優しい風」が吹きますように。
紫竹ガーデンの寄せ植えです。
取材を受ける紫竹さん。紫竹ガーデンは紫竹さんが持つユルーイ雰囲気が、他のガーデンとはひと味違う売りのひとつです。
訪れたころはエゾシロチョウの発生時期と重なっていたので、花で吸蜜するエゾシロチョウを楽しめました。まずはナデシコの仲間の花で吸蜜中でした。
エゾシロチョウのオスの求愛はいつも激しいのですが、今回も猛烈にメスにアタック。
エゾシロチョウのメスは徹底的にオスの求愛を拒否します。初夏の出来事の一コマ。
エゾシロチョウが白い花で吸蜜していました。
紫竹ガーデンでヒメウラナミジャノメが吸蜜していました。
本州ではなかなかお目にかかれないフタスジチョウが、北海道では平地の紫竹ガーデンで飛んでいました。
紫竹ガーデンはこのようなサークルガーデンがいくつか並んでいます。紫竹ガーデンに優しい風が吹いていました。紫竹ガーデンには数回訪れていますので、以降に載せる花の開花時期が微妙に違っているのですが、優しい雰囲気でご容赦願います。
紫竹ガーデンのネギ坊主。
紫竹ガーデンのシャクヤクの花。
紫竹ガーデンの真っ赤なハマナス。
紫竹ガーデンのクレマチスは、ガーデンの売りのひとつです。
紫竹ガーデンのルピナスの通路。
紫竹ガーデンの入口にある、ゆるい雰囲気の看板。
紫竹ガーデン以外にも北海道で「優しい風」に吹かれてさまよいました。今回はヒョウモンチョウの仲間を紹介します。まずはその名もヒョウモンチョウが吸蜜しているとこをパチリ。ヒョウモンチョウの仲間は鑑別が難しい。
ギンボシヒョウモンも吸蜜していました。
オオウラギンスジヒョウモンでいいのかな。
オオウラギンスジヒョウモンのメス。
本州では絶滅危惧種のひとつウラギンスジヒョウモンもカセンソウに止まっているところをパチリ。
十勝川にかかる美しい橋の袂に「優しい風」という塑像があります。チョウのような女の子が大空に旅立つような…。今日はたくさんのチョウに出会えるでしょうか。
優しい風に吹かれてヤマボウシが咲いていました。
北海道ガーデン街道の一つ、紫竹ガーデンに行ってきました。ここでも「優しい風」が吹きますように。
紫竹ガーデンの寄せ植えです。
取材を受ける紫竹さん。紫竹ガーデンは紫竹さんが持つユルーイ雰囲気が、他のガーデンとはひと味違う売りのひとつです。
訪れたころはエゾシロチョウの発生時期と重なっていたので、花で吸蜜するエゾシロチョウを楽しめました。まずはナデシコの仲間の花で吸蜜中でした。
エゾシロチョウのオスの求愛はいつも激しいのですが、今回も猛烈にメスにアタック。
エゾシロチョウのメスは徹底的にオスの求愛を拒否します。初夏の出来事の一コマ。
エゾシロチョウが白い花で吸蜜していました。
紫竹ガーデンでヒメウラナミジャノメが吸蜜していました。
本州ではなかなかお目にかかれないフタスジチョウが、北海道では平地の紫竹ガーデンで飛んでいました。
紫竹ガーデンはこのようなサークルガーデンがいくつか並んでいます。紫竹ガーデンに優しい風が吹いていました。紫竹ガーデンには数回訪れていますので、以降に載せる花の開花時期が微妙に違っているのですが、優しい雰囲気でご容赦願います。
紫竹ガーデンのネギ坊主。
紫竹ガーデンのシャクヤクの花。
紫竹ガーデンの真っ赤なハマナス。
紫竹ガーデンのクレマチスは、ガーデンの売りのひとつです。
紫竹ガーデンのルピナスの通路。
紫竹ガーデンの入口にある、ゆるい雰囲気の看板。
紫竹ガーデン以外にも北海道で「優しい風」に吹かれてさまよいました。今回はヒョウモンチョウの仲間を紹介します。まずはその名もヒョウモンチョウが吸蜜しているとこをパチリ。ヒョウモンチョウの仲間は鑑別が難しい。
ギンボシヒョウモンも吸蜜していました。
オオウラギンスジヒョウモンでいいのかな。
オオウラギンスジヒョウモンのメス。
本州では絶滅危惧種のひとつウラギンスジヒョウモンもカセンソウに止まっているところをパチリ。
イチョウとキチョウと天狗の仲間たち【キタキチョウ、テングチョウ】 [神奈川県 鎌倉市]
鎌倉にある御霊神社は、朱塗りの柱などがない地味な神社ですが、参拝客が途切れることのない人気の神社です。
御霊神社にある数本の大きなイチョウの木々は、葉が黄色くなって落ちるまで順番があるようです。
お参りに訪れたときは、左端の大きなイチョウの木が黄葉の真っ盛りで、見上げると青空に黄葉が映えていました。
いずれも大きなイチョウの木なので、落ち葉掃除がたいへんそうでした。
イチョウの落ち葉に囲まれて天狗の団扇、ヤツデが葉を広げていました。
日差しが射す参道にキタキチョウが翅を休めていました。
御霊神社は夫婦銀杏という大樹があり、ギンナンがたくさんなるそうですが、お参りに訪れた時はすでに葉を全て落としていました。(ギンナンもありませんでした。)
御霊神社の境内にある稲荷神社の横を江ノ電が通りすぎます。
江ノ電のタイムマシンに乗って時間を遡りましょう。
毎年9月18日は御霊神社の例祭の日です。今年は日曜日だったので大勢の参拝客が訪れていました。時折、小雨が降ったので、鎌倉神楽は本殿の中で奉納されていました。
鎌倉神楽の最後はもどきという舞で、山の神の面をかぶった神職が、参拝客に縁起物を撒いてくださるのですが、その仕草がコミカルで笑いを誘います。
鎌倉神楽が終わり、次は面掛行列が始まります。面掛行列の先頭は天狗の仮面をかぶった猿田彦が務めます。
獅子頭を先頭に面をかぶったが面掛衆が集合しました。面掛行列は鎌倉を代表する歴史あるお祭りです。
面掛行列には奈良時代から伝わる舞楽面や田楽面を付けた10人の面掛衆が、御霊神社近くにある星の井通りを練り歩きます。
御霊神社では、鎌倉・江の島七福神の福禄寿の御朱印をいただけます。面掛行列の中に福禄寿の面を被った者がいました。普段、福禄寿の面は御霊神社の宝物庫の中に大切に納められています。
おかめは大きなお腹を抱えた妊婦です。女性がおかめのお腹を触ると安産になるそうです。ちなみにおかめと産婆役の女も女装した男性が務めています。
御霊神社の御神輿も歴史は古く、鎌倉市の文化財に指定されているそうです。
御霊神社の門前にある力餅屋さんには、面掛行列の面々を模した福面まん頭が売られています。御霊神社にお参りした後、福面まん頭を食べて、さらに福と禄と寿のパワーアップを図りました。
チョウの世界の天狗こと鼻(?)の長いテングチョウが枯れ葉の上に静止していました。テングチョウは成虫で越冬します。いまはどこで冬眠しているのでしょうか。見かけたら寿を少しだけ分けてあげしましょう。
御霊神社にある数本の大きなイチョウの木々は、葉が黄色くなって落ちるまで順番があるようです。
お参りに訪れたときは、左端の大きなイチョウの木が黄葉の真っ盛りで、見上げると青空に黄葉が映えていました。
いずれも大きなイチョウの木なので、落ち葉掃除がたいへんそうでした。
イチョウの落ち葉に囲まれて天狗の団扇、ヤツデが葉を広げていました。
日差しが射す参道にキタキチョウが翅を休めていました。
御霊神社は夫婦銀杏という大樹があり、ギンナンがたくさんなるそうですが、お参りに訪れた時はすでに葉を全て落としていました。(ギンナンもありませんでした。)
御霊神社の境内にある稲荷神社の横を江ノ電が通りすぎます。
江ノ電のタイムマシンに乗って時間を遡りましょう。
毎年9月18日は御霊神社の例祭の日です。今年は日曜日だったので大勢の参拝客が訪れていました。時折、小雨が降ったので、鎌倉神楽は本殿の中で奉納されていました。
鎌倉神楽の最後はもどきという舞で、山の神の面をかぶった神職が、参拝客に縁起物を撒いてくださるのですが、その仕草がコミカルで笑いを誘います。
鎌倉神楽が終わり、次は面掛行列が始まります。面掛行列の先頭は天狗の仮面をかぶった猿田彦が務めます。
獅子頭を先頭に面をかぶったが面掛衆が集合しました。面掛行列は鎌倉を代表する歴史あるお祭りです。
面掛行列には奈良時代から伝わる舞楽面や田楽面を付けた10人の面掛衆が、御霊神社近くにある星の井通りを練り歩きます。
御霊神社では、鎌倉・江の島七福神の福禄寿の御朱印をいただけます。面掛行列の中に福禄寿の面を被った者がいました。普段、福禄寿の面は御霊神社の宝物庫の中に大切に納められています。
おかめは大きなお腹を抱えた妊婦です。女性がおかめのお腹を触ると安産になるそうです。ちなみにおかめと産婆役の女も女装した男性が務めています。
御霊神社の御神輿も歴史は古く、鎌倉市の文化財に指定されているそうです。
御霊神社の門前にある力餅屋さんには、面掛行列の面々を模した福面まん頭が売られています。御霊神社にお参りした後、福面まん頭を食べて、さらに福と禄と寿のパワーアップを図りました。
チョウの世界の天狗こと鼻(?)の長いテングチョウが枯れ葉の上に静止していました。テングチョウは成虫で越冬します。いまはどこで冬眠しているのでしょうか。見かけたら寿を少しだけ分けてあげしましょう。
冬桜はそっと咲く。第二章【キタテハ】 [神奈川県 鎌倉市]
しばらくブログをお休みをしていましたので、「ブログの更新してないけど、やめたの?」と、友人から指摘を受けました。いいえ、やめてません。ただメタボ対策で「休日は1日3万歩を歩こう!」と心に決めましたので、そのせいか夜も浅いうちに疲れた体と心が眠気を誘い・・・ムニャムニャムニャ・・・。
今年のブログは「神奈川県の世界遺産候補:鎌倉にある朝比奈切通」から始めましたので、そっと、そっとその続きを始めます。しかし、季節は年の暮れ。チョウなんて滅多に飛んでいません。
そこはご容赦くださいませ。
晩秋の朝比奈切通です。この時期、鎌倉の街中は大にぎわいですが、ここはとても静かでした。
朝比奈切通の入口にある太刀洗川の滝。
鎌倉五名水のひとつ、太刀洗水は勢いよく流れ落ちていました。太刀洗川の清流は下流の泉橋で滑川と合流します。今回、ここから滑川沿いに歩いてみました。
滑川の上流は別名「胡桃川」というそうですが、ここの川底はいかにもぬるぬるしているようで、滑川の呼び名の方が合っているような気がします。
滑川の告示板は汚らしいのですが、現在位置がよくわかりました。今は泉水橋にいます。
泉水橋から滑川の上流を遡ると光触寺があります。滑川に架かる赤橋の光触寺橋を渡って行きました。
光触寺の塩嘗め地蔵です。朝比奈峠がある金沢街道は鎌倉時代の商工業の重要道路。かつては金沢八景の港から鎌倉に塩が運ばれて来たそうです。商人は旅の無事を祈ってお地蔵さんに塩を納めていたようです。
ご当地の起こりは、この十二所神社です。十二所はジュウニソと読みます。
十二所神社から下って青砥橋に着きました。青砥橋から見た滑川です。
青砥橋を渡り、ちょこっと住宅街に向かったところに、鎌倉時代の優秀な行政及び司法の長官、青砥藤綱が住んでいた邸宅があったという石碑が立っていました。鎌倉幕府の質実剛健の風土はこの青砥藤綱の影響があったそうです。その話しは、別の機会に・・いずれ・・いつか・・
滑川をさらに下ると鎌倉五山の第五位、稲荷山浄妙寺の山門が見えてきました。
浄妙寺は花の寺で有名ですが、紅葉もきれいです。紅葉と黄葉の木々が本堂を彩り、鮮やかに染めていました。
浄妙寺には枯山水の庭園を眺めながら抹茶をいただける喜泉庵があります。今日はここで休憩しました。
上生菓子は鎌倉の高級和菓子店「美鈴」の柿の練りきりでした。
浄妙寺の紅葉は真っ盛りでした。
浄妙寺の散歩道には紅葉と並んで冬桜がそっとそっと咲いていました。同じ桜でも春のソメイヨシノのような豪華さは全くありませんが、
そんな冬桜の生き様が大好きです。
小さな花びらは、うす桃色に染まっていました。
艶やかな名残りの紅葉。
銀杏は風に吹かれて豪快に葉を落としていました。地上には黄葉が幾重にも重なっていました。
銀杏が黄葉を落とすと、すぐに蝋梅が黄色い花を咲かせていました。途切れることのない黄色の彩り。
キタテハが鎌倉五山の第三位、寿福寺で飛んでいました。残念ながら浄妙寺ではチョウを撮ることが出来ませんでした。チョウは飛んでいたのですか・・止まらない。
浄妙寺は足利家に縁があるそうです。足利尊氏の父、貞氏の墓や、言い伝えですが弟の足利直義は、このやぐらの中で眠っているそうです。
鎌倉の名の発祥伝説がある鎌足稲荷神社。藤原鎌足がここに鎌を埋めたことから鎌倉の名前が・・伝説ですが・・
浄妙寺を後に滑川に戻りました。滑川にかかる「華の橋」の下でカルガモが群れていました。ここからは鎌倉の有名寺院のオンパレードですが、それも次回以降に・・
滑川の河口は、西側に由比ケ浜海岸、東側に材木座海岸が広がります。由比ケ浜海岸の駐車場の一角に「さくら貝の歌」の歌碑がありました。
さくら貝の貝殻を探しましたが、見つけることができませんでした。そこで桜色の貝殻で桜の花を作りました。今日から冬の桜のようにそっと復活しました。
今年のブログは「神奈川県の世界遺産候補:鎌倉にある朝比奈切通」から始めましたので、そっと、そっとその続きを始めます。しかし、季節は年の暮れ。チョウなんて滅多に飛んでいません。
そこはご容赦くださいませ。
晩秋の朝比奈切通です。この時期、鎌倉の街中は大にぎわいですが、ここはとても静かでした。
朝比奈切通の入口にある太刀洗川の滝。
鎌倉五名水のひとつ、太刀洗水は勢いよく流れ落ちていました。太刀洗川の清流は下流の泉橋で滑川と合流します。今回、ここから滑川沿いに歩いてみました。
滑川の上流は別名「胡桃川」というそうですが、ここの川底はいかにもぬるぬるしているようで、滑川の呼び名の方が合っているような気がします。
滑川の告示板は汚らしいのですが、現在位置がよくわかりました。今は泉水橋にいます。
泉水橋から滑川の上流を遡ると光触寺があります。滑川に架かる赤橋の光触寺橋を渡って行きました。
光触寺の塩嘗め地蔵です。朝比奈峠がある金沢街道は鎌倉時代の商工業の重要道路。かつては金沢八景の港から鎌倉に塩が運ばれて来たそうです。商人は旅の無事を祈ってお地蔵さんに塩を納めていたようです。
ご当地の起こりは、この十二所神社です。十二所はジュウニソと読みます。
十二所神社から下って青砥橋に着きました。青砥橋から見た滑川です。
青砥橋を渡り、ちょこっと住宅街に向かったところに、鎌倉時代の優秀な行政及び司法の長官、青砥藤綱が住んでいた邸宅があったという石碑が立っていました。鎌倉幕府の質実剛健の風土はこの青砥藤綱の影響があったそうです。その話しは、別の機会に・・いずれ・・いつか・・
滑川をさらに下ると鎌倉五山の第五位、稲荷山浄妙寺の山門が見えてきました。
浄妙寺は花の寺で有名ですが、紅葉もきれいです。紅葉と黄葉の木々が本堂を彩り、鮮やかに染めていました。
浄妙寺には枯山水の庭園を眺めながら抹茶をいただける喜泉庵があります。今日はここで休憩しました。
上生菓子は鎌倉の高級和菓子店「美鈴」の柿の練りきりでした。
浄妙寺の紅葉は真っ盛りでした。
浄妙寺の散歩道には紅葉と並んで冬桜がそっとそっと咲いていました。同じ桜でも春のソメイヨシノのような豪華さは全くありませんが、
そんな冬桜の生き様が大好きです。
小さな花びらは、うす桃色に染まっていました。
艶やかな名残りの紅葉。
銀杏は風に吹かれて豪快に葉を落としていました。地上には黄葉が幾重にも重なっていました。
銀杏が黄葉を落とすと、すぐに蝋梅が黄色い花を咲かせていました。途切れることのない黄色の彩り。
キタテハが鎌倉五山の第三位、寿福寺で飛んでいました。残念ながら浄妙寺ではチョウを撮ることが出来ませんでした。チョウは飛んでいたのですか・・止まらない。
浄妙寺は足利家に縁があるそうです。足利尊氏の父、貞氏の墓や、言い伝えですが弟の足利直義は、このやぐらの中で眠っているそうです。
鎌倉の名の発祥伝説がある鎌足稲荷神社。藤原鎌足がここに鎌を埋めたことから鎌倉の名前が・・伝説ですが・・
浄妙寺を後に滑川に戻りました。滑川にかかる「華の橋」の下でカルガモが群れていました。ここからは鎌倉の有名寺院のオンパレードですが、それも次回以降に・・
滑川の河口は、西側に由比ケ浜海岸、東側に材木座海岸が広がります。由比ケ浜海岸の駐車場の一角に「さくら貝の歌」の歌碑がありました。
さくら貝の貝殻を探しましたが、見つけることができませんでした。そこで桜色の貝殻で桜の花を作りました。今日から冬の桜のようにそっと復活しました。
タグ:キタテハ
北海道ガーデン街道を行く(六花の森ハマナシ編)【カラスシジミ、アカマダラ、ミドリヒョウモン、メスグロヒョウモン、カバイロシジミ】 [北海道]
北海道に着いた日はいつもいい天気。翌日、フィールドに出ると悪天候。このパターンの連続です。
帯広空港に昼前に到着しました。麦秋に青い空と白い雲。内地人にとっては、北海道を感じる景色です。
フィールドに出るには中途半端な時間なので、この日は北海道ガーデン街道の一つ「六花の森」に行くことにしました。六花の森は帯広にあるお菓子屋さん(六花亭)の工場に隣接して設けられています。
六花の森に入りましょう。(6月下旬の頃の入口)
六花亭の包装紙の代表的な花の一つにハマナシ(ハマナス)があります。
ちょうどハマナシの花が見ごろでした。(7月中旬の頃)
六花の森はガーデン内を小川が流れており、水辺の風景も売りの一つです。水面に映る青空とハマナシの花がきれいでした。
芝生の広場の上には「考える人」のオブジェがあり、ハマナシの花との組み合わせが、北海道を感じさせる売りの一つです。
赤いハマナシの林の中に、白いハマナシが咲いていました。
ハマナシの花がまだ少なかった頃、夏模様のアカマダラがフキの葉に止まっていました。草花を踏まないように望遠でとりましたが、残念ながら画像が小さい。
夏模様のアカマダラです。アカマダラは北海道の特産種です。
アカマダラの翅表は、春は赤いまだら模様ですが、夏は黒くてまだら模様ではありません。しかし翅裏は赤い地図のような模様です。
六花の森に戻りましょう。小川の岸辺にトラノオが咲いていました。
カラスシジミがトラノオで吸蜜していました。
カラスシジミがヒヨドリバナでも吸蜜していました。
岸辺のエゾアジサイの花が満開でとてもいい雰囲気でした。
エゾアジサイの花にミドリヒョウモンが飛んで来ました。一瞬の出来事です。
ヒョウモンの仲間はトラノオの花が大好きなようです。ネコ仲間のつながりのようです。
ミドリヒョウモンのいる岸辺の風景。爽やかな風が吹きます。
同じ岸辺にはメスグロヒョウモンのメスが吸蜜していました。
メスグロヒョウモンのメスの翅模様はヒョウモンではありません。
ハナショウブの花が咲いていました。ハナショウブのことを昔はアヤメと呼ぶことがあったようで、
六花亭の包装紙を手がけた坂本画伯もあやめと呼んでいました。
坂本画伯が手がけた六花亭の包装紙の花々の楽園に立ち、しばし見とれていました。今、咲いている花は、ハマナシ、アヤメ‥その他いろいろいろいろ。
十勝地方の歴史に刻まれる開拓民の会社「晩成社」の印がマルセイマークだそうです。六花亭のバターサンドでおなじみです。
十勝平野にはかつて国鉄広尾線が走っていました。いまも観光客が絶えない広尾線の愛の国(愛国駅)から幸福(幸福駅)へ進んで行きましょう。
愛国駅には、蒸気機関車が停車していました。
駅近くの川の岸辺にカバイロシジミがいました。メスの翅色は樺色です。
カバイロシジミのオスも翅を広げてくれました。
ヒメシジミが吸蜜していました。
ヒメシジミも翅を広げてくれました。
フウロソウの仲間でモンシロチョウが吸蜜していました。
鮮やかなオレンジ色のコウリンタンポポにエゾスジグロシロチョウが吸蜜していました。北海道ならではの組み合わせです。
幸福駅に停車しているディーゼル車はことし塗り直したそうです。オレンジ色が鮮やかです。
北海道のチョウに出会えて幸福でした。
幸福の鐘をたくさん鳴らしました。過ぎたるものは、なお及ばさるがごとし。翌日の悪天候はだれのせい。
六花亭帯広本店でお土産選びをしました。
今日もたくさん遊びました。六花亭のソフトクリームで明日からの元気を補給しましょう。
帯広空港に昼前に到着しました。麦秋に青い空と白い雲。内地人にとっては、北海道を感じる景色です。
フィールドに出るには中途半端な時間なので、この日は北海道ガーデン街道の一つ「六花の森」に行くことにしました。六花の森は帯広にあるお菓子屋さん(六花亭)の工場に隣接して設けられています。
六花の森に入りましょう。(6月下旬の頃の入口)
六花亭の包装紙の代表的な花の一つにハマナシ(ハマナス)があります。
ちょうどハマナシの花が見ごろでした。(7月中旬の頃)
六花の森はガーデン内を小川が流れており、水辺の風景も売りの一つです。水面に映る青空とハマナシの花がきれいでした。
芝生の広場の上には「考える人」のオブジェがあり、ハマナシの花との組み合わせが、北海道を感じさせる売りの一つです。
赤いハマナシの林の中に、白いハマナシが咲いていました。
ハマナシの花がまだ少なかった頃、夏模様のアカマダラがフキの葉に止まっていました。草花を踏まないように望遠でとりましたが、残念ながら画像が小さい。
夏模様のアカマダラです。アカマダラは北海道の特産種です。
アカマダラの翅表は、春は赤いまだら模様ですが、夏は黒くてまだら模様ではありません。しかし翅裏は赤い地図のような模様です。
六花の森に戻りましょう。小川の岸辺にトラノオが咲いていました。
カラスシジミがトラノオで吸蜜していました。
カラスシジミがヒヨドリバナでも吸蜜していました。
岸辺のエゾアジサイの花が満開でとてもいい雰囲気でした。
エゾアジサイの花にミドリヒョウモンが飛んで来ました。一瞬の出来事です。
ヒョウモンの仲間はトラノオの花が大好きなようです。ネコ仲間のつながりのようです。
ミドリヒョウモンのいる岸辺の風景。爽やかな風が吹きます。
同じ岸辺にはメスグロヒョウモンのメスが吸蜜していました。
メスグロヒョウモンのメスの翅模様はヒョウモンではありません。
ハナショウブの花が咲いていました。ハナショウブのことを昔はアヤメと呼ぶことがあったようで、
六花亭の包装紙を手がけた坂本画伯もあやめと呼んでいました。
坂本画伯が手がけた六花亭の包装紙の花々の楽園に立ち、しばし見とれていました。今、咲いている花は、ハマナシ、アヤメ‥その他いろいろいろいろ。
十勝地方の歴史に刻まれる開拓民の会社「晩成社」の印がマルセイマークだそうです。六花亭のバターサンドでおなじみです。
十勝平野にはかつて国鉄広尾線が走っていました。いまも観光客が絶えない広尾線の愛の国(愛国駅)から幸福(幸福駅)へ進んで行きましょう。
愛国駅には、蒸気機関車が停車していました。
駅近くの川の岸辺にカバイロシジミがいました。メスの翅色は樺色です。
カバイロシジミのオスも翅を広げてくれました。
ヒメシジミが吸蜜していました。
ヒメシジミも翅を広げてくれました。
フウロソウの仲間でモンシロチョウが吸蜜していました。
鮮やかなオレンジ色のコウリンタンポポにエゾスジグロシロチョウが吸蜜していました。北海道ならではの組み合わせです。
幸福駅に停車しているディーゼル車はことし塗り直したそうです。オレンジ色が鮮やかです。
北海道のチョウに出会えて幸福でした。
幸福の鐘をたくさん鳴らしました。過ぎたるものは、なお及ばさるがごとし。翌日の悪天候はだれのせい。
六花亭帯広本店でお土産選びをしました。
今日もたくさん遊びました。六花亭のソフトクリームで明日からの元気を補給しましょう。
ヒョウモンGO【カラフトルリシジミ、カラフトタカネキマダラセセリ、コチャバネセセリ、ギンボシヒョウモン、エゾシロチョウ】 [北海道]
ポ○モンGOが国内でも配信され、たいへんなことになっているようです。(ゲームブログではないので、検索されないようにしました。○にはケが入ります。)
北海道にはカラフトと名前がつくチョウが数種類いますが、いずれも北海道でしか出会うことができません。今回はカラフトから来たルリシジミに出会いたくて、帯広からバスに乗り、以前と同じ山に登ってきました。この日も登山口から山頂は全く見えません。前回と同じような天候です。
前回と同じように、針葉樹林帯の登山道にはゴゼンタチバナが咲いていました。
針葉樹の林床はコケで覆われており、その景色は苦しい登りの慰めになりました。
動物の尻尾のようなかわいいコケ。
葉緑素を持たない植物の一種、ギンリョウソウがニョッキリと頭を出していました。
針葉樹林帯を抜けると広葉樹の林となり、登山道沿いはハクサンシャクナゲが咲いてきれいでした。
広葉樹林帯を登る頃、なんとか霧が晴れて来たような…。登りも、天気も、もう少しです。
稜線に出ると白樺の林で、いかにも「北国に来ました」って感じ。
前回と同じように、山頂にとうちゃこ。
山頂を少し下った岩場の登山道沿いに生えていたエゾチドリ。
同じ場所にオオタカネバラが咲いていました。
エゾシオガマも咲いていました。
モイワシャジンも咲いていました。
山頂は相変わらず霧の中でしたが、コチャバネセセリがトカチフウロに止まっていました。
カラフトがつくチョウの第一弾。長い名前のカラフトタカネキマダラセセリがいました。
カラフトがつくチョウの第二弾。半分あきらめていたカラフトルリシジミを発見しました。
しかも翅を広げてくれました。
大雪山の高山蛾がいないかなと思い、いろいろなガの仲間を撮りまくりましたが、残念ながら普通種のオビカギバでした。
これもまた普通種のウンナンオオシロヒメシャクが、霧の中でジットしていました。
これってコケモモの実でしょうか。
一輪だけ発見したミヤマアキノキリンソウ。
キスジホソマダラはたくさんの花に止まっていました。アヤメの花にも来ていました。
とてもきれいなヒメキシタヒトリは内地では高山蛾ですが、北海道では普通種のようです。
下山後、登山口にある草原にギンボシヒョウモンが飛んでいました。
今回の旅でヒョウモンチョウの仲間をたくさん見かけました。その中にカラフトの名前がついたヒョウモンチョウがいないか探しましたが、残念な結果でした。ポ○モンGOならぬヒョウモンGOをしていました。
そういえば本物のナキウサギにも出会えませんでした。その代わりです。
北海道のウバユリは堂々としてきれいに咲いていました。
ベニバナイチヤクソウも咲いていました。隣に咲いているトカチフウロにもチョウがいましたが、今回はムシで。(表題が長くなるので。)
エゾシロチョウがトカチフウロの花を次から次に訪問していました。大型のチョウなので、とても絵になります。
レッドクローバーの花でエゾシロチョウが吸蜜していました。
然別湖にとうちゃこ。そこにもエゾシロチョウがいました。ヒョウモンGOの旅は続きます。
北海道にはカラフトと名前がつくチョウが数種類いますが、いずれも北海道でしか出会うことができません。今回はカラフトから来たルリシジミに出会いたくて、帯広からバスに乗り、以前と同じ山に登ってきました。この日も登山口から山頂は全く見えません。前回と同じような天候です。
前回と同じように、針葉樹林帯の登山道にはゴゼンタチバナが咲いていました。
針葉樹の林床はコケで覆われており、その景色は苦しい登りの慰めになりました。
動物の尻尾のようなかわいいコケ。
葉緑素を持たない植物の一種、ギンリョウソウがニョッキリと頭を出していました。
針葉樹林帯を抜けると広葉樹の林となり、登山道沿いはハクサンシャクナゲが咲いてきれいでした。
広葉樹林帯を登る頃、なんとか霧が晴れて来たような…。登りも、天気も、もう少しです。
稜線に出ると白樺の林で、いかにも「北国に来ました」って感じ。
前回と同じように、山頂にとうちゃこ。
山頂を少し下った岩場の登山道沿いに生えていたエゾチドリ。
同じ場所にオオタカネバラが咲いていました。
エゾシオガマも咲いていました。
モイワシャジンも咲いていました。
山頂は相変わらず霧の中でしたが、コチャバネセセリがトカチフウロに止まっていました。
カラフトがつくチョウの第一弾。長い名前のカラフトタカネキマダラセセリがいました。
カラフトがつくチョウの第二弾。半分あきらめていたカラフトルリシジミを発見しました。
しかも翅を広げてくれました。
大雪山の高山蛾がいないかなと思い、いろいろなガの仲間を撮りまくりましたが、残念ながら普通種のオビカギバでした。
これもまた普通種のウンナンオオシロヒメシャクが、霧の中でジットしていました。
これってコケモモの実でしょうか。
一輪だけ発見したミヤマアキノキリンソウ。
キスジホソマダラはたくさんの花に止まっていました。アヤメの花にも来ていました。
とてもきれいなヒメキシタヒトリは内地では高山蛾ですが、北海道では普通種のようです。
下山後、登山口にある草原にギンボシヒョウモンが飛んでいました。
今回の旅でヒョウモンチョウの仲間をたくさん見かけました。その中にカラフトの名前がついたヒョウモンチョウがいないか探しましたが、残念な結果でした。ポ○モンGOならぬヒョウモンGOをしていました。
そういえば本物のナキウサギにも出会えませんでした。その代わりです。
北海道のウバユリは堂々としてきれいに咲いていました。
ベニバナイチヤクソウも咲いていました。隣に咲いているトカチフウロにもチョウがいましたが、今回はムシで。(表題が長くなるので。)
エゾシロチョウがトカチフウロの花を次から次に訪問していました。大型のチョウなので、とても絵になります。
レッドクローバーの花でエゾシロチョウが吸蜜していました。
然別湖にとうちゃこ。そこにもエゾシロチョウがいました。ヒョウモンGOの旅は続きます。
北海道ガーデン街道を行く(風の足跡編)【エゾシロチョウ、ウラギンヒョウモン、ギンボシヒョウモン、モンシロチョウ、ヒメウスバアゲハ】 [北海道]
○HKのテレビ番組「こころ旅」のファンです。北海道旭川市にある射的山は、こころ旅ファンならば涙腺を刺激された記憶があると思います。射的山で見ることができる「風の足跡」を見たくて北海道に飛びました。
「風の足跡」を見るには北海道ガーデンの一つ「上野ファーム」に入場する必要があります。でも初夏の頃の上野ファームは、全てが「絵になる風景」でした。
上野ファームは、咲いている花を見分けやすいように写真に撮って展示していました。花の名前を知りたければここで調べられるようになっています。
まずはマザーボーダーの庭です。上野ファーム発祥のガーデンだそうです。
赤レンガの窓からマザーボーダーの庭の眺め。
白いケシの花が咲いていました。
エゾシロチョウがデージーの仲間の花で吸蜜していました。
同じエゾシロチョウがホウセンカの仲間の花で吸蜜していました。
バラの花にはハナムグリがウロウロしていました。
満開のバラの花がとてもきれいでした。
アカスジカメムシがこんにちは。
ミラーボーダーの庭。左右対称に花々が咲いている庭です。
サークルボーダーの庭。バラの花々がきれいでした。
ノームの庭です。真夜中に農作業を手伝ってくれるノームは、いまはこのハウスのなかで寝ているそうです。
「ノームの庭」は、新しくできたガーデンです。
ノームの家の屋根。ノームの庭にはたくさんのチョウが飛んでいました。
モンシロチョウがマツムシソウで吸蜜していました。
ギンボシヒョウモンもマツムシソウで吸蜜していました。
ウラギンヒョウモンがレッドクローバーで吸蜜していました。
ウラギンヒョウモンがアザミの仲間の花で吸蜜していました。
ノームの庭にある池です。
池の岸辺にはルリイトトンボが弱々しく飛んでいました。
上野ファームの「白樺の小道」を通って、今日の目的地に行きました。
それはこころ旅の名場面の一つである「射的山を登って「風の足跡」を見てみたい!」ということ。
射的山の入口に北海道の固有種「ヒメウスバシロチョウ(ヒメウスバアゲハ)」が飛んでいました。しかし風に乗って全然止まってくれなかったので、飛行写真しか撮れませんでした。
私の「風の足跡」を見つけました。
登る途中にノームの庭の全景を見渡せる展望台がありました。
射的山に吹く初夏の爽やかな風が「風の足跡」へのこころを掻立てていました。
射的山の中腹にあるルピナス咲く草原にはたくさんのチョウが風に乗って飛んでいました。しかし残念ながら止まることが無かったため、私の「風の足跡」として新たに刻むことができませんでした。
ヨツボシトンボが竿の先に止まっていました。
射的山山頂にとうちゃこ。こころ旅が撮影された頃より時期が早かったので、水田に吹く風で刻まれる「風の足跡」を見ることができませんでした。
射的山を後に次の場所に移動しました。でも私の「風の足跡」と出会うことができてとても満足な旅でした。
(ヒメウスバシロチョウとしましたが、もしかしたら内地にもいるウスバシロチョウかもしれません。その場合はご勘弁を。)
「風の足跡」を見るには北海道ガーデンの一つ「上野ファーム」に入場する必要があります。でも初夏の頃の上野ファームは、全てが「絵になる風景」でした。
上野ファームは、咲いている花を見分けやすいように写真に撮って展示していました。花の名前を知りたければここで調べられるようになっています。
まずはマザーボーダーの庭です。上野ファーム発祥のガーデンだそうです。
赤レンガの窓からマザーボーダーの庭の眺め。
白いケシの花が咲いていました。
エゾシロチョウがデージーの仲間の花で吸蜜していました。
同じエゾシロチョウがホウセンカの仲間の花で吸蜜していました。
バラの花にはハナムグリがウロウロしていました。
満開のバラの花がとてもきれいでした。
アカスジカメムシがこんにちは。
ミラーボーダーの庭。左右対称に花々が咲いている庭です。
サークルボーダーの庭。バラの花々がきれいでした。
ノームの庭です。真夜中に農作業を手伝ってくれるノームは、いまはこのハウスのなかで寝ているそうです。
「ノームの庭」は、新しくできたガーデンです。
ノームの家の屋根。ノームの庭にはたくさんのチョウが飛んでいました。
モンシロチョウがマツムシソウで吸蜜していました。
ギンボシヒョウモンもマツムシソウで吸蜜していました。
ウラギンヒョウモンがレッドクローバーで吸蜜していました。
ウラギンヒョウモンがアザミの仲間の花で吸蜜していました。
ノームの庭にある池です。
池の岸辺にはルリイトトンボが弱々しく飛んでいました。
上野ファームの「白樺の小道」を通って、今日の目的地に行きました。
それはこころ旅の名場面の一つである「射的山を登って「風の足跡」を見てみたい!」ということ。
射的山の入口に北海道の固有種「ヒメウスバシロチョウ(ヒメウスバアゲハ)」が飛んでいました。しかし風に乗って全然止まってくれなかったので、飛行写真しか撮れませんでした。
私の「風の足跡」を見つけました。
登る途中にノームの庭の全景を見渡せる展望台がありました。
射的山に吹く初夏の爽やかな風が「風の足跡」へのこころを掻立てていました。
射的山の中腹にあるルピナス咲く草原にはたくさんのチョウが風に乗って飛んでいました。しかし残念ながら止まることが無かったため、私の「風の足跡」として新たに刻むことができませんでした。
ヨツボシトンボが竿の先に止まっていました。
射的山山頂にとうちゃこ。こころ旅が撮影された頃より時期が早かったので、水田に吹く風で刻まれる「風の足跡」を見ることができませんでした。
射的山を後に次の場所に移動しました。でも私の「風の足跡」と出会うことができてとても満足な旅でした。
(ヒメウスバシロチョウとしましたが、もしかしたら内地にもいるウスバシロチョウかもしれません。その場合はご勘弁を。)
大仏への道【クロヒカゲ、コジャノメ、ダイミョウセセリ、ジャコウアゲハ、モンシロチョウ】 [神奈川県 鎌倉市]
神奈川県の世界遺産(候補)「武家の古都・鎌倉」の話しはまだまだ続きます。
キリの花が咲いていた初夏の頃のことです。キリの花は昔から高貴な花とされています。でもチョウが吸蜜に訪れることはないみたいで、待っていてもチョウは来ませんでした。
鎌倉駅からいくつかのトンネルを抜けると世界遺産候補北条氏常盤亭跡の広場?に到着しました。貴重な鎌倉時代の北条氏の邸宅跡が埋まっているそうですが、いまはただの広場でした。
しかし、脇からの道を登ったところにタチンダイという一段高い広場があり、奥にはやぐらがありました。ここまで館があったとしたら、相当にでかい家に住んでいたようです。(城跡としたらたいしたことないですが‥。)
世界遺産候補北条氏常盤亭跡にいたベニシジミですが、チョウの写真は代り映えしません。あしからず。(以下、同文)
常盤亭跡にフジの花が咲いていました。チョウが来ないかと待ってましたが、残念な結果でした。
北条氏邸宅跡の広場に咲いていたウツギの花でヒメウラナミジャノメが吸蜜していました。昆虫はウツギの花が大好きです。
北条氏常盤亭跡を後に、もう少し先に進んで、右に折れると大仏切通の入口がありました。世界遺産候補の大仏切通は、鎌倉の入口、いわゆる鎌倉七口の一つで、古の街道がそのままの形で残っていました。
大仏切通の入口近くには、やぐらに続く道もありました。
切り立った崖にやぐらがありました。しかしやぐらには落石の恐れがあるので近寄れませんでした。
大仏切通は、国の史跡に指定されていました。鎌倉にある七つの切通しのうち5カ所が世界遺産候補です。
大仏切通は森の中を道が通っています。そのため林縁に生息するチョウを見ることができました。クロヒカゲが切通しの入口にいました。証拠写真その3
コジャノメもいました。証拠写真その4
ダイミョウセセリが、翅を閉じているお姿はめずらしい。証拠写真その5
ジャコウアゲハも証拠写真その6です。
大仏切通を抜けるとそこは鎌倉の長谷で、鎌倉大仏の他に花の寺「長谷寺」がありました。
アジサイの頃、長谷寺は多くの見物客で賑わいます。アジサイの花が咲き始めの頃、長谷寺に行ってきました。
初夏の長谷寺。アジサイ園の入口にある石仏様から出発です。それでは石仏、仏塔を中心にアジサイ園を進んで行きましょう。
長谷寺のアジサイ園から鎌倉の由比ガ浜が見えました。
良縁地蔵とアジサイ。よーく、お参りしましょ。
石のお地蔵様の周りにもアジサイの花。
石仏以外にも石塔の周りにアジサイの花。
この石塔でアジサイ園は折り返して進むことになります。色とりどりで、形もいろいろなアジサイの花が並んで咲いていました。
下り坂にも多くのアジサイが咲いていました。
最後の階段近くにある石仏の前にはクレナイアジサイが咲いていました。
アジサイの花と竹やぶの組み合わせは、なぜか安らぎを感じます。
長谷寺の阿弥陀堂の前に鉢植えのアジサイもたくさん咲いていました。
灯籠の向こうにアジサイ園の登り口がありました。
長谷寺のアジサイ園は大勢の見物客が訪れているので、チョウはいませんでした。大仏切通の入口近くにある公園の脇にアジサイの花が咲いていました。そこにはチョウが飛んでいました。
アジサイの花にモンシロチョウがいましたが、なかなか止まりません。飛行写真でご勘弁を。
同じくウズアジサイとモンシロチョウ。
閉園近くに鎌倉大仏に行ってきました。鎌倉大仏は鎌倉時代に建立された国宝で世界遺産候補です。
キリの花が咲いていた初夏の頃のことです。キリの花は昔から高貴な花とされています。でもチョウが吸蜜に訪れることはないみたいで、待っていてもチョウは来ませんでした。
鎌倉駅からいくつかのトンネルを抜けると世界遺産候補北条氏常盤亭跡の広場?に到着しました。貴重な鎌倉時代の北条氏の邸宅跡が埋まっているそうですが、いまはただの広場でした。
しかし、脇からの道を登ったところにタチンダイという一段高い広場があり、奥にはやぐらがありました。ここまで館があったとしたら、相当にでかい家に住んでいたようです。(城跡としたらたいしたことないですが‥。)
世界遺産候補北条氏常盤亭跡にいたベニシジミですが、チョウの写真は代り映えしません。あしからず。(以下、同文)
常盤亭跡にフジの花が咲いていました。チョウが来ないかと待ってましたが、残念な結果でした。
北条氏邸宅跡の広場に咲いていたウツギの花でヒメウラナミジャノメが吸蜜していました。昆虫はウツギの花が大好きです。
北条氏常盤亭跡を後に、もう少し先に進んで、右に折れると大仏切通の入口がありました。世界遺産候補の大仏切通は、鎌倉の入口、いわゆる鎌倉七口の一つで、古の街道がそのままの形で残っていました。
大仏切通の入口近くには、やぐらに続く道もありました。
切り立った崖にやぐらがありました。しかしやぐらには落石の恐れがあるので近寄れませんでした。
大仏切通は、国の史跡に指定されていました。鎌倉にある七つの切通しのうち5カ所が世界遺産候補です。
大仏切通は森の中を道が通っています。そのため林縁に生息するチョウを見ることができました。クロヒカゲが切通しの入口にいました。証拠写真その3
コジャノメもいました。証拠写真その4
ダイミョウセセリが、翅を閉じているお姿はめずらしい。証拠写真その5
ジャコウアゲハも証拠写真その6です。
大仏切通を抜けるとそこは鎌倉の長谷で、鎌倉大仏の他に花の寺「長谷寺」がありました。
アジサイの頃、長谷寺は多くの見物客で賑わいます。アジサイの花が咲き始めの頃、長谷寺に行ってきました。
初夏の長谷寺。アジサイ園の入口にある石仏様から出発です。それでは石仏、仏塔を中心にアジサイ園を進んで行きましょう。
長谷寺のアジサイ園から鎌倉の由比ガ浜が見えました。
良縁地蔵とアジサイ。よーく、お参りしましょ。
石のお地蔵様の周りにもアジサイの花。
石仏以外にも石塔の周りにアジサイの花。
この石塔でアジサイ園は折り返して進むことになります。色とりどりで、形もいろいろなアジサイの花が並んで咲いていました。
下り坂にも多くのアジサイが咲いていました。
最後の階段近くにある石仏の前にはクレナイアジサイが咲いていました。
アジサイの花と竹やぶの組み合わせは、なぜか安らぎを感じます。
長谷寺の阿弥陀堂の前に鉢植えのアジサイもたくさん咲いていました。
灯籠の向こうにアジサイ園の登り口がありました。
長谷寺のアジサイ園は大勢の見物客が訪れているので、チョウはいませんでした。大仏切通の入口近くにある公園の脇にアジサイの花が咲いていました。そこにはチョウが飛んでいました。
アジサイの花にモンシロチョウがいましたが、なかなか止まりません。飛行写真でご勘弁を。
同じくウズアジサイとモンシロチョウ。
閉園近くに鎌倉大仏に行ってきました。鎌倉大仏は鎌倉時代に建立された国宝で世界遺産候補です。
蝶街diary【アオスジアゲハ、コミスジ、ダイミョウセセリ】 [神奈川県 鎌倉市]
鎌倉を舞台にした小説、ドラマ、映画などはたくさんありますが、なかにはマンガで描かれた鎌倉を見たくて、多くの観光客が訪れているようです。
特に江ノ電の極楽寺駅周辺は多くのドラマや映画などの舞台となりました。
極楽寺駅にはテレビドラマの出演者のサインが飾られていました。
極楽寺駅の改札口に飾られていた映画のパンフレットです。この映画も極楽寺駅周辺が舞台となっている人気マンガを映画化したそうです。
極楽寺駅の前に咲いていたアジサイです。極楽寺坂を登って、桜橋を渡るとすずちゃんが雨宿りしていた導地蔵堂がありました。
江ノ電撮影のポイントの一つに、赤レンガ造りの「極楽洞」から出る電車の撮影があります。トンネルから出て来た電車は、江ノ電の「嵐電号」です。江ノ電と京都の嵐電は共に古都を路面電車で走っており、何気に似ているので、嵐電が江ノ電を、江ノ電が嵐電の車両を模してを走らせていました。
極楽寺周辺は、鎌倉のアジサイの撮影ポイントの一つです。赤いアジサイが満開でした。
極楽寺には蝶紋のかわいらしい御朱印帳がありましたので、蝶好きおじさんはたまらず購入してしまいました。
極楽寺は鎌倉時代に北条家が創建したそうです。本堂の屋根は北条家の三つ鱗の紋章が飾られていましたが、幔幕には向蝶の紋章が使用されていました。
極楽寺坂にアオスジアゲハが飛んでいました。向蝶の紋章の原型のような開翅飛翔を撮りました。ピンボケご容赦。
成就院参道に咲いていたウツギの花でアオスジアゲハが吸蜜していました。5月のウツギの花が咲くころはたくさんのアオスジアゲハが飛んでいました。
成就院はアジサイで有名ですが、今年はアジサイの咲く参道を改修工事していました。
成就院から見た由比ケ浜。
成就院の境内に咲いていたアジサイです。
成就院でチョウの撮影のお礼をしました。縁結び不動尊にも素敵な出会いがありますようにお参りしました。
極楽寺坂は西側から鎌倉に入るために切り開かれた道で、鎌倉七切通しの一つだそうです。極楽寺を開山した僧、忍性が切り開いたと言われています。忍性は数々の慈善事業をしたことで有名です。
極楽寺坂の石碑には、新田義貞が鎌倉攻めに当たり、極楽寺坂を含む三方向から攻めたが、鎌倉幕府の反撃にあい敗退したと書かれていました。極楽寺坂は激戦が繰り広げられたようです。
極楽寺坂の下には「星の井」があります。奈良時代の僧、行基がこの地に虚空蔵堂を開山する際、井戸も一緒に開いたそうです。(鎌倉ガイドの案内を盗み聞きしました。)当時、この周辺は深い森で、日中でも暗く、井戸の水面に星月が映ったとの言い伝えがあり、そのため星の井(別名、星月の井)」と呼ばれているそうです。鎌倉十井の一つですが、今は使われていないようです。
さらに下には、力餅家があります。力餅を買って、次の目的地に出発です。
星の井がある通りは「星の井通り」というそうです。星の井は、この地域で昔から親しまれているようです。
力餅屋の角を曲がって御霊神社に行きました。御霊神社の鳥居の前は江ノ電が走っており、この踏切は数々の映画、ドラマなどに登場するようです。
鳥居の前を江ノ電が通ります。江ノ電の鳥居くぐりと呼ばれているそうです。御霊神社は司馬遼太郎の「街道をいく」で書かれており、祭られている鎌倉権五郎の武士としての誇りがとても心に残ります。
ここはアジサイと江ノ電のコラボが有名です。アジサイの花が咲く今の時期、自称写真家の観光客がたくさん訪れていました。
アジサイと江ノ電その1
アジサイと江ノ電その2
アジサイと江ノ電その3
御霊神社に咲いていた赤いアジサイ。
御霊神社に咲いていた白いアジサイ。
アジサイに囲まれた御霊神社の庚申塔。
鎌倉権五郎を忍んで力餅を・・おっと、ここは神社境内、飲食禁止でした。
鎌倉の長谷にいたダイミョウセセリ。
同じくコミスジ。
5月のある日、稲村ケ崎に着きました。
稲村ケ崎の石碑には、鎌倉攻めをしていた新田義貞が幕府の反撃にあい苦戦していましたが、稲村ケ崎の海に黄金の太刀を献上すると、潮が引き、道が開かれ、そこから軍勢を鎌倉に突入させたと書かれていました。突入した翌日、5月22日は幕府が滅亡した日です。
稲村ケ崎は夕日の撮影ポイント。幕府が滅亡した5月のある日、江の島と富士山が赤く染まっていました。ブログ日記に記録しないと‥‥。
鎌倉の街でチョウを探す旅をしていますが、いつもあらぬ方向に行ってしまいます。反省をむねに夕暮れ電車で帰りましょう。
特に江ノ電の極楽寺駅周辺は多くのドラマや映画などの舞台となりました。
極楽寺駅にはテレビドラマの出演者のサインが飾られていました。
極楽寺駅の改札口に飾られていた映画のパンフレットです。この映画も極楽寺駅周辺が舞台となっている人気マンガを映画化したそうです。
極楽寺駅の前に咲いていたアジサイです。極楽寺坂を登って、桜橋を渡るとすずちゃんが雨宿りしていた導地蔵堂がありました。
江ノ電撮影のポイントの一つに、赤レンガ造りの「極楽洞」から出る電車の撮影があります。トンネルから出て来た電車は、江ノ電の「嵐電号」です。江ノ電と京都の嵐電は共に古都を路面電車で走っており、何気に似ているので、嵐電が江ノ電を、江ノ電が嵐電の車両を模してを走らせていました。
極楽寺周辺は、鎌倉のアジサイの撮影ポイントの一つです。赤いアジサイが満開でした。
極楽寺には蝶紋のかわいらしい御朱印帳がありましたので、蝶好きおじさんはたまらず購入してしまいました。
極楽寺は鎌倉時代に北条家が創建したそうです。本堂の屋根は北条家の三つ鱗の紋章が飾られていましたが、幔幕には向蝶の紋章が使用されていました。
極楽寺坂にアオスジアゲハが飛んでいました。向蝶の紋章の原型のような開翅飛翔を撮りました。ピンボケご容赦。
成就院参道に咲いていたウツギの花でアオスジアゲハが吸蜜していました。5月のウツギの花が咲くころはたくさんのアオスジアゲハが飛んでいました。
成就院はアジサイで有名ですが、今年はアジサイの咲く参道を改修工事していました。
成就院から見た由比ケ浜。
成就院の境内に咲いていたアジサイです。
成就院でチョウの撮影のお礼をしました。縁結び不動尊にも素敵な出会いがありますようにお参りしました。
極楽寺坂は西側から鎌倉に入るために切り開かれた道で、鎌倉七切通しの一つだそうです。極楽寺を開山した僧、忍性が切り開いたと言われています。忍性は数々の慈善事業をしたことで有名です。
極楽寺坂の石碑には、新田義貞が鎌倉攻めに当たり、極楽寺坂を含む三方向から攻めたが、鎌倉幕府の反撃にあい敗退したと書かれていました。極楽寺坂は激戦が繰り広げられたようです。
極楽寺坂の下には「星の井」があります。奈良時代の僧、行基がこの地に虚空蔵堂を開山する際、井戸も一緒に開いたそうです。(鎌倉ガイドの案内を盗み聞きしました。)当時、この周辺は深い森で、日中でも暗く、井戸の水面に星月が映ったとの言い伝えがあり、そのため星の井(別名、星月の井)」と呼ばれているそうです。鎌倉十井の一つですが、今は使われていないようです。
さらに下には、力餅家があります。力餅を買って、次の目的地に出発です。
星の井がある通りは「星の井通り」というそうです。星の井は、この地域で昔から親しまれているようです。
力餅屋の角を曲がって御霊神社に行きました。御霊神社の鳥居の前は江ノ電が走っており、この踏切は数々の映画、ドラマなどに登場するようです。
鳥居の前を江ノ電が通ります。江ノ電の鳥居くぐりと呼ばれているそうです。御霊神社は司馬遼太郎の「街道をいく」で書かれており、祭られている鎌倉権五郎の武士としての誇りがとても心に残ります。
ここはアジサイと江ノ電のコラボが有名です。アジサイの花が咲く今の時期、自称写真家の観光客がたくさん訪れていました。
アジサイと江ノ電その1
アジサイと江ノ電その2
アジサイと江ノ電その3
御霊神社に咲いていた赤いアジサイ。
御霊神社に咲いていた白いアジサイ。
アジサイに囲まれた御霊神社の庚申塔。
鎌倉権五郎を忍んで力餅を・・おっと、ここは神社境内、飲食禁止でした。
鎌倉の長谷にいたダイミョウセセリ。
同じくコミスジ。
5月のある日、稲村ケ崎に着きました。
稲村ケ崎の石碑には、鎌倉攻めをしていた新田義貞が幕府の反撃にあい苦戦していましたが、稲村ケ崎の海に黄金の太刀を献上すると、潮が引き、道が開かれ、そこから軍勢を鎌倉に突入させたと書かれていました。突入した翌日、5月22日は幕府が滅亡した日です。
稲村ケ崎は夕日の撮影ポイント。幕府が滅亡した5月のある日、江の島と富士山が赤く染まっていました。ブログ日記に記録しないと‥‥。
鎌倉の街でチョウを探す旅をしていますが、いつもあらぬ方向に行ってしまいます。反省をむねに夕暮れ電車で帰りましょう。
月への階段【スジグロシロチョウ、モンシロチョウ、アカシジミ】 [神奈川県 鎌倉市]
鎌倉は花咲く寺院が多く、中でも明月院は「アジサイの寺」として海外からもたくさんの方が訪れます。
チョウ好きおじさんもアジサイ見たさに行ってまいりました。
明月院は、アジサイの咲く頃以外にもサクラの咲く春、艶やかに染まる紅葉の秋もきれいです。先ずはサクラ咲く春に訪れたときのことです。
明月院の山門はサクラに囲まれとてもいい雰囲気。
本堂の前の枯山水の庭園も春の淡い色に囲まれ、心が落ち着きます。
明月院に咲いていたハナカイドウです。ハナカイドウはサクラと並んで春の鎌倉の名花です。
明月院の開山堂前に鎮座されている「花想いのお地蔵様」が早春の花を抱いていました。
本堂に飾られていた花御堂。この日はお釈迦様の誕生日でした。
本堂にある円窓から絵になる庭園が望めます。「悟りの窓」というそうです。庭園はハナショウブが咲く頃と紅葉の頃の年2回、中に入ることができます。
そして、ハナショウブが咲く頃となりました。
明月院の参道に咲くアジサイです。参道の鎌倉石でできたすりへった階段は、花園へと続く「天国への階段」とテレビ番組で紹介されていました。
明月院のアジサイは、多くがヒメアジサイという品種です。まだ時期が早かったのでほとんどが薄い青色でした。満開のころはもっと深い青になるそうです。
開山堂への道に咲いていたアジサイです。晴天だったので花が光ってしまいました。
アジサイは日陰にひっそりと咲いている花の方が青い色が映えるみたいです。
昆虫のブログなので、明月院のアジサイと昆虫のコラボです。先ずはサナエトンボの仲間から。
アジサイの花で2頭のスジグロシロチョウが戯れていましたが、光が邪魔して残念な結果でした。
鎌倉は深い森に囲まれていますので、意外とアカシジミを見ることができました。明月院のアカシジミですが、残念ながら…遠い…
サツキ咲く初夏の枯山水庭園です。
鎌倉は江戸時代から古都として参拝客などが訪れていたそうです。鎌倉は京都ほど水に恵まれていないようですが、江戸時代に清らかな水が豊富に湧き出る10箇所の井戸を「鎌倉十井」として訪れる参拝客等に紹介したそうです。今ではもう使えない井戸がほとんどですが、この「瓶の井(つるべのい)」は現役で使えるそうです。
明月院やぐらです。やぐらとは鎌倉独特の鎌倉時代の武士などのお墓だそうです。
この日、開放されていた明月院の本堂後庭園に入れさせていただきました。
庭園に咲くハナショウブの花の上をいろいろなチョウが飛び交っていました。アゲハ、シロチョウ、シジミ、セセリ・・でも止まらない!早い!
シオカラトンボは竿の先(ツボミの先)に止まってくれますので、楽といえば楽ですが、そればかりでは…
花に止まったモンシロチョウの瞬間撮影。露出が…ピントが…
上に同じく
やけくその飛行写真
上に同じ
さらに続く‥
もっと続く‥
帰りぎわ。総門脇にある茶々橋の上にウサギとカメが並んでいました。名月の夜、明月院にあらわれる月への階段を登るのかなあー(uso)
チョウ好きおじさんもアジサイ見たさに行ってまいりました。
明月院は、アジサイの咲く頃以外にもサクラの咲く春、艶やかに染まる紅葉の秋もきれいです。先ずはサクラ咲く春に訪れたときのことです。
明月院の山門はサクラに囲まれとてもいい雰囲気。
本堂の前の枯山水の庭園も春の淡い色に囲まれ、心が落ち着きます。
明月院に咲いていたハナカイドウです。ハナカイドウはサクラと並んで春の鎌倉の名花です。
明月院の開山堂前に鎮座されている「花想いのお地蔵様」が早春の花を抱いていました。
本堂に飾られていた花御堂。この日はお釈迦様の誕生日でした。
本堂にある円窓から絵になる庭園が望めます。「悟りの窓」というそうです。庭園はハナショウブが咲く頃と紅葉の頃の年2回、中に入ることができます。
そして、ハナショウブが咲く頃となりました。
明月院の参道に咲くアジサイです。参道の鎌倉石でできたすりへった階段は、花園へと続く「天国への階段」とテレビ番組で紹介されていました。
明月院のアジサイは、多くがヒメアジサイという品種です。まだ時期が早かったのでほとんどが薄い青色でした。満開のころはもっと深い青になるそうです。
開山堂への道に咲いていたアジサイです。晴天だったので花が光ってしまいました。
アジサイは日陰にひっそりと咲いている花の方が青い色が映えるみたいです。
昆虫のブログなので、明月院のアジサイと昆虫のコラボです。先ずはサナエトンボの仲間から。
アジサイの花で2頭のスジグロシロチョウが戯れていましたが、光が邪魔して残念な結果でした。
鎌倉は深い森に囲まれていますので、意外とアカシジミを見ることができました。明月院のアカシジミですが、残念ながら…遠い…
サツキ咲く初夏の枯山水庭園です。
鎌倉は江戸時代から古都として参拝客などが訪れていたそうです。鎌倉は京都ほど水に恵まれていないようですが、江戸時代に清らかな水が豊富に湧き出る10箇所の井戸を「鎌倉十井」として訪れる参拝客等に紹介したそうです。今ではもう使えない井戸がほとんどですが、この「瓶の井(つるべのい)」は現役で使えるそうです。
明月院やぐらです。やぐらとは鎌倉独特の鎌倉時代の武士などのお墓だそうです。
この日、開放されていた明月院の本堂後庭園に入れさせていただきました。
庭園に咲くハナショウブの花の上をいろいろなチョウが飛び交っていました。アゲハ、シロチョウ、シジミ、セセリ・・でも止まらない!早い!
シオカラトンボは竿の先(ツボミの先)に止まってくれますので、楽といえば楽ですが、そればかりでは…
花に止まったモンシロチョウの瞬間撮影。露出が…ピントが…
上に同じく
やけくその飛行写真
上に同じ
さらに続く‥
もっと続く‥
帰りぎわ。総門脇にある茶々橋の上にウサギとカメが並んでいました。名月の夜、明月院にあらわれる月への階段を登るのかなあー(uso)